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令和元年5月 朝坐禅会「指月の会」案内
2019年5月22日直指人心 見性成仏先日研修会で、中国禅宗の思想少史として駒澤大学の小川先生の講義をお聞きしました。上記の文言は禅宗が中国に入った唐の時代、禅宗思想を端的に表す言葉として出てきたものです。禅宗の初祖達磨大師はなぜインドから中国に渡ったのか。それは各々の心を指さし、その心こそ仏なのだと自覚させる為である(直指人心見性成仏)先日にも書いたことですが、私は坐禅こそが即ち生き仏であると永平寺で知ることができました。私の僧侶としての確信に、改めて傍証を得た思いです。多くの方に「ほとけごころ」を感じてもらえるよう、またこの度も励んで臨みたいです。祥雲寺副住職 安藤淳之一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?日時:5月27日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)
6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
7時20分~8時 (二回目の坐禅)今回は出張の為一回目のみとなります。
場所:祥雲寺本堂一階
用意:身一つで大丈夫です。
足の組めない方は椅子での坐禅もできます。
注意:初めての方は最初に指導を行います。
その為可能ならば一回目の坐禅から参加されてください。
また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています
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31年4月 朝坐禅会「指月の会」案内
2019年4月20日『捨てれば必ず軽くなる 捨てて、軽やかに生きなさい。』-スッタ二パータ
この朝坐禅会を初めてちょうど四周年となりました。
何人もの方に来ていただいて共に修行の時間が過ごせることを、
大変ありがたく感じます。
初心を振り返る意味で、最初の文を再掲します。
先日NHKの番組で、ぼんやり術の特集、というものがありました。静かなところで何も行わず、ただぼんやりとすることで、頭がすっきりして血圧が下がる等の効果があり学校教育にも取り入れられている、という内容でした。
お寺では、昔からこれに類することを行ってきました。坐禅です。
昔から禅寺では、朝に暁天坐禅という坐禅の時間を設け、心身を整えて一日の修行に向かってきました。
心を落ち着け体の調子を整え思考をクリアにしてくれる坐禅は、「安楽の法門」ともよばれています。
時間に追われる忙しい現代においてこそ、何にも取り組まず頭をからっぽにして「軽やかになる」時間を持つことは、とても必要なことだと思います。
一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?
日時:4月22日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)
6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
7時20分~8時(二回目の坐禅)
場所:祥雲寺本堂一階
用意:身一つで大丈夫です。
足の組めない方は椅子での坐禅もできます。
また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。
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31年3月 朝坐禅会「指月の会」案内
2019年3月24日先月祥雲寺参拝旅行としてお檀家さん方とミャンマーへお参りしてきました。
どんな旅行であったかは二つ前の更新での写真や報告をご覧いただくとして、今回の旅行は私にとってとても得る者の大きい、励みになる経験をさせてもらえました。
ミャンマーは永らく仏教徒の国として歩んできました。
ミャンマー随一の聖地とされるシェンダゴンパゴダはお釈迦様から直接に賜った御髪を納めた仏跡として、つまり由緒としては約2600年前から信仰され続けている場所となるのです。
この国は決して平和な国と表現できる場所ではありません。様々な動乱があり今なお火種を抱えている場所でもあります。
それでも尚、人々は真摯に手を合わせ親身に人を遇してくれている。教えを尊んで毎日を歩んでいる。その日々の総算が素晴らしい仏教文化として華開いているのだと思います。
「願わくはこの功徳をもって普く一切におよぼし、我らと衆生と皆共に仏道を成ぜんことを」
大乗仏教徒の誓い、いつもお唱えしている普回向の通りに、願わくは私もかくありたい、同じように道を歩みたいとの思いを新たに出来ました。
また十年もしたら、同じようにお参りが出来るよう企画してみたいものです。
祥雲寺副住職 安藤淳之
一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?日時:3月25日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)ミャンマー参拝の為今回は第三週開催
6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
7時20分~8時 (二回目の坐禅)
場所:祥雲寺本堂一階
用意:身一つで大丈夫です。
足の組めない方は椅子での坐禅もできます。
注意:初めての方は最初に指導を行います。
その為可能ならば一回目の坐禅から参加されてください。
また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています
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31年2月 朝坐禅会「指月の会」案内
2019年2月13日皆まさに塔を建てて供養すべし 故は如何まさに知るべし この所は即ち是道場なり
『妙法蓮華経如来神力品』
来たる2月19日から祥雲寺主催ミャンマー参拝旅行に行って参ります。
この企画は平成28年のインド仏跡参拝旅行から温めてきた物です。
今回の企画の三本柱として
・他国の仏教信仰、文化に触れる。
・宇都宮は太平洋戦争時、駐屯兵団がミャンマー方面に出兵した為インパール作戦従軍の帰還者、戦没者が多い。
故に縁故の地の子孫として今も現地で守られている戦没者慰霊碑にお参りを行う。
・もちろん折角の海外旅行、観光を楽しむ。
を掲げ、計画してきました。
ミャンマーは国民の大半が仏教徒の仏教国です。
国土の至る所にパゴダと呼ばれる仏塔が建てられ、お参りされています。
塔というのは仏教のシンボルでもあるのです。
お釈迦様は80歳の2月15日に亡くなられ、その遺体は火葬されて分骨され、沢山の塔に納められて崇拝されてきました。
法華経の神力品に曰く
「いかなる所でも塔を建てて供養しなさい。道を歩む者は仏塔を人生の問題を解決する道場と見定め、ここで修行し智慧の眼を開き、涅槃の境地に入ったのだ」
塔こそ仏教のシンボルとされたからこそ、日本のお寺でも三重の塔などの仏塔が建てられ、お墓も仏塔を模した石塔が建てられてきたのです。
ミャンマーの旧首都ヤンゴンの中心には、同国の信仰の中心ともなっている壮麗な仏塔、シュエダゴン・パゴダがあります。
お釈迦様が悟りを開いた直後、帰依した旅の商人が数本の髪の毛を頂戴し、それを塔に奉ったことが起源だそうです。
願わくはこの参拝旅行が良い縁と、参加者皆にとって素晴らしい機会となる様、私も心して最後の準備に臨みたいと思います。
祥雲寺副住職 安藤淳之
一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?日時:2月18日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)ミャンマー参拝の為今回は第三週開催
6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
7時20分~8時 (二回目の坐禅)
場所:祥雲寺本堂一階
用意:身一つで大丈夫です。
足の組めない方は椅子での坐禅もできます。
注意:初めての方は最初に指導を行います。
その為可能ならば一回目の坐禅から参加されてください。
また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています
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31年1月 朝坐禅会「指月の会」案内
2019年1月26日善因善果 悪因悪果
新年おめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願いいたします。
昨年年末に読売新聞の海外社会欄を読んでいて気になる記事がありました。
「LGBTの楽園 裏に差別」という性的マイノリティ差別の現場を取材した記事です。
その差別の現場取材で、
“信仰が深い年配者や都市部以外の伝統的な地域社会で暮らす住民の間では、LGBTは「前世の業を背負って生まれてきた」とする考えが根強く残っている”
という部分が目にとまったのです。
私が気になった理由は「タイでも間違った業論が根強くあるのか」でした。
「前世の悪業の因縁で今世の悪い境遇がある」という言い回しは二昔前にはよく、今でも少々聞く言い回しです。
日本でも長らく使われた論法ですが、これは元来の仏教からすれば誤りです。
私の大学時代の恩師、駒沢大学名誉教授の田上太秀先生は仏教の平和活動という講演の中で
「元来の仏教に差別はない。勉強不足の人が間違った業の使い方をする。
業とは日々の行い行動によって培われる、常日頃の習慣なのだ。
自らの為他人の為、周囲や未来の為になる事を心がければ、それが習慣となり身についていく。
その生き方が自らを良き人とし、それが周囲に伝播していったならば世の中を良くしていくこととなる。
逆に悪いことを行い続けたなら、習慣となり身について、自分にも他人にも悪い環境を作ってしまう。
業とはするべき事、するべきでないことを身につける事。習慣のめぐみを言うものなのだ。」
という大意のお話をされていました。
仏教は歴代の祖師が身を以て示してきたように「自らの生き方を問う物」なのです。
日常生活でいかに己を律し、正しい習慣を身につけて生活するかを教えているに過ぎないのです。
その結果それが周囲に影響し、世を平らかならしめていくことを願う。
それが仏教徒の平和活動となるのだと、私は教わりました。
業は、生き方の違う人を非難する材料などではなく、まして差別の理由づけに用いられるものではないのです。
悪いことをすれば自らが汚れ、良いことをすれば自らが清し。
その生き方の中には、他人を悪し様にとらえる差別なんてなくなるはずです。
きちんとした言葉で、正しく仏法を伝えられるよう、今年も精進していきたいと思います。
祥雲寺副住職 安藤淳之
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日時:1月28日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)12月のみ第三週開催
6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
7時20分~8時 (二回目の坐禅)
場所:祥雲寺本堂一階
用意:身一つで大丈夫です。
足の組めない方は椅子での坐禅もできます。
注意:初めての方は最初に指導を行います。
その為可能ならば一回目の坐禅から参加されてください。
尚、次回は第三月曜日となる18日に開催します。
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