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6月観音朝詣り
2023年6月24日一切の生きとし生けるものは幸福であれ。
スッタニパータ145偈 中村元訳
生きとし生けるもの。なんと美しい言葉でしょう。
私がこの言葉を初めて目にしたのは、古今和歌集の序文です。
紀貫之の仮名序は「やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける」に始まり、「花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける」と人が感動を言葉にし、歌にすることを述べています。この世にある天地万物と吾(われ)が一体となっているという共感から生まれた感動であり、生きとし生けるものという言葉にはこの世界に生きるものへの限りない愛おしさが込められています。
この言葉を知ってまもなく、岩波文庫の「ブッダのことば-スッタニパータ」を読んでいた時に目にしたのが冒頭の言葉です。
スッタニパータは、最も早くに編まれた経であり、お釈迦様の肉声をそのままに伝えるものがあるといわれています。
特に、143偈から152偈までの10の詩は慈しみの経といわれ、タイやスリランカの仏教徒は毎日となえているそうです。
中村博士がいのちあるものの訳に生きとし生けるものということばを当てたことも素晴らしいと思います。
さすがお釈迦様の教えに最も精通した大仏教学者です。
冒頭の言葉の全文を記します。
一切の生きとし生けるものは幸福であれ、安泰であれ、安楽であれ。いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも悉く、長いものでも、大なるものでも、中位のものでも、短いものでも、微細または粗大なものでも、目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに或いは近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは幸福であれ。
お釈迦様の慈しみであり、憐れみです。それはそのまま仏教徒の祈りです。
令和5年6月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺東堂 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時から行います