ごあいさつ

宇都宮市の祥雲寺は歴史のある曹洞宗のお寺です。
栃木県庁のすぐ北にあり、自然林の中には西国三十三番の観音像が祀られています。
また、樹齢350年を超える枝垂れ桜の老樹は県天然記念物として有名です。
たくさんの方々に仏教を親しんでいただくことを願いとし、様々な信仰行事を催しています。

ようこそおまいり

お知らせ 栃木県宇都宮市の祥雲寺(曹洞宗) | 桜や祭りが名物の寺

地域や歴史についての記事

  • 平成29年5月 観音朝詣りのお知らせ

    2017年5月14日

     

    本堂前のツツジ

     

    今年は例年以上に色鮮やかに咲きました。

     

    名古屋市の熱田神宮の少し南よりを流れる精進川に裁断橋という小さな橋が掛けられています(今はもう流れはなく橋だけになってしまいました)。

    古くから神域に入る禊(みそ)ぎの橋であったものですが、江戸時代のはじめにこの橋を豊臣秀吉の北条攻め(小田原の陣)で息子を亡くした母親が33回忌の供養に全財産をなげうって架け替えました。

    その母親の筆になる願文が橋の擬宝珠(ぎぼし)に残されています。

     

    「天正十八年二月十八日に小田原の御陣、堀尾金助と申す十八になりたる子を立たせてより、またふためとも見ざる悲しさのあまりに今この橋を掛けたるなり。

    母の身には落涙ともなり即身成仏し給え。

    (戒名)逸岩世俊と後の世のまた後まで、この書きつけを見る人は念仏申し給へや。

    三十三年の供養也」

     

    子を失った母の悲しみと、故人の後生を願う心の痛切さが惻々として心に沁みる文章です。

    戦いに死ぬのが武士の常であった戦国の世といえど人の心に変わりはないことがよくわかります。

     

    死んだ子の供養に橋を架け替えたのには訳があります。

    橋は渡すものを選びません。

    堀尾金助は戦いに死にましたが、橋は敵も味方もともに渡します。

    人であろうと動物であろうと物であろうとわけへだてなく渡してその為になります。

    この母親は橋を掛けることによって金助が争いと恨みの岸を離れて成仏することを願ったのです。

     

    平成29年5月15日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    18日の朝詣りは午前6時から行います。

     

  • 平成29年4月 観音朝詣りのお知らせ

    2017年4月15日

     

    今年のしだれ桜

     

    例年より開花は遅めでした。

     

    銀(しろがね)も 金(くがね)も 玉も何せむに

    まされる宝 子に如(し)かめやも

    万葉集巻の五 山上憶良 子を思う長歌の反歌

     

    有名な歌ですからご存知の方も多いと思います。

    「世に宝といわれる銀も金も玉も何ほどのことがあろうか、子に勝る宝はない」という意味もどなたにもわかりやすく受け取れると思います。

     

    私には6才と2才の孫がいます。

    やんちゃな男の子ですがこれがかわいい。

    東京から来るたびに成長の早さに驚かされます。

    上の子がお兄ちゃんらしく弟を思いやっているのはほほえましく、弟は一挙手一投足がすべてかわいい。

    まさに座敷の花です。

     

    そんな孫たちを見ていると、この子たちの生きる時代が幸せなものであって欲しいとつくづく思います。

    この子たちは、これから21世紀を生き、22世紀まで生きるかもしれない。

    私には知ることのできない世界です。

    でも、その世界がコンピューターに支配されていて、人間が創造性を持って生き生きと生きることのできない世界になってしまうかもしれない。

    それよりも前に、愚かな指導者によって世界戦争や、内乱の相次ぐ世界になってしまったら、と心配は尽きません。

     

    幼い子供たちを通して、世界の未来の平安を願う気持ちは、現実的に、そして深く強いものとなってきます。

     

    冒頭にあげた山上憶良の歌の前には序文があります。

     

    釈迦如来、金口に正に説きたまはく、衆生を等しなみに思うこと、羅睺羅のごとし。

    又説きたまはく、愛しみは子に過ぎたるは無しとのたまへり。

    至極の大き聖すら、尚し子を愛しむ心あり。

    況んや、世間の蒼生、誰か子を愛しまざらむ。

    (註)羅睺羅とはお釈迦様の実子の名前です

     

    私に残された時間は少なく、たいした力もありませんが、それでも世の幸せを願う祈りだけは絶やせません。

     

    平成29年4月15日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    18日の朝詣りは午前6時から行います。

     

  • 平成29年3月 観音朝りのお知らせ

    2017年3月17日

     

    境内に咲く梅の花、もう冬も終わりです。

     

    東日本大震災から六年が経ちましたが、被災地の傷跡はまだまだ残されています。

    とりわけ原発事故に見舞われた福島県の現状は深刻です。

    放射能の除染が終わり帰還可能とされた地域でも、帰らない人が多い。

    避難先で生計が立つようになった人にとっては、いかに住みなれ愛着のある故郷であっても、人が少なく将来の見通しが立たない状況の所に帰るのは勇気がいるでしょう。

    それがさらに過疎を進めます。

    ともかく、簡単に解決することではありませんから、これからも長い支援が必要でしょう。

    国や公共機関だけでなく、私たちが息長く続けていくことです。

    そんな中で、何とも悲しい出来事が起こっています。

    疎開した子供達が、いじめを受けている例がいくつもあるというのです。

    それも、放射能を持っていて危険だからなどという、ありようもない理由です。

     

    転校生がいじめられることは昔からありました。

    子供故の未熟によることで、いじめ自体が親や教師や世の大人達が正さねばならないことですが、放射能ゆえというのはやりきれない情けなさを感じます。

     

    あの時、私たちは迫りくる大津波に逃げる人々、なすすべもなく飲み込まれていく家々や車を見ていました。

    あの中にはどれほどの人がいるのだろうと胸潰れる思いであり、安全なところにいてテレビ画面で見ていることに申し訳なささえ覚えました。

    そして福島第一原発のメルトダウン。

    緊張を持って政府の発表を待ちました。

     

    人ごとではない、本当に悲しみ、悼み、思いやる。

    そんな気持ちが国民に共有されていたと思います。

    いま、子供達がこんなことを言うのは、大人達の気持ちがいつの間にか震災の被害を人ごととするようになってきたからでしょう。

    あの出来事は簡単に忘れてはならないことです。

     

    3月11日、震災慰霊塔の前で七回忌の追悼法要をいたしました。

    参列者は数十人でしたが、回向の写経が600枚以上納められました。

    たくさんの方々の追悼の気持ちを代表して手を合わせ、深い祈りをすることが出来ました。

     

    平成29年3月15日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    18日の朝詣りは午前6時から行います。

     

  • 東日本大震災7回忌慰霊法要のご案内(3月11日午後2時半より)

    2017年3月9日

     

    東日本震災3回忌慰霊法要時

     

    栃木県は被災地に隣接しており、県北は被害を受けたところも多く、震災の災禍を我がことのように感じている人も多くいらっしゃいます。

    そうしたことから震災二年後の折に境内の無縁供養塔に震災慰霊碑を建て、皆で震災当日を祈り偲ぼうと呼びかけました処、大変多くの反響をいただきました。

     

    今年は震災より6年、七回忌の節目の年になります。

    この節目の時、震災で災禍に合われた方たちの為に、皆で祈りの時間を再び過ごしたいと思います。

    3月11日午後2時半より始めます。

    お檀家であるなしの別はありません。

    御心を寄せられる方々の参集をお待ちしています。

    東日本大震災七回忌慰霊供養法要

    日時:3月11日午後2時半より(1時間未満)

    場所:祥雲寺境内しだれ桜裏、無縁供養塔前

    次第:慰霊塔前にてお檀家に書写いただいたお経を読み黙祷、焼香。

    その後本堂前広場にて写経のお焚き上げ。

     

  • 平成29年2月 観音朝詣りのお知らせ

    2017年2月15日

     

    涅槃会(釈尊の命日)に折り紙教室の人たちがお参りしています。

     

    電車の優先席を譲らない若者が多くなっているそうです。

    これについてのテレビ番組を2つ見ました。

     

    一つは、老人が優先席に座っている若者に席を譲ってくれと何度も促したのに対して、若者は拒否して座り続け、老人をののしりました。

    その様子が動画に撮られ、ネットで広がったのですが、それを見た人たちの反応は老人を批判するものが多かったそうです。

    老人の態度が上から目線で感じが悪いというのです。

     

    この報道が契機になったのでしょう、若者達に電車で年寄り、妊婦、障碍者に席を譲るかを聞いた別の番組がありました。

    問われた若者達も、譲らない、譲りたくないと答えた人たちが多かったのです。

     

    理由として、席を立って譲ったが断られたことがあるからというものが多くありました。

    特に年寄りについては、自分はまだ若いと思っているかもしれずかえって失礼なことをしたと思ったという人もいました。

    しかし全体的には、断られること自体が不愉快と感じた人が多いようです。

     

    疲れていて座っていたいという時もあるかもしれません。

    事情はいろいろで一概に批判することは出来ませんが、わざわざ優先席と表示してある場所ですから、席を立つのが本来であるべきです。

     

    断られるのがいやという気持ちの中には、何事についても自分を否定されたくないという感情が含まれています。

    人間として自然なことでありますが、それを抑えてでもするべきことがあり、それによって人間の社会が成り立っています。

     

    優先席は、人々の善意に期待して設けられているので、規則ではなく、まして法律ではなく、境石力はありません。

    しかし、弱きものに思いやりを持ち、助けていこうとすることは、法律よりももっともっと大切なことです。

    断られても、断られても譲っていっていただきたいのです。

     

    平成29年2月15日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    寒さきわめてきびしい時ですので

    18日の朝詣りは午前9時から行います。

     

祥雲寺行事案内

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