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この夏の行事(上)
2014年8月30日暑かった夏も一段落ついたようで
今日は日差しが強くても涼しい風が夏の名残をさましてくれています。
この夏に祥雲寺で行った行事の写真を載せます。
毎年7月7日は境内にあるべんてん様のお祭りの日です。
例年は庫裡横の弁天堂で行うのですが
今年は雨天のため本堂に移動して行いました。
須弥壇上に祀られたべんてん様です。
普段はお堂の中に鎮座しているので
毎年来られている方も
「この日初めて御顔を見ることができた」と仰られていました。
べんてん様のお祭りが終わった後はすり鉢を頭にのせての
すり鉢灸の時間となります。
べんてん様に供えたお香の残り火で灸を据え、
この夏の無病息災を願って汗を流します。
8月の7日は初盆供養の日です。
今年新盆を迎える方に
午前中でどのようにしてお迎えの準備をするか説明をし、
午後に新盆の方の施食法要を行いました。
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平成26年8月観音朝詣り
2014年8月12日観音札所道中
天皇皇后両陛下は、本年6月、即位以来5度目となる沖縄行幸啓をされました。
6月が沖縄戦終結の月です。
終戦60年目の平成17年にサイパン島に行かれ、70年目の来年には、パラオ諸島など南太平洋の島々を訪ねたいとのご希望だそうです。
いずれの行幸も、戦死した兵士達、犠牲になった民間人、さらには現地の人たちもふくめた多くの御霊への追悼のためでありましょう。
成算なき戦場に追いやられ、米軍の銃火にさらされ、玉砕し、自決し、果ては餓死に至った人々、原爆や無差別爆撃の犠牲になった人々。
これら何百万の人々の無念さを思い遣る時、だれしも反戦の思いを強くします。昭和の戦争は、日本国民共有の悲しみであり悼(いた)みです。
両陛下の行幸啓には、追悼だけでなく、皇室として責任を取る御心が働いていると、私は感じます。
戦争に到るまでには、さまざまな政治的、外交的、歴史的要因があり、あるいは不可避であったかもしれない。
一部の人たちに責任のすべてを押し付けることはできません。
しかし、あの無謀な戦争を引き起こし遂行した責任を、歴史的必然から来たこととし、指導者が責任逃れをして良いはずもありません。戦争は天皇制のもとで起きました。
私の父が、天皇の馬鹿野郎と言ったのを、何度か聞いたことがあります。
シベリヤ抑留まで含めると足かけ10年、兵卒として下士官として軍隊にいた者の偽らざる気持ちです。
昭和天皇は、いのちを賭して終戦を決意し、8月15日の詔勅を読まれました。
日本史上最も英邁な君主であった昭和天皇でも取り切れなかったその責任を、今上陛下は受け継いで取られていると思うものです。
震災の避難所で正座をされて被災者に言葉をかけられている両陛下には、国民とともにおわすという御心がにじみ出ています。
このような方の追悼はまことにありがたいと思います。
平成26年8月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の観音様の朝詣りは午前6時から行います。
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平成26年7月観音朝詣り
2014年7月30日境内に咲くアジサイ
銀座をはじめ東京の高級店街はいま大好景気だそうです。
高級飲食店は満杯、ブランド品や高額食品が飛ぶように売れ、数億円もするマンションがあっという間に売り切れているようです。
理由はアベノミクスによる株価の値上がりや、賃金上昇によって富裕層の購買意欲がいちじるしく高まったためということです。
宇都宮では、景気について人に聞いても、少しは良くなっているのかなという感想を聞く程度です。
それよりも目抜きの大通りがシャッター街と化している現実に町の衰えを感じ、消費税増税にともなう物価や公共料金の値上がりがじわじわと生活を圧迫しているのを感じています。
定年を過ぎた人たちは、超低率の預金金利や、年金の削減によって、今後の生活への不安を抱えています。
何よりも、いま日本を支えている世代、特に若い世代の人たちの労働環境が悪化し、ワーキングプアと呼ばれる人たちの数が増大しています。
何かがおかしい。
昭和では、高度成長の結果ほとんどの国民が豊かさを感じた時代がありました。
実態はともかく、一億総中間層といわれました。
いまは格差社会という言葉があり、貧富の差が増大し、支配する者と支配される者が固定化しつつあります。
グローバル化、規制緩和といった美辞麗句のもと、よりどころとなる共同体を失った一人ひとりの国民が、激しい競争にさらされています。
生まれるのは少数の勝者と多数の敗者。
これは、アメリカを手本とする政策が推し進められ、アメリカ化した結果といえます。
アメリカは理想社会ではなく、現実のアメリカは格差の著しい社会です。
私は、社会の進む方向が間違ってしまったと思っています。
これを正すために微力でも何が出来るかを考える毎日です。
平成26年7月15日 祥雲寺住職 安藤明之
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平成26年5月朝詣り
2014年6月18日横浜鶴見総持寺
月が皓々(こうこう)と照る夜半、求道のこころざし篤い修行僧が坐禅をしていると師匠が近づいて月を指さし、
「そなたは月が二つあることを存じておるか」
と問いかけました。
修行僧がいぶかしく思っている様子を見て、師匠は立ち去ります。
修行僧はおのれの未熟を恥じ、修行に精進しました。
月日経ち、身も凍る寒い月の夜に坐禅に努めているとき、師匠が近づいて指をパチンと鳴らしました。
その瞬間、修行僧は悟りを得たのです。
修行僧は大本山總持寺の第二世峨山(がさん)禅師、師匠は太祖瑩山(けいざん)禅師です。
「両箇の月」と呼ばれるこの公案について、いろいろな解釈がされています。
ただ解釈は解釈であって、それで峨山禅師の悟りを示すことはできません。
悟りは師家(師匠)と学人(弟子)の全人格の感応道交の中にあるものなのですから。
それをことわったうえで、解説をしてみます。
仏教では月は真理の象徴です。
真理は真如とも仏性ともいい宇宙から自己までを貫く絶対の真実です。
修行僧の坐禅は一点の曇りもない満月のごとき唯一絶対なる真実、真理を求めてのものでした。
それに対し、師匠は一つではないと言い放ったのです。
月には満月もあれば、三日月、新月もあります。
群雲に隠れることも、雲間より光のみが漏れいずることもあります。
現象の奥にある普遍の天体のみを真実の月とするのではなく、千変万化する現象のあり方に心を通わす融通無碍の境地を般若といい実知恵ともいい、その境地に到ることを悟るというのです。
仏教はものごとを固定的にとらえません。
大切なことは、全身全霊を傾け修行する僧と、闊達の境地にいる師匠の間だからこそ成り立つ話であるということです。
命がけの真剣勝負でなければ、何事も適当でいいよという俗話になってしまいます。
平成26年5月15日 祥雲寺住職 安藤明之
過去の未掲載のものをあげました。