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平成23年1月朝参りお知らせ
2011年1月15日県庁から見た祥雲寺(2008年1月)
明けましておめでとうございます。
祥雲寺西国観音霊場の観音像は、先代裕之和尚が発願し真岡の石工綱川一氏によって昭和56年から58年にかけて刻まれたものです。
先代が遷化した昭和62年当時は本堂の周りに並んで置いてありました。
これを墓地以外の境内全域に安置することとし、魂のこもったものとするために平成元年から4年にかけて西国観音霊場を巡礼しました。
各々の霊場の雰囲気を少しでも写し取った形で安置したいものと考え、金野石屋さんと栃木造園の佐藤さんに巡礼団に加わっていただきました。
全て安置し終わっての完成式は平成5年5月、先代住職の7回忌に行いました。
本堂の西側、3番観音から石段を登ったところに聳える十三重多層塔はその時に大雄山最乗寺山主余語翠厳老師(後の大本山總持寺副貫主)によって点眼された報恩塔です。
巡礼参加者が信心を込めて勧請した観音様ですので、多くの人が揃ってお詣りできるようにしたいと考えてその年の10月、朝詣り行事が始まりました。
観音様の縁日にちなんで毎月18日としました。参加者への案内葉書に文章を添えるようになったのは翌平成6年の4月からです。
ですから今月の朝詣り行事は208回目、この通知は202号になります。
一回も休まずにこんなに長く続けることができたのは、参加してくださる方々の御信心にあと押しされたからです。
凍える寒さの日、雨の日、雪の日、いろいろありましたが、揃って鈴を鳴らし十句観音経を唱え回り終わった時のすがすがしさは格別です。
春にはうぐいすが唱和してくれますし、新緑や紅葉の素晴らしい日もあります。
なにより、一体一体の観音様の前で、都合3度の巡礼の思い出、18年間の朝詣りの際のいろいろな思い出が重なります。
今年はうさぎ年、新しい方々にたくさん参加していただいて信心の輪を未来に拡げたい、そんな飛躍の年になることを願っています。
平成23年1月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の朝詣りは午前6時半から行います。
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平成22年12月朝参りお知らせ
2010年12月16日12月8日納経会(成道会)、本尊様の台座に経石を投入している写経会メンバー
SF映画「ターミネーター」は、コンピューターが支配するロボットによって人類の未来が脅かされるストーリーですが、それが現実になるかもしれません。
NHK番組クローズアップ現代で先月にアメリカのロボット兵器が紹介されていました。
アフガニスタンやイラクなど世界各地に軍隊を派遣して戦っているアメリカは、兵士の安全のためにロボット兵器を積極的に導入しています。
合金や強化プラスチックで作られたロボットは、潜んでいる敵を見つけ出すために暗夜や地中でも捜索できるハイテクセンサーを備えたものや、銃弾だけでなく、火焔を噴射しロケット弾を発射できるものなど、いわゆる殺人マシーンです。
プレデター(捕食者;なんともおぞましい名前です)という無人偵察機は、数万キロ離れたアメリカ本土のセンターから人工衛星を使って遠隔操作されています。音の発生を極力抑えた設計で、上空から忍び寄って敵と思われる人間や施設を攻撃します。誤認によって殺された人も多いということです。
操作をしている人の中には、若い女性もいます。
おそらくは知能指数が高くコンピューターに通じ軍人としての教育を受けた優秀な人達でしょうが、勤務が終えればソフトドリンクを飲みながら友達とのおしゃべりに笑い転げる女の子という感じです。
インタビューを受けた女性は、この仕事を”おもしろい”と語っていました。
彼女たちに殺される兵士たちにも、家族があり、友があり、人生への熱い思いがあるはずですが、彼女らにはそれが見えません。
人間ではなくただ抹消すべき敵なのです。彼女たちは無邪気にアメリカの正義を信じています。
本当に恐ろしいのは、この世に生きているのは同じ人間であるという共感を失って、自分たちの世界観から生まれた「正義」を振りかざして、敵を作り出していく人達の心です。
それがロボット兵器を生み出しています。たとえアメリカの民主主義がいかに素晴らしくても、それを相対化してみる柔らかい心を持たないと、人類は滅びます。
平成22年12月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の観音様の朝詣りは午前6時半から行います。
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平成22年11月朝参りお知らせ
2010年11月15日菊の大輪(於 庫裏前)
菊を采(と)る東籬(とうり)の下、悠然として南山を見る(陶淵明の詩「飲酒」の一節)
[意味]我が家の東側の籬(まがき)のもとの菊を手折り、ゆったりした心持ちで南の山を眺めている。
中国南朝の詩人陶淵明が、故郷に隠棲した日常を詠んだ詩の一節です。
漢文訓読みにすると、散文では伝わらない詩人の清澄な心持ちが伝わってくると思います。
清澄さを際立たせているのが菊の花です。
菊は気品ある姿ときよらかな香りによって長く尊ばれてきました。
中国原産で、日本には平安時代の初め頃に入ってきました。
王朝時代には中国文化の薫りを伝えるエキゾチックな花として珍重されました。
晩秋、菊の花が咲くと秋も終わりになります。
菊より後に咲く秋の花はない、それもこの花が珍重される理由でした。
心あてに 折らばや折らむ はつ霜の
おきまどはせる 白菊の花(凡河内躬恒)百人一首でおなじみのこの歌でも、初霜に凛然と咲く菊の気品が伝わってきます。
日本人の感性に合ったのでしょう、「春の桜」に対する「秋の菊」として日本を代表する花になりました。
後鳥羽上皇が手回りの品に菊の紋を用いてから皇室の紋となり、日本の象徴となりました。
ヨーロッパには18世紀に中国から移入され、さらに幕末の日本から伝えられて人気のある花になりました。
フランスなどの国では墓参の花として用いられ、洋菊として逆輸入され葬儀の際の献花に用いられています。
アメリカで開発された大量栽培が可能な品種が用いられているのですが、消耗品扱いされて粗末にされているのを見ると悲しくなります。
菊花は日本人の心映えを象徴する花だと思うのです。
祥雲寺の受け付け庫院の入り口には、今年も別井保行さんが持ってきてくれた鉢が並んでいます。
一鉢で三輪ずつ、三鉢で計九輪の菊です。
丹精の程が偲ばれる見事な大輪の花が参詣の方々を楽しませてくれています。
平成22年11月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の観音様の朝詣りは午前6時半から行います。
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平成22年10月朝参りお知らせ
2010年10月16日星ヶ丘中学サッカー部座禅会
人生、楽しきは相知の心に在り(王安石「明妃曲」)
「相知の心」とは心を通い合わせること。
夫婦であれ親子であれ師弟朋友であれそのような人間関係を持つことのできた人はしあわせです。
王安石は11世紀中国宋代の政治家。
詩人、文章家としても名高い人です。
彼が提唱し推進した新法と呼ばれる政治改革は、窮乏した政府財政を立て直し、軍隊を精鋭化し、人民の生活を向上させるためのものでした。
彼は、人民の窮乏を救うことが国家の繁栄をもたらすと考えました。
農民を収奪する大地主や経済を牛耳る大商人の特権を削ぐ政策を実行しました。
国を動かす高級官僚の多くは富裕な地主層の出身であり、また商人とも結びついていましたから激しい反対にあいました。
しかし、彼は断固として改革を実行しました。
そしてその改革は相当な成果を上げたのです。
彼の改革に反対し、左遷された人の中には、司馬光や蘇東坡といった中国の歴史の中でも第一級の文化人がたくさんいました。
そのため、歴史上画期的な改革を成し遂げたにもかかわらず、後世の中国人の彼に対する評価はおおむね否定的です。
文章、詩、政治実績は素晴らしいが人間性が良くないと評した人もいました。
冒頭にあげた「明妃曲」も実は非難された詩です。
明妃とは漢の時代匈奴の王と政略結婚をさせられた絶世の美女、王昭君のことです。
故郷を思いながら野蛮の地で一生を終えた悲劇のヒロインとされました。
実際の王昭君は、匈奴の王に愛され幸せだったようでそのことは王安石も知ることだったのでしょう。
明妃曲では、冒頭に掲げた一節の前に、「漢の王室の仕打ちは冷たく、匈奴王の愛情は深かった」という言葉があります。
これが中華思想に凝り固まった人から愛国心が足りないと非難されたのです。
王安石は、熱心な仏教徒でその平等思想をよく理解していました。
そのため国家や民族、階級や貧富、男女の別なく人間を平等に見ることができた人でした。
妻や娘たちとやりとりした詩が残されていますが、ほのぼのとした暖かみがあり、人間性の素晴らしさが感じられます。
平成22年10月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の観音様の朝詣りは午前6時から行います。
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平成22年9月朝参りお知らせ
2010年9月13日庫裏横手の百日紅
NHK朝の連続テレビドラマ「ゲゲゲの女房」は久し振りに面白い。
視聴率も上々のようです。
私はドラマの中の受け手の世代になります。
紙芝居、貸本漫画、漫画の月刊少年誌から週刊少年誌、5歳のころから高校生まで、すべて同時代のこととして育ちました。
「悪魔くん」や「鬼太郎」も面白く読んでいました。
大学生になってもドラマの中で「ゼタ」という名で出てくる「ガロ」という漫画雑誌はよく読んでいました。
ドラマの中で水木しげるさんの兵隊時代の話は、父親が同年代の人達と話しているのをそばで聞いていた思い出と重なります。
特に印象に残るのは水木さんの次の言葉です。
「自分は生きて帰ったものには同情せんのです。死んでいった人達はかわいそうだ。」
真珠湾攻撃から終戦まで、祥雲寺のお檀家で戦死した人達は166人。
ニューギニアで、ルソンで、ビルマで、命を散らしていきました。
無事に帰ってきた人達も悲惨な戦争を骨の髄まで味わった人達です。
父も2年半の中国戦線、さらに千島守備隊から2年間のシベリヤ抑留に遭いました。
その人たちが戦中のことを話していて最後によく言っていた言葉が「何だかんだ言ったって俺たちは幸せだ。死んでいったやつらは本当にかわいそうだ。」でした。
水木さんの、生きて帰ってきたものには同情しないという言葉は、戦争の悲惨を本当に味わった人にして言えることです。
死者への悼みであり、自己を含めて生きて帰ってきたものへの励ましであり、平和のありがたさのうったえでもあります。
過酷な時代を生きた大正年代の多くが鬼籍に入ろうとしている今日、平和な時代に生きることの出来た私のような戦後世代がよくよくかみしめなければならない時代のメッセージだと思いました。
平成22年9月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の観音様の朝詣りは午前6時から行います。