ごあいさつ

宇都宮市の祥雲寺は歴史のある曹洞宗のお寺です。
栃木県庁のすぐ北にあり、自然林の中には西国三十三番の観音像が祀られています。
また、樹齢350年を超える枝垂れ桜の老樹は県天然記念物として有名です。
たくさんの方々に仏教を親しんでいただくことを願いとし、様々な信仰行事を催しています。

ようこそおまいり

座禅会 栃木県宇都宮市の祥雲寺(曹洞宗) | 桜や祭りが名物の寺

座禅会の記事

  • 令和3年9月 朝坐禅会「指月の会」案内

    2021年9月26日

    石彫会「羅漢の会」毎週土曜日午後から集まって500体の羅漢様を彫っています。

    正命 八正道
    5月に引き続き、八正道5番目の正命をテーマにします。
    5月の案内で八正道の説明を取り上げました。
    世に生きる迷い悩み苦しみを滅する事の出来る術がある、それには八つの正しい行い、道を歩みなさいというものです。
    私の大学時代の先生は、仏教とは業すなわち習慣の宗教と説かれていました。
    ある講義で、こんな交通標語で説明をされていました。
    「交通マナー、守るあなたが守られる」
    交通マナーを守ることによって、道路で起こりうる交通事故から身を守ることが出来る。
    守ろうとする意識や習慣が、様々な害からむしろ身を守ってくれるようになる。
    仏教における戒、盗まない殺さない犯さないなどの、しないことを誓うのもこれと同じです。
    悪いことをせず、良いことを心がけ、習慣としていく。
    繰り返し身に付き習慣となったそれが、自ずと善きを選び悪しきから遠ざかる自分にしてくれる。
    業、すなわち習慣の功徳こそ肝心と教わりました。
    今回の正命とは、正しい生活、と現代語訳されます。
    辞書によると
    「正しい生活とは、身口意の三業を清浄にして正しい理法にしたがって生活する」
    三業、人と接する私たちの行い。
    身(行為)は人を苦しめ、口(言葉)は人を傷つけ、こころ(思い)は人を欺く。
    慎もうとしても容易に行いきれるものではありません。
    難しいからこそ、これらは日々の実践によって清めていくしかありません。
    我が宗祖道元禅師は、仏祖に参学することこそ正命と示されました。
    私にとって習うべき仏祖とは、やはり福井の板橋禅師以上の方は居ません。
    生涯を修行僧としてあるべく修行道場を手ずから建てられた禅師様に習おうとしても到らない点は多くありますが、学びまねて、少しずつ近づいていきたいと願います。
    それが自身を清め、そして周囲の人々をも幸せに出来る道であると信じています。
    偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。
    欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。
    我を離れることの出来る閑かな時間を、御一緒にいかがですか?
                     祥雲寺副住職 安藤淳之
    当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。
    初めての方は15分前に来てください。
    次回は10月25日となります。
    また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています。
  • 令和3年8月 朝坐禅会「指月の会」案内

    2021年8月22日

    3年前のお施餓鬼 今年は縮小開催となりました。

    例年通りにできる日を待ち望んでいます。

    正業 八正道
     5月に引き続き、八正道4番目の正業をテーマにします。
     5月の案内で八正道の説明を取り上げました。
    世に生きる迷い悩み苦しみを滅する事の出来る術がある、それには八つの正しい行い、道を歩みなさいというものです。
    私の大学時代の先生は、仏教とは業すなわち習慣の宗教と説かれていました。
    ある講義で、こんな交通標語で説明をされていました。
    「交通マナー、守るあなたが守られる」
    交通マナーを守ることによって、道路で起こりうる交通事故から身を守ることが出来る。
    守ろうとする意識や習慣が、様々な害からむしろ身を守ってくれるようになる。
    仏教における戒、盗まない殺さない犯さないなどの、しないことを誓うのもこれと同じです。
    悪いことをせず、良いことを心がけ、習慣としていく。
    繰り返し身に付き習慣となったそれが、自ずと善きを選び悪しきから遠ざかる自分にしてくれる。
    業、すなわち習慣の功徳こそ肝心と教わりました。
     正業、正しい行い、行為。
    正しい行為の実践とは何であるのか。
    先月仏教における正しいとは「中道」、極端によらず適正で中正な行為を模索し歩むことと書きました。
    欲に流されず、さりとて無欲にこだわるのではない、物事を片側から見るのでなく、中心から、偏りのないところから見ようとする姿勢です。
    偏りから、こだわりから離れた、つまり二辺から遠離した道を歩むことが中道です。
     ではこの中道を踏まえた上で、正業正しい行為とは何であるのか。
    我が曹洞宗の高祖道元禅師は著書『正法眼蔵』の中でこの言葉で正業を説かれています。
    「正業とは出家修道なり」
    お釈迦様の説かれた法を、生きる中に活かす形にしたものが修行生活です。
    どのように生きれば良いのかを、歴代の祖師方が示してくれています。
    だから正しい行為とは、これまで道を人生で示してくれた先達に習うこと、と説かれた言葉です。
     言葉に表すのは容易くても、これは中々その通りに出来るものではありません。
    なので私は、先月と同じような物言いになりますが、これまで出会ってきた見倣いたい人たちの見倣いたいところを出来る範囲でまねるようにしています。
    修業時代、永平寺の宮崎禅師様は「まなぶということはまねるということだ」とお示しくださいました。
    ご縁を頂いた素晴らしい、凄い、素敵な方達の行為をまねてまねて、それを続けられたならやがては自分もそこに近づけることを願って、精進を続けています。
    今は意識して行っていることでも、積み重なって習慣となって、何れは仰ぎ見てきた人たちと同じく成ることが出来る様に、励んでいます。
     偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。
    欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。

    我を離れることの出来る閑かな時間を、御一緒にいかがですか?

             祥雲寺副住職 安藤淳之
    当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。
    初めての方は15分前に来てください。
    次回は9月27日となります。
    また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています
  • 令和3年7月 朝坐禅会「指月の会」案内

    2021年7月25日

    今年も中旬から蓮の花が咲き始めました。

    八月いっぱい、時には9月頭まできれいに咲いています。

    正語 八正道
     
     5月に引き続き、八正道3番目の正語をテーマにします。
     
     5月の案内で八正道の説明を取り上げました。
    世に生きる迷い悩み苦しみを滅する事の出来る術がある、それには八つの正しい行い、道を歩みなさいというものです。
    私の大学時代の先生は、仏教とは業すなわち習慣の宗教と説かれていました。
    ある講義で、こんな交通標語で説明をされていました。
    「交通マナー、守るあなたが守られる」
    交通マナーを守ることによって、道路で起こりうる交通事故から身を守ることが出来る。
    守ろうとする意識や習慣が、様々な害からむしろ身を守ってくれるようになる。
    仏教における戒、盗まない殺さない犯さないなどの、しないことを誓うのもこれと同じです。
    悪いことをせず、良いことを心がけ、習慣としていく。
    繰り返し身に付き習慣となったそれが、自ずと善きを選び悪しきから遠ざかる自分にしてくれる。
    業、すなわち習慣の功徳こそ肝心と教わりました。
     
     正語、正しい言葉。
    正しいとは何であるのか。
    先月仏教における正しいとは「中道」、極端によらず適正で中正な行為を模索し歩むことと書きました。
    欲に流されず、さりとて無欲にこだわるのではない、物事を片側から見るのでなく、中心から、偏りのないところから見ようとする姿勢です。
    偏りから、こだわりから離れた、つまり二辺から遠離した道を歩むことが中道です。
     
     ではこの中道を踏まえた上で、正語正しい言葉とは何であるのか。
    我が曹洞宗の高祖道元禅師は著書『正法眼蔵』の中でこの言葉で正語を説かれています。
    「口宣掛壁」(口は壁に掛けておく)
    口は災いの元、等の言葉でもありますが、言葉は時に自他を縛るものとすらなるものです。
    ある老師の説法にありましたが、
    言葉は自らの意思のままに用いるのではなく、壁に掛かる風鈴のように、どんな方向からどんな風が来ようとも澄んだ音色を響かせている、自らの口も又そのように用いなさい、という説明が私には納得できるものでした。
    だから私は、人と話すときお坊さんらしく話そう、と心がけています。
    仏さまのような心に生きる道を歩む者として、仏法に生きる身として、常に「らしく」話すことが出来る様務めています。
    今は意識して行っていることでも、積み重なって習慣となって、何れは風鈴が涼やかな音色で聞く人を和ませてくれるように、活きた法の言葉を響かせることが出来る様に、励んでいます。
     
     偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。
    欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。
    坐禅の時間とは、静けさに生きる時間です。
    我を離れることの出来る閑かな時間を、御一緒にいかがですか?
                             祥雲寺副住職 安藤淳之
    当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。
    初めての方は15分前に来てください。
    次回は8月23日となります。
    また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています。
  • 令和3年7月 朝坐禅会「指月の会」案内

    2021年6月27日

    7月7日はべんてん祭り。去年は出来ませんでしたが今年は注意しながら開催準備を進めています。

    正思しょうしゆい  八正道
    5月に引き続き、八正道2番目の正思惟をテーマにします。
     先月の案内で八正道の説明を取り上げました。
    世にある迷い悩み苦しみを滅する事の出来る術がある、それには八つの正しい行い、道を歩みなさいというものです。
    私の大学時代の先生は、仏教とは業すなわち習慣の宗教と説かれていました。
    ある講義で、こんな交通標語で説明をされていました。
    「交通マナー、守るあなたが守られる」
    交通マナーを守ることによって、道路で起こりうる交通事故から身を守ることが出来る。
    守ろうとする意識や習慣が、様々な害からむしろ身を守ってくれるようになる。
    仏教における戒、盗まない殺さない犯さないなどの、しないことを誓うのもこれと同じです。
    悪いことをせず、良いことを心がけ、習慣としていく。
    繰り返し身に付き習慣となったそれが、自ずと善きを選び悪しきから遠ざかる自分にしてくれる。
    業、すなわち習慣の功徳こそ肝心と教わりました。
     正思惟、正しい考え方。
    正しいとは何であるのか。
    先月仏教における正しいとは「中道」、極端によらず適正で中正な行為を模索し歩むことと書きました。
    道の人、道を学ぶ者が実践してはならない二つの極端がある。
     その二つとは何か。
     一つはもろもろの欲望のままに快楽にふけり、下劣、野卑で、愚かな行いであり、高尚でなく、為にならないものである。
     他は自ら身体を苛むことに耽り、苦しみであり、高尚でなく、為にならないものである。
     人格を完成した人はこの両極端に近づかないで中道をはっきりさとった。
     それは見る眼を生じ、理解を生じ、心の安らぎ、すぐれた智慧、正しいさとり、涅槃に向かうものである。
                                            『相応部経典』
     欲に流されず、さりとて無欲にこだわるのではない、物事を片側から見るのでなく、中心から、偏りのないところから見ようとする姿勢です。
    偏りから、こだわりから離れた、つまり二辺から遠離した道を歩むことが中道です。
     ではこの中道を踏まえた上で、正思惟ただしい考え方とは何であるのか。
    我が曹洞宗の高祖道元禅師はこの古語を引用して正思惟を説かれました。
    「不思量をどのようにして思量する? 非思量」
    意訳するならば 考えるのでないことをどのように考えるか?答えは考えないことだ。
    頭で考えようとすると難解この上ない文ですが、坐禅をしてみるとそのまますとんと腑に落ちます。
    偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。
    欲から離れた、我を起点としない時間。
    これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。
    我を離れることの出来る閑かな時間を、御一緒にいかがですか?
                    祥雲寺副住職 安藤淳之
    当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。
    初めての方は15分前に来てください。
    次回は7月26日となります。
    また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています。
  • 令和3年5月 朝坐禅会「指月の会」案内

    2021年5月23日

    茶道教室。火曜日に行っています。

     

    正見          『八正道』
     
     上記の「正見」は釈尊最初の教え、四諦八正道のものです。
    四諦とは、苦集滅道、世間に自分の思い通りにならない苦しみがある、その苦しみには原因がある(集)、その苦しみを滅する事が出来る、滅する事で苦悩を離れ安楽の境地に到るには正しい道を歩みなさい、という教えです。
    正しい道、というのが八つの正道則ち八正道です。
    ・正しい見方(正見)
    ・正しい考え方(正思惟)
    ・正しいことば(正語)
    ・正しい行い(正業)
    ・正しい生活(正命)
    ・正しい努力(正精進)
    ・正しいおもい(正念)
    ・正しい心の統一(正定)
    八正道とは人間の身体と口と心との三種類の行為をすべて正しく日常の中で実践することによって苦をなくす方法です。
    世間は自分の思うようにならないことを自覚し、ものにとらわれ、こだわり、なずむ等の心のはたらきをなくしていくよう自分を習慣づけていく行為、と言えるのでしょう。
     
     では正見とは、正しい見方とはどのようなものであるのか。
    正しいを考える時、私はいつもある戦争物語のラストシーンの台詞を思い出します。
    「僕たちはみんな自分が正しい、正義だと思っている。
    その正義を互いにぶつけ合うから、争いになる。
    だから戦争は無くならない」
    正しい、正義は時代環境で変化し、時に個人や集団の欲望を肯定する道具となり争いの火種となり、とんでもない差別をも生み出します。
    以来私は、正しいというのは水物だ、と思っています。
    状況に左右されてしまうあやふやな、偽りのありえるもの、検証を要するもの、と。
     
     故に正見とは、千も万も正論があふれる中で、「最も適正で中正な行為、あるいは道」中道を見定めていく智慧を養うことに他なりません。
    ある老師は
    「正見とは則ち見解がない、ということだ。
    世にある知識見解は全て自己愛や存在欲、『私が』という意識から生まれるものだ。
    仏道はその渇愛煩悩、欲を乗り越える道なのだ。
    正見とは、存在欲を離れ知識見解に依って立つ必要の無くなった、見解がない境地を言うのだ」
    と説かれていました。
    極端に依らず、我見を離れ、世間と調和のとれた、バランスのとれた観察を行い、偏りがない考え方や生き方を指向していく、見定めていくことが中道です。
     
     中道の中にこそ心の平穏は実現し、そして坐禅はこの平穏の中に誰であれ安んじることのできる、安楽の法門なのです。
    我見を離れることの出来る閑かな時間を、御一緒にいかがですか?
                      祥雲寺副住職 安藤淳之
    当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。
    初めての方は15分前に来てください。
    次回は6月28日となります。
    また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています。
祥雲寺行事案内

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