ごあいさつ

宇都宮市の祥雲寺は歴史のある曹洞宗のお寺です。
栃木県庁のすぐ北にあり、自然林の中には西国三十三番の観音像が祀られています。
また、樹齢350年を超える枝垂れ桜の老樹は県天然記念物として有名です。
たくさんの方々に仏教を親しんでいただくことを願いとし、様々な信仰行事を催しています。

ようこそおまいり

栃木県宇都宮市の祥雲寺(曹洞宗) | 桜や祭りが名物の寺

新着ブログ

  • 令和6年5月 朝坐禅会「指月の会」案内(5月27日朝6時半より)

    2024年5月26日

     

     花はただ咲く ただひたすらに

    ただになれない 人間のわたし                 「相田みつを」

     

     上記は栃木県足利市の書家にして詩人、相田みつをの作品の一つです。

    「つまづいたっていいじゃないか、人間だもの」の言葉は、きっと皆さんも聞いたことがあるかと思います。

    今月20日で生誕百年を迎えたとのことで、下野新聞にも記事が載せられていました。

     

    相田さんは足利で生まれ活動し、長く曹洞宗のお寺の坐禅会に通われていました。

    ご自身でも深く勉強され、東京の相田みつを美術館では読み込みすぎてすり切れた正法眼蔵が展示されてもいました。

    だからこそ、その作品の多くに色濃く禅の思想や道元禅師の影響が表れています。

    感心するのは、経典の難しい言葉や思想を平易な、柔らかい、短い言葉で優しい文字でご自身の作品にされていることです。

    深く理解し、ご自身の血肉とされているからこそここまで自由闊達な表現が出来るのでしょう。

     

     私は東京に出て、ちょっと時間が空いたときには有楽町の国際フォーラム地下にあるあいだみつを美術館によく行っていました。

    勉強ともなり、素晴らしい作品に感銘を受けながら一息付けるので貴重な落ち着ける場所でしたが、残念ながら今年一月で施設工事の為閉館となりました。

    再開は未定とのことですが、是非ともまた開業してほしいものです。

    尚、今年の生誕百年を記念して、故郷足利の美術館にて7月から8月で展覧会が催されるそうです。

    私も行くつもりですが、興味を持った方には是非とも観覧してほしいものです。

     

     さて、上記の言葉は相田さんの素晴らしい作品の中でも、とても強く感銘を受けた作品です。

    出来るならば氏独特の字体で表現された原作をご覧頂きたいものですし、芸術表現は受け取る個々人の感想こそが正解なのですが、私なりに拙い感想を述べたいと思います。

    人が自然や山野に生きる動物に時に感銘を受けるのはどうしてなのか。

    作為も嘘偽りも無く有様そのままに生き生きとし、鎮座する曇り無さに感動するからではないでしょうか。

    有るべくしてあるものは、ただそのままに素晴らしく、円かに調和して、時に美しい。

    花はその命の有り様そのままに、力むことも心を費やすことも無くただ咲いてただ散る。

    迷いやとらわれはからいを持ち込まない、命そのままにただ生きる、ただ美しく在ることの素晴らしさを万の言葉より雄弁に表現し尽くしている。

    だから、花は「ただ」咲く ただひたすらに。

    でも私たちは、その素晴らしさを知ったとしても、なかなか同じように生きられるものではない。

    解っちゃいるけど、やめられない。 

    「ただ」になれない人間の私。

    そんな人間の弱さや悲哀を穏やかに受け止めてくれる、共感の、慈しみの眼差しを、私はこの一文に感じるのです。

    人の弱さに寄り添うように眼差しを向けてくれる、観音様とはこの様ではなかろうかと私は思っています。

     

    心にゆとりを持ちにくい現代だからこそ、多くの人に知ってほしいと願う作品です。

     

    祥雲寺 安藤淳之

     

    偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。

    欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。

    我を離れることの出来る閑かな時間、坐禅の時間を御一緒にいかがですか?

    当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。
    初めての方は15分前に来てください。
    来月の開催は6月24日となります。
    また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています
  • 5月 観音朝詣りのお知らせ

    2024年5月18日

     昨年、退任記念に自費出版した「守拙」を差し上げた方から、内容についての感想の手紙をいただきました。

    その中に、自然と調和して生きることが仏教の教えとの私の言葉にうなずき、感謝こそが人倫の基との考えに共感しましたと記されてありました。

     この方は、「守拙」を通して私が言いたかったことの本線をきちんと捉えていらっしゃいます。

    とても嬉しく思いました。
    哲学、宗教はその対象が人間と人間の生きるこの世界です。

    仏教、キリスト教、イスラム教など世界宗教と言われる宗教は信仰を核として、ありとあらゆるものに考察をめぐらします。

    それを教理といいますが、必然的にその内容は広汎で複雑なものになります。

    仏教の場合、因縁、空、中道、唯識など専門用語で表わされる教えの一つ一つに膨大な教理があります。仏教を学ぶ者はこの膨大な教理の森に分け入らなければなりませんが、一般の人にそのことを求めることは出来ません。

    教理に基づいたわかりやすい道を伝え、仏教を理解し信じてもらい、幸せになってもらいたいというのが仏教を学んだ者の願いであり祈りであるべきです。

    「守拙」はそのような意図を持って編集しました。

     テーマは「生きる」ことです。

    人間は発達した頭脳を持つゆえに、自と他を区別します。

    自らの生を問い、悩みもし、苦しみもします。自我を持っていることが人間の特質です。

    その点が他の生物とは異なるのですがこの世界に生きるものであることに変わりはなく天地万物と隔絶したものでもありません。
     天地万物、即ち自然の中に生きるには、自我から生まれるもろもろの計らいを捨てていくことです。

    計らいを捨てて、自然と調和して生きる中に真の自己が生き生きと現れてくるという教えが、特に禅宗の説くところだと私は思います。
     悩み、苦しみを抱えながら生きることは人間として避けられないことです。

    それでもこの世界に生かされている我が身をありがたいと思える時、感謝の念が自然に湧き上がってきます。

    それが人倫、すなわち人のみちだと信じています。

      令和6年5月15日
    宇都宮市東戸祭1-1  祥雲寺東堂 安藤明之
    十八日の朝詣りは午前6時から行います。

  • 5月の諸行事

    2024年5月6日

     

    5月の諸行事 ご興味のある方はお問い合わせ下さい。

     

    ■雀宮善應院坐禅会(第四水曜日のみお休み)

     宇都宮南町1番36号「善應院」にて毎週水曜日(第四以外)夜6時から行っている坐禅会です。

      5月1日、8日、15日、29日

    ■月例坐禅会「指月の会」(527日)

     祥雲寺本堂にて毎月第四月曜朝6時半から行っている坐禅会です。

    ■テラヨガ(ヨガ教室)

     阿久津先生指導の下第一第三金曜日10時半から。初心者クラスは第二第四金曜日10時半から

      5月10日、17日、24日、31日

    ■陶芸教室「祥陶会」

     駐車場下の作陶場にて毎週火、木午後1時から行っています。

    ■石彫会「羅漢の会」

     毎週土曜午後、駐車場作事場にて石仏の彫刻を行っています。指導は松原「金野石材店」

    ■茶道教室

     月二回火曜日午後1時半から、裏千家平山尚子先生のご指導の下行っています。

      5月14日、28日

    ■写経会

     写経会は5月から11月、第二日曜日午後2時から行っています。

      5月12日

    ■御詠歌

     5月9日  10時~12時   東堂指導による月例講習

     5月13日  13時半~15時半 長岡公民館での月例講習

     5月21日  10時から12時  飯塚先生による隔月講習

    ■フラワーアレンジメント教室

     南宇都宮駅前「フラワー花亀」亀井先生指導の下第四水曜日午後1時半より行っています。

      5月22日

    ■折り紙教室

     カルチャースクール講師長谷川京子先生指導のもと第3水曜日午前10時よりより行っています。

      5月15日

    ■クラフトペーパー教室

     同じくカルチャースクール講師長谷川先生指導のもと第2月曜日午前10時より行っています。

      5月13日

    ■観音朝詣り

     境内33観音霊場を18日朝にお参りするミニ巡礼会です。開始時間は季節により前後します。

     今月は午前  6  時  から

                                   祥雲寺℡(028)622-5719

  • 令和6年4月 朝坐禅会「指月の会」案内(4月22日月曜朝6時半より)

    2024年4月20日


    本堂裏手新規墓地に咲く桜

    入鄽(にってん)垂手(すいしゅ)                 「十牛図」

     

     遂に私も骨董趣味に手を出しそうになりました。

    なんでも鑑定団に出てる趣味人の「ついついと~」をもう笑えませんね。

     

     デパートの催事に出ていた骨董屋が十牛図の茶碗を出していました。

    私は

    「買ったとしても何に使うのか?」

    「祖父の遺品で興味の薄い掛け軸や茶碗が押し入れ一杯に山になってるのに」

    「文人趣味に耽溺するのはほどほどにするべき」

    と煩悶して二時間行ったり来たりしてましたが、

    「話の種にすればいいじゃないか」

    と自分を納得させ売り場に行ってみれば買われて無くなっていました。

    良かったのやら悪かったのやら。

     

     十牛図というのは中国の禅僧が描いた、悟りに到ろうとする10の段階を示したものです。

    曹洞宗ではあまり用いられるものではなく、私は京極夏彦の『鉄鼠の檻』を読んで初めて知りました。

    悟りを牛に見立て、それを男が追い求める処から始まります。

    1枚目から6枚目で牛を求め、辿り、見つけ、捕まえ、ならし、連れ帰る。

    ここからが中々説明の付かないものですが、

    7枚目では牛を捕まえてきたことを忘れて、牛も忘れ去られる。

    8枚目では円相が描かれるのみとなり、ただ円かなるばかり。

    9枚目では無何有の山河が描かれ、全てはあるがままに美しい。

    10枚目では布袋様の様に福々しくなった男がまろやかな笑顔で人と接している。

     

     駒澤大学の先生は悟りによって問題が解決され問題意識そのものが無くなってしまったから牛は消え失せていると説明されていました。

    相対分別から脱け落ちてみれば全てはあるがままにまどかにある。

    作為も無く、有るべくして有るものは、ただそのままに素晴らしい。

    私は十枚目、入鄽垂手の絵を見る度に、我が坐禅の師、板橋禅師を思い出します。

    板橋禅師は出家し修行に励まれ、納得を得られた後福井の一寺院の住職になられました。

    しかし一人でいては怠け心が出てしまって修行にならないと、再び修行道場に戻られたのです。

    本山で指導役に任じられ、長じて禅師にまでなられましたが、

    本山の住職を退いても修行を離れることは無く、福井に御誕生寺を建立されて終生若い修行僧と共に修行生活に生きられました。

    ある先輩が禅師様を三毒、人を悩み惑わす煩悩、貪り怒り愚かしさから離れた人だと言っていたことがあります。

    禅師様は修行に臨む姿勢、その生涯その笑顔で、私に多くのことを教えてくださいました。

     

     茶器は他の手に渡りましたが、お示しは記憶と朝の座禅の習慣に生きています。

    スナフキンのように、物を持たない方が肩は軽いとうそぶくのも時には良いものでしょう。

     

                     祥雲寺 安藤淳之

     

    偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。

    欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。

    我を離れることの出来る閑かな時間、坐禅の時間を御一緒にいかがですか?

    当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。
    初めての方は15分前に来てください。
    来月の開催は5月27日となります。
    また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています

     

  • 4月 観音朝詣りのお知らせ

    2024年4月20日

    大本山總持寺の大祖堂殿鐘(本堂の呼び鐘)

    今年は大本山總持寺御開山瑩山禅師の700回大遠忌に当ります。

    4月1日から21日迄は本法要に当たり、私は鶴見の大本山に詰めてお経を上げて報恩の供養を勤めています。

    50年前の650回の大遠忌の時は修行僧として安居していましたので2度目のお勤めとなります。

     

     法要のほとんど全ては、總持寺の本堂に当る大祖堂で行なわれます。

    一つ一つの法要の開始を告げるのは大祖堂の中の鐘鼓楼に下げられた殿鐘です。大きな鐘ですが柔らかくて澄んだ音色を響かせています。

     

     

     僧堂では、鳴らしものといって、声を出さずに鐘、太鼓、木版等の楽器によって行事の伝達がされます。

    新参の僧は、鐘司という役を与えられ鳴らしものを担当します。

    鳴らしものを覚えなければ修行生活が送れないのですから、必死です。

    その中でも大祖堂の鐘を鳴らすのは最も責任の重い役目ですから緊張と責任感をもって務めます。

    大祖堂の鐘は總持寺での修行の象徴といってもよいものです。

     

     この鐘は、昭和40年に現在の大祖堂が新築された時に祥雲寺によって寄進されました。

    梵鐘の大きさで殿鐘に求められる高い音色を出すことは困難なのですが、日本一の梵鐘鋳造所富山県高岡市の老子製作所の主人老子次右衛門が人間国宝鋳物師香取正彦の協力を得て鋳造しました。

    その時に大きさを変えて試作した鐘が、現在祥雲寺本堂にある殿鐘です。このお二人は後に広島平和の鐘を製作しました。

     

      このような鐘を寄進するのはたいへん名誉なことです。

    これについては、祥雲寺26世白巌器之和尚が、大本山總持寺の能登から横浜への移転に当って先ずなされた仏殿の建立事業で、現場の庶務を務めて、裏方として並々ならぬ功績があったことを、当時を知る人が覚えていて認められたとのことです。

     

      殿鐘には、その時寄付に応じてくださった100余人の檀家の方々の名が刻まれています。

    これらの方々の信心があって、寄進することができました。ありがたいことです。

     

      令和6年4月15日

    宇都宮市東戸祭1-1  祥雲寺東堂  安藤明之

    十八日の朝詣りは午前6時から行います。

祥雲寺行事案内

祥雲寺で行ってる月例行事や年間行事、その他法要・祭りなどについてのご案内です。 行事カレンダーもご確認ください。