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平成27年6月観音朝詣りのお知らせ
2015年6月17日雨上がりの紫陽花
弁天さまは、七福神ただ一人の女神さまです。
祥雲寺では毎年七月七日に弁天さまのお祭りがあります。
戦前まで現在の昭和小学校の所にまつられていました。
正式の御名を宇賀耶弁財尊天といい、古くから信仰されていた由緒ある神様です。
寺の前を流れていた西アサリ川に尊像が投げ捨てられるという事件があり、枝垂れ桜の下にあった天神様の小さなほこらの中に移されました。
朱塗りの弁天堂が建ち現在の場所に安座したのは昭和三十年のことです。
弁天さまは、もともとインドのサラスヴァティー川の女神です。
大変な美人で、創造の神ブラフマー(梵天)が恋して妻としました。
美しい姿をいつでも見られるようにと梵天さまはみずからの顔を四つにしました。
サラスヴァティー川は、古代インドで聖なる川と讃えられました。
しかし干上がって砂漠に消えたといわれます。
近年、ランドサット衛星の映像分析で、たくさんの遺跡が地下を流れる川に沿ってあることが判明しました。
この地下水脈がサラスヴァティー川だと推定されます。
この川は世界四大文明の一つ、インダス文明の母なる川だったのです。
お釈迦様のために祇園精舎を寄進したスダッタ長者は、この女神の信者でした。
そのこともあって、仏教徒の守護神と信仰されるようになり、金光明王経には鎮護国家の神としてその功徳が記されています。
弁天さまは、水の神、音楽・文学・芸術の神、魔を払って富をもたらす神、女性神として家庭の安全をもたらす女神さまです。
七月七日は七夕の日。
毎年たくさんの善男善女におまいりをいただき、所願成就の祈祷の法要が修行されています。
法要の後には夏を乗り切る身体健全の効能あらたかな「すりばち灸」もあります。
平成27年6月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の朝詣りは午前6時から行います。
今年もたくさんの梅が実っています。
朝詣りのあと、梅落としをいたしますので、一緒に採ってお持ち帰りください。
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27年5月月例早朝坐禅会「指月の会」案内
2015年5月20日お前の苦しみを、じっとみつめて見よ。
誰々にののしられたか、誰々により損害を受けた、
誰々に手ひどく負かされた、誰々に盗まれた、
という思いを抱いてはいないか。
その思いがすでに怨みであると知りなさい。
怨みを抱いた人生は重いものだ、安らぎというものがなくなってしまう。
いっさいの怨みを棄てよ。
今まで抱いてきたあれこれの思いをさっぱりと棄てよ。
棄てれば、必ず軽くなる。
棄てて、かろやかに生きなさい。- 『スッタニパータ』第一章 -
静かな処で何をするでもなく落ち着いて瞑想をすることで心身の調子が整う、という事は昔から広く知られ、行われてきました。
近年では科学的分析により血圧が下がる、海馬の機能が促進され脳内の情報整理がされる、精神安定に重要な働きをするセロトニンの生成が促される、等の効果が確認されているそうです。
しかし坐禅は、これらの効果を内包しながらも、何も求めないで只ひたすらに坐る事こそ最上のものである、と伝えられてきました。
私はそれは、「軽くなる」からだと思います。
人間生きていれば百人百様、様々な想いやしがらみを背負っているはずです。
古人は人生を「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」と形容したそうですが、時には荷を下ろし、わが身を見つめ直す時間こそ忙しい現代人に必要なものだと思います。
一人で行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
この朝座禅会はそのような場となるよう始めました。
一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?
日時:5月25日朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)
6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
7時20分~8時(二回目の坐禅)場所:祥雲寺本堂一階
用意:身一つで大丈夫です。
足の組めない方は椅子での坐禅もできます。 -
平成27年5月観音朝詣りのお知らせ
2015年5月13日4月末、早朝の藤の花
我が説法は筏(いかだ)の喩(たとえ)のごとしと知るべし。
法もなお捨てるべし。「金剛般若経」
筏(いかだ)の喩えとは、お釈迦様が弟子達に説いた有名なたとえ話です。
旅人が、大きな川に出会った。
こちらの岸は危険で恐ろしく、向こう岸は安全であるとしよう。
彼は草、木、枝、葉を集めて筏を組み、無事に川を渡ることができた。
渡り終えて
「この筏は私のためになった。行く先でも役に立つであろうからこれを持って行こう」
こう考えることは正しいことであろうか。
弟子たちは答えます。
「正しいとは思いません」
それではどうしたら彼は、その筏に対してなすべきことをなしたことになるのだろうか。
すなわち、この筏は私のためになった。
これによって安全にこちらの岸に渡った。
私はこの筏を岸に引き上げ、あるいは水上に浮かべて、そのままにして行こう。
彼がこのようにしたならば、筏に対してなすべきことをなしたのである。
このように、ものに執着しないように、この筏のたとえを知っている君たちは教え(法)をもまた捨てるべきである。
お釈迦様は、人間がどうしたらとらわれから離れることができるかについて、さまざまな形で説かれました。
わかりやすいたとえ話もあれば、むずかしい理論もあります。
厳しい修行への導きもあれば、深い慎みをもって日常を生きるべしとの諭(さと)しもあります。
ひとつひとつは、解脱のためのすぐれた手立てであり、それが法です。
しかし、いかに素晴らしい手立てであっても、それにとらわれてしまう時、それは「とらわれ」「足かせ」となります。
お釈迦様は、みずからの教えさえも相対化する透徹した教えを説かれているのです。
もちろん、法を捨てても、道を求めてたゆむことなく進むものには、清浄な心が保たれ、天地に恥じない人倫が貫かれていることは言うまでもありません。
法とはそういうものです。
平成27年5月13日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の朝詣りは午前6時から行います。
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4月27日スタート、月例坐禅会「指月の会」案内
2015年4月19日本堂裏手、西国観音霊場8番さんのまわりの桜
現在造成中の墓地区画、今年度中完成の予定
「捨てれば必ず軽くなる
捨てて、軽やかに生きなさい」-『スッタニパータ』
先日NHKの番組で、ぼんやり術の特集、というものがありました。
静かなところで何も行わず、ただぼんやりとすることで、頭がすっきりして血圧が下がる等の効果があり学校教育にも取り入れられている、という内容でした。
お寺では、昔からこれに類することを行ってきました。坐禅です。
祥雲寺でも雀宮出張所「善応院」で毎週坐禅会を行ってきましたが、今年度より宇都宮の本堂で月に一度、第四月曜日の朝に坐禅会を行います。
昔から禅寺では、朝に暁天坐禅という坐禅の時間を設け、心身を整えて一日の修行に向かってきました。
心を落ち着け体の調子を整え思考をクリアにしてくれる坐禅は、「安楽の法門」ともよばれています。
時間に追われる忙しい現代においてこそ、何にも取り組まず頭をからっぽにして「軽やかになる」時間を持つことは、とても必要なことだと思います。
朝の6時半から8時の間で坐禅を2回行いますが、別に間に合わなければ入れない、というものではありません。随時出入り自由です。
最初に坐禅のやり方を説明した後は、ご都合やスケジュールに合わせて任意に行われてください。
むしろ、そういった忙しくされている、お仕事に取り組んでいる世代の人の参加を願っています。
一人では中々行えない、続けられないことでも、皆でやるなら楽しく行えるはずです。
ご一緒にこの一時を坐禅に興じ、軽やかに生きてみませんか?
日時:4月27日(毎月第四月曜日)朝6時半~8時
場所:宇都宮祥雲寺本堂一階
次第:6時30分~7時10分、一炷目(坐禅)
7時10分~7時20分、経行(中休み)
7時20分~8時、二炷目(坐禅)用意:身一つでいらして下さい。
初めての方にはやり方の説明を行うので入口の鈴を鳴らしてください。
祥雲寺副住職 安藤淳之
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27年4月観音朝詣りのお知らせ
2015年4月17日今年の4月8日は雪の花祭りとなりました。
天皇皇后両陛下は4月8日パラオを訪問し、翌日ペリリュー島の戦没者慰霊碑に供花されました。
供花のあと、間近に見えるアンガウル島に向かって深く礼をされていました。
昨年8月のこのお便りにも記しましたが、両陛下の慰霊はまことにありがたいことです。
太平洋戦争有数の激戦となったパラオ諸島を守備したのは14師団です。
ペリリュー島には水戸の第2連隊と高崎の第15連隊、アンガウル島には宇都宮の59連隊が配置され、いずれも玉砕しました。
祥雲寺のお檀家にもこの地で戦死された方がいます。
日中戦争から太平洋戦争まで、お檀家の戦死された御霊は167。
改めて戦争の苛烈さを思います。
いま、兵士になった人たちがこの世を去っていきます。
兵士になった人たちのほとんどが大正の生まれです。
すべて数え年で90歳を越えたのです。
私にとっては親の年代の人たちです。
兵士が戦闘のさまを語ることは、親子でもほとんどなかったでしょう。
しかし、戦争は戦闘だけでなく、社会全体が巻き込まれるものです。
欲望、残虐さ、人間の持つ狂気ともいうべき負の面が渦巻きます。
戦場となった地だけでなく銃後においてもです。
「あんなことはあってはならない」という、幾度も幾度も聞いた親たちの言葉は大切にしなければなりません。
私は、軍隊は持たなければならないと思っています。
子供時代、学生時代に声高に叫ばれていた非武装中立論は、今振り返ってみれば、非現実的なおとぎ話です。
しかしそれでも、戦争を避けるという原則は崩してはなりません。
為すべきは戦乱、戦争を起こさず、巻き込まれず、追い込まれないように努力することです。
不戦は、戦争の時代を生きた人たちの次に生まれた私たちの、第一の立場でなければなりません。
平成27年4月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の朝詣りは午前6時から行います。