ごあいさつ

宇都宮市の祥雲寺は歴史のある曹洞宗のお寺です。
栃木県庁のすぐ北にあり、自然林の中には西国三十三番の観音像が祀られています。
また、樹齢350年を超える枝垂れ桜の老樹は県天然記念物として有名です。
たくさんの方々に仏教を親しんでいただくことを願いとし、様々な信仰行事を催しています。

ようこそおまいり

座禅会 栃木県宇都宮市の祥雲寺(曹洞宗) | 桜や祭りが名物の寺

座禅会の記事

  • 令和2年3月 朝坐禅会「指月の会」案内

    2020年3月22日

    例年は彼岸明けから三月末で開花するのですが、今年は彼岸前には花開きました。

     

    この日曜日でほぼ満開になりました。見ごろは今週中ごろでしょう。

    諸行無常
     
     新型コロナの世界的蔓延で、世の中の色々なところに支障が出ています。
    祥雲寺でも地域の観音堂例祭や御詠歌講、花祭り写経会が中止になりました。
     私には医学の心得はありませんが、感染症の話題になる度に、学生時代に読みふけっていた村上龍の『ヒュウガウィルス』をいつも思い出します。
    この本は簡潔に言えば、九州で酷い病気がはやり、細菌戦の部隊が処置に赴く話です。
    作中の架空の病気ヒュウガウィルスは未知の病気で、エボラ出血熱を更に酷くした空気感染するウィルスが一帯を変わり果てた死体の山にします。
    その様子を見て、なんで人間はそんなに弱いんだ、と嘆いた人に、老科学者が返した言葉が印象深く、今でも良く憶えています。
    「弱くて脆い部品が精密に作動するから生物は進化した。
     われわれのからだを構成する分子は脆くて壊れやすいつながり方でつながっている。
     だから化学反応が可能で、全体として信じられないような生体のシステムが生まれた。
     強い結合で結ばれれば鉱物になってしまう。
     鉱物は何億年経ってもほとんど変化がない。
     人間は柔らかい生き物だ。
     その柔らかさ、脆さ、危うさが人間を人間たらしめている」
    あまりにも繰り返し読んでいて、私の人間観の基ともなっていますが、これって言葉が変われば、そのまま「無常」を表現しているものだと思っています。
     私たちは無常(変化)だから生まれ育ち、変化するから老い病み死んでいく。
    無常には良いも悪いもない、変化するから私たちはこうして在ることが出来る。
    だから無常は厭うものではなく、受け入れその都度真摯に対応するのが最も良い身と心の処し方と言えるのでしょう。
     
     残念なことに、新型コロナとの付き合いはもうしばらく長引きそうです。
    私たちが成すべきは、こういうこともあるさと腰を据えて向き合って、日々対処して自分と周りを整えていくことなのでしょう。
    それこそ疲れないようじっくりと。
                                  祥雲寺副住職 安藤淳之
    一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
    ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
    この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
    一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?

    日時:3月23日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)

    6時30分~7時10分(一回目の坐禅)

    7時20分~8時    (二回目の坐禅)

    場所:祥雲寺本堂一階

    用意:身一つで大丈夫です。

    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。

     

    注意:初めての方は最初に指導を行います。

    その為可能ならば一回目の坐禅から参加されてください。

    また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています

  • 令和2年1月 朝坐禅会「指月の会」案内

    2020年1月25日
    今年もどうぞよろしくお願いします。
    四大分離して甚れの処に向かってか去る。 『無門関』
    お話しする機会があった方からリクエストをいただいたので
    以前の話ながら再掲します。
     しばらく前に「千の風になって」という歌が大変流行しました。
    私のお墓の前で泣かないで下さい、私はそこに居ません。
    千の風になって、あの大きな空を吹き渡っています。
     この曲の特別なところは、死者からのメッセージであるという所です。
    死という断絶。それを超えて語りかけてくれる「向こうからの言葉」
    うちひしがれている人にとって何よりの慰めとなる、この歌にはそうした力があるのだと思います。
    この歌詞は一説にはネイティブアメリカンの言葉が元になってアメリカで広まり、それを新井満氏が翻訳して歌にしたそうです。
     私たちは縁あってこの世に生を受け、様々な結びつきの仲で育ちやがて枯れていきます。
    縁によって生まれいでた私たちは、死ねば何処に行くのでしょうか。
    何処に行くのでもありません。世界から結びつきによって生まれた私たちは、ほどければまた世界に帰っていくのです。
    私たちの命は、すがたかたちを変えてまたこの世界を巡る大きなはたらきへと立ち返っていく。
    だからこそ、悲しみに萎れた顔を上げて耳を澄まして見たならば、木漏れ日の煌めきや風のそよめき、土の臭いや水の流れにあの人の命のはたらき、面影を見ることも出来るのでしょう。
     ですが、お墓こそが故人を思い返す、偲ぶのにこの世で最も適した所であることも間違いないはずです。
    故人を弔い、文字通りその名残を石の永遠性に託して刻み、この世にあったのだという証拠を立たせているのですから。
     どうかお墓参りの時にはたくさん声をかけてあげて下さい。
    故人には出来なくなった掃除をして届けたい物や思いをお供えしてあげて下さい。
    そうして合わせた手の向こう側に、きっと喜ぶ顔を感じることが出来るはずです。
                             祥雲寺副住職 安藤淳之
    一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
    ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
    この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
    一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?

    日時:1月27日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)

    6時30分~7時10分(一回目の坐禅)

    7時20分~8時    (二回目の坐禅)

    場所:祥雲寺本堂一階

    用意:身一つで大丈夫です。

    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。

     

    注意:初めての方は最初に指導を行います。

    その為可能ならば一回目の坐禅から参加されてください。

    また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています

  • 令和元年12月 朝坐禅会「指月の会」案内

    2019年12月21日

    本堂内陣1

    本堂内陣2 本尊様を祀る祥雲寺の中心。 この天井絵を入れてもう10年になります。

    不離叢林(修行を怠らず、仏道を歩み続けること)
                              『正法眼蔵』
     
     先日祥雲寺に絵手紙サークルの方が来られました。
    仲間たちと色々な題材で絵手紙を書いていて、いつもモチーフにできる対象を探しており、祥雲寺の羅漢様を拝観したいとのことでした。
    後日拝観されたお礼の手紙を頂き、「まるで別天地にいるかのような、心穏やかな時間を過ごせました」との感想が書かれていました。
     
     お寺のことを昔の表現で「叢林」といいます。
    インドでの仏教初期のころ、修行を行う場所は強い日差しや世俗の喧騒から離れた静かな林で行われていました。
    そのことから修行のお寺を叢林と呼び、また外界から離れ修行に専念する寺院建築を僧伽藍摩(僧侶が集まって修行を行う静かな場所)、短縮して伽藍と呼んできました。
    伽藍の方は、先日のNHK番組「ちこちゃんに叱られる」で取り上げられた題材ですので、ご存じの方も多いかと思います。
     
     私は常々、お寺の果たす社会的役割は二つのことだと思っています。
    一つは仏道修行の場として。お釈迦様からの教えを受け継ぎ育み伝えていく、修行と布教の場であること。
    もう一つは慰霊、祭祀の場として。亡くなられた大切な近しい人を弔うのに相応しい、お参りの場であること。
    この二つを実践するためにも、お寺の境内は心を落ち着けられる場所として常に整える必要があります。
    来られた方に林の中のような静かな、「心穏やかな時間」を感じていただけたなら、寺の一員としてそれはとても喜ばしく思います。
     
                        祥雲寺副住職 安藤淳之
    一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
    ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
    この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
    一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?

    日時:12月23日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)

    6時30分~7時10分(一回目の坐禅)

    7時20分~8時    (二回目の坐禅)

    場所:祥雲寺本堂一階

    用意:身一つで大丈夫です。

    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。

     

    注意:初めての方は最初に指導を行います。

    その為可能ならば一回目の坐禅から参加されてください。

    また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています

  • 令和元年11月 朝坐禅会「指月の会」案内

    2019年11月23日

    イチョウの木も見ごろになっています。

    十六羅漢様と紅葉

    幸せになる道とは
    身をつつしむこと。
    言葉をつつしむこと。
    心をつつしむこと。
    つつしむことは自分を縛ることではない。
    むしろ、このうえなく安楽にする。
    そして、つつしみによって得られるのは
    苦しみからの脱却と幸福である。
                         『ウダーナヴァルガ』第七章
     
    日本中を熱狂させたラグビーワールドカップも終わって、祭りの後の寂しさとともに秋も深まり、境内を紅葉が彩ってくれています。
    ワールドカップの為に大勢の方が日本に来られ、多くの方に日本を楽しんでいただけていたようです。
    イギリスの記者が書かれた記事に「我々が日本のラグビーW杯を愛する理由」というのがあって、
    曰く
    「日本人はルールを愛し、それから逸脱することはない。しかし、それは日本での生活を快適で簡単なものにする」と評して、規律を守る国民性によって日常が良いものとなっていると賞賛されていました。
    私たち仏教徒は信仰の実践として「戒」を授かり、これを日頃よりつとめて行います。
    戒の数はまちまちですが、共通して
    「殺さない、盗まない、うそを言わない、人をそしらない、怒らない」等と
    極端な行動を慎む文言が連なります。
    これらの決め事によって行動が縛られ不自由となるのではと思う人もいるかもしれませんが、そうではないのです。
    むしろ、その自由によって他者との不和、軋轢が生まれ、それらが苦しみのもととなるのです。
    戒はつつしむことによって他者を尊重し自らの心を護り育み、安らぎをもたらしてくれるのです。
    きちんとした決まり事を護るのは、他者を尊重し自らを護る、最善の道なのです。
     
    日本人は、長い歴史の中でそのことをよく学び、行動様式に深く根付いているからこその、こうした評価が生まれるのでしょう。
    この日本人の美点をこれからも護り育み伝えていけるよう、私もまた実践し繋げていきたいと思います。
     
                                  祥雲寺副住職 安藤淳之
    一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
    ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
    この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
    一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?

    日時:11月25日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)

    6時30分~7時10分(一回目の坐禅)

    7時20分~8時    (二回目の坐禅)

    場所:祥雲寺本堂一階

    用意:身一つで大丈夫です。

    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。

     

    注意:初めての方は最初に指導を行います。

    その為可能ならば一回目の坐禅から参加されてください。

    また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています

  • 令和元年10月 朝坐禅会「指月の会」案内

    2019年10月27日

    夏の終わりの祥雲寺

    花はただ咲く 只ひたすらに
    只になれない 人間の私
                       相田みつを
     
    禅宗の有名な言葉に「放下着」があります。
    着ているものを放下せよ、つまり執着を捨てろ、という趣旨の言葉と読み取れます。
    是に限らず、執着、欲得の類いを離れ捨てよとの言葉は多々あります。
    我が宗祖道元禅師も
    「我が身をも、心をも放ち忘れて、ほとけの家に投げ入れて ほとけのかたよりおこなわれて
    これにしたがいもていくとき、力をも入れず、心をもついやさずして
    生死を離れ、ほとけとなる」
    と説かれ、私自身坐禅会に初めて来た方への説明は
    「捨てれば必ず軽くなる、捨てて、かろやかに生きなさい」
    というスッタニパータ(南方仏教に伝わる釈尊の語録)からの引用を必ず用いています。
    それは、坐禅が執着を、人が知らず抱えてしまっているあれそれを手放すことが出来る淨行であると信じていればこそです。
    その故に、坐禅をして何になるのか?との問には何にもならない(何かの為では捨行と成らない)と答えるのが正道となるのです。
     
    しかし、何事も言うは易く行うは難し、社会の仕組みの中に生きる身には中々捨てきることは難しいです。
    そもそも人間を知れば知るほどに、ロジカルに割り切れるものではないのだと思い知らされます。
    そうした見地に立った時、心に芽生える視点、想いにこそ「慈悲」があるのだと思います。
    慈悲は「慈しみ」「悲しみ」の二字で表現されます。
    有機体で構成される私たち人間は、無常の道理の中で必ず生老病死の苦にさらされ、徹底しようとしてもしきれない悲しさを元来持った生き物です。
    この弱さ、もろさ、あやうさを知るからこそ、同じ悲しみをもつ同類への哀れみ慈しみの心が、人には自ずと芽生えうるのです。
    悲しみに裏打ちされた慈しみの心、故に慈悲というのです。
    冒頭に引用した相田みつをさんは、足利で長らく坐禅会に通われて、このことをよく学んでいるからこそ、その作品には慈悲の眼差しがはっきりとあらわれています。
    「だめだっていいじゃないか、人間だもの」などはその代表と言えるでしょう。
     
    これらは、元々だめなのだから刹那的に生きるべきだ、とか怠惰に自堕落に耽っても良いとかをいっているのでは決してありません。
    ポジティブになれない上手くいかないという時に、そういうこともあるんだよという許しと労り、慈しみの視点が、木石ではない人には必要とされるのです。
    だからこそ、慈悲の心の表れである観音様は、今日まで広く信仰されてきたのでしょう。
    冒頭の一句は、このことをきちんと心しているかと自分に問いかける警句として、いつも自室に掲げているものです。
                          祥雲寺副住職 安藤淳之
    一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
    ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
    この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
    一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?

    日時:10月28日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)

    6時30分~7時10分(一回目の坐禅)

    7時20分~8時    (二回目の坐禅)

    場所:祥雲寺本堂一階

    用意:身一つで大丈夫です。

    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。

     

    注意:初めての方は最初に指導を行います。

    その為可能ならば一回目の坐禅から参加されてください。

    また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています

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