-
令和5年1月 朝坐禅会「指月の会」案内(1月の開催は23日となります)
2023年1月22日第四不妄語。法輪は本より転ずれば、剰ることも無く、欠くることも無し。甘露は一潤せば、実を得、真を得るなり。『教授戒文』
先日NHKを視聴していて、ちこちゃんに叱られるを聞いていましたら、
「人はなぜ嘘をつくようになるのか」
という問いかけがありました。
回答としては「自分と他人の心の中は違うと分かるようになるから」
児童心理学の見地から、子どもが4~5歳になってくると
経験や体験から心の理論が発達していって
自分と他人の心は違うものであり、各々の気持ちや考えによって行動するものであると
理解できるようになるそうです。
意図的な嘘がつけるようになるのは成長の証でもありそれほど気にするものではない。
他人に罪を着せるような嘘はきちんとたしなめ、そして嘘をついたことを責めるよりも本当のことを言ったときに褒めてあげるようにと締めていました。
この最後のところのまとめが、上記の文章に一脈通じるかも、と思った次第です。
上記は十戒。仏教徒がしないよう注意する十種ある戒律の一つです。
よくある誤解として、戒というのは「してはならない」ではなく「しないことを誓う」ものです。
絶対しない、という枷をはめるようなものではなく、選択の際にしないと選ぶことができる自分に育て整えていこうとするものです。
第一に不殺生殺さない、第二に不偸盗盗まない、第三に不貪淫性を貪らないと続いて第四に不妄語戒と続きます。
字義そのままなら、嘘をつかないことを誓う、という意のものです。
嘘をつくのはいけないこと、それは誰でも知っていることです。
社会的には言葉の信用度を下げ周囲の信頼を失うもの、刑罰に問われかねないものとなるでしょう。
仏教的には自身の心の問題としてこの不妄語を説きます。
昔の禅僧にあるお殿様が言いました。
極楽とはどこにある?
禅僧は、そんなこともわからないのかこの馬鹿殿が、と罵倒しました。
お殿様は怒ってこの坊主め、たたき切ってくれるわ、と刀を抜きました。
禅僧は、ここが地獄じゃ、その心持こそが地獄なのじゃ、と説きました。
お殿様はあっと言って刀を収めごめんなさいと謝りました。
禅僧は、ここが極楽じゃ、その心持こそが極楽なのじゃ、と説きました。
少し内容がずれますが同じことです。
嘘をつくことが良くないことだとはだれもが知るところです。
その後ろめたさ、斬鬼の念は必ず心を、行動を、生き方をゆがめ曇らせていきます。
嘘は一時の利を運んでも、自身の心を極楽へは運んでくれないのです。
それよりは真実の言葉に、行動に生きることを選ぶほうがよほど良いはずです。
嘘をつかないことを選ぶなら、それは自身を汚すことなく、真実に沿うことの明るさや落ち着きに結びつきます。
それを常としたならば、その積み重ねが習慣となって自身を守ってくれるようになります。
地獄に落ちることのない自分へ育ててくれるのです。
上記の言葉は、嘘のない生き方、本当の世界に生きる功徳を讃えた言葉なのです。
番組の締めの本当のことを言ったことを褒められた体験は、きっと嘘をついてしまうことから遠ざかる助けとなるでしょう。
祥雲寺副住職 安藤淳之
偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。
欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。
我を離れることの出来る閑かな時間、坐禅の時間を御一緒にいかがですか?
当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。初めての方は15分前に来てください。次回開催は2月27日となります。また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています -
1月観音朝詣りのお知らせ
2023年1月21日明けましておめでとうございます。
祥雲寺の歴史は文明二年(1470年)から始まります。
宇都宮氏の一族戸祭高定公とその夫人の発願により、雪江良訓禅師を開山に拝請して祥雲寺が生まれました。
室町時代は曹洞宗が大発展をした時で、在地領主の武士が曹洞宗の高僧を拝請して寺が建てられ、そこから弟子たちが近在の農民に教えを広めました。
戦国時代を舞台にした時代劇に出てくる寺院の多くが曹洞宗です。
雪江禅師は日本洞上聯燈録という代表的な高僧伝にその行跡が記される大徳です。
また、たいへん長生きした方と伝えられ、遷化した(亡くなられた)のは大永五年(1525年)一月五日のことです。
墓石は祥雲寺境内にありますが、埋葬された所と伝えられるのは、現在の戸祭小学校西側の和尚塚です。
昭和八年に発掘され、そこから第二代から第八代までの歴代住職が御開山の年忌の折に建立した供養石が出土しました。
江戸時代は、宇都宮城下町の北側に位置する戸祭村、大曽村の菩提寺とされました。
明暦年間には当時約七十戸の檀家によって旧本堂が建てられました。幕末には大きな庫院が建てられ、戊辰戦争で城が焼かれてしまった宇都宮城主の一時的な住居となりました。
明治時代になり、廃仏毀釈によって菩提寺を失った長岡村、山本村が檀家に加わり、また市街地の檀家も増えて檀家数の多い寺になっていきました。
昭和二十三年、市営住宅の一角で火災が起こり、山を越えた火の粉が茅葺き屋根の本堂の軒付けに入り、全伽藍が焼け落ちてしまいました。現在の諸堂伽藍は現在のお檀家の協力の下に建てられたものです。
以上、祥雲寺の550余年の歴史の概観ですが、来年一月五日が御開山禅師の五百回忌になります。本年秋に遠忌法要を勤めて報恩の誠を献げます。それは祥雲寺の護持に関わった多くの人々への感謝でもあるのです。
令和5年1月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之
十八日の朝詣りは午前9時から行います。
-
1月の諸行事
2023年1月7日1月の諸行事 ご興味の方はお問い合わせ下さい。
■除夜の鐘 元朝祈祷
除夜の鐘を突いた後元旦一時よりご祈祷をしたお札を檀家に配布しています。
今年はお参りの方のみ配布し、二月旧正月に檀家郵送となります。
■雀宮善應院坐禅会(第四水曜日のみお休み)
宇都宮南町1番36号「善應院」にて毎週水曜日(第四以外)夜6時から行っている坐禅会です。
1月11日、18日
■月例坐禅会「指月の会」
祥雲寺本堂にて毎月第四月曜朝6時半から行っている坐禅会です。
1月23日
■テラヨガ(ヨガ教室)
阿久津先生指導の下第一第三金曜日10時半から。初心者クラスは第二第四金曜日10時半から
1月20日。 初心者クラスは13日、27日
■陶芸教室「祥陶会」
駐車場下の作陶場にて毎週火、木午後1時から行っています。
■石彫会「羅漢の会」
毎週土曜午後、駐車場作事場にて石仏の彫刻を行っています。指導は松原「金野石材店」
■茶道教室
月二回火曜日午後2時から、裏千家鈴木宗陽先生のご指導の下行っています。
1月17日初釜 24日普通のお稽古
■写経会
写経会は5月から11月、第二日曜日午後2時から行っています。
4月まで休止。
■御詠歌
祥雲寺住職、並びに栃木市豊栖院飯塚先生の指導の下月2回行っています。
1月20日 新年初練習(鉦おこし) 10時より
1月23日 長岡公民館初練習 午後1時半~3時半
■フラワーアレンジメント教室
南宇都宮駅前「フラワー花亀」亀井先生指導の下第四水曜日午後1時半より行っています。
1月25日
■折り紙教室
カルチャースクール講師長谷川京子先生指導のもと第3水曜日午前10時よりより行っています。
1月18日
■クラフトペーパー教室
同じくカルチャースクール講師長谷川先生指導のもと第2月曜日午前10時より行っています。
1月9日
■観音朝詣り
境内33観音霊場を18日朝にお参りするミニ巡礼会です。開始時間は季節により前後します。
今月は午前 9 時 から
-
令和4年12月 朝坐禅会指「指月の会」案内(12月の開催は26日となります)
2022年12月25日吾我を離るるには、観無常是れ第一の用心なり」 (正法眼蔵随聞記)
今年も年の瀬となり、来年に向けての大掃除が先日終わりました。
来年の算段も諸々考え動き出しています。
地元の仲間が、来年から大本山永平寺で役寮という運営指導役のご指名を受けました。
栃木と福井を行き来して役に付くのは大変でしょうがどうか頑張っていただきたいです。
その際には修行僧らで挫折する人が出ないようよく見てあげてほしいと切望します。
私自身上山して2,3週間後が一番きつくて折れそうになりました。
あの時仲間に支えてもらっていなかったら全く違う人生を歩んでいたでしょう。
では修行では何が大変なのか、どうして挫折するのかと考えてみると、
上記の「吾我を離れる」という部分に躓くのではないかと思いました。
先日ドイツ人の禅僧ネルケ無方師に宇都宮仏教会の仏教文化講演会でお話を頂戴しました。
内容はご自身の発心修行菩提涅槃、なぜ出家しどう修行して何に気づいたかです。
少し端折って要約するならば
「坐禅を体験して自身の視点が変わり興味を持った。
出家しお寺で修行を始めたが修行らしいことは出来ず雑用ばかりで不満を持った。
不満を訴えたらお前のことなど知らん、と言われて失望した。
しかしそれこそが師の叱咤激励であったのだと気づくことができた。
修行は集団生活で、皆で支えあうのだから裏方も当然せねばならない。
そうしたとき我が強く自身を優先していては場が成り立たない。
むしろ迷い悩みの根源となる我を手放していくことが修行であり精進なのであるのに
いったい何にこだわっているのだ」と。
この自意識の問題、我を離れるというのがなかなか難しいのです。
私も修行の中、我執を離れるとは如何なる事かを感じるきっかけがあって少しは理解できました。
禅の修行は、自身で迷いから離れ気づく、体験をするという所を重視してきました。
他人から教え諭されるのではなく、自身で気づき見つけることでそれが自身の宝となる。
永平寺での修業がやり方を教わるばかりで
これが何なのか何故そうするのかに言及されないのはそういうことです。
現代のお坊さんは家がお寺だからと修行に臨む人が多いです。
動機がそこであっても出家修業とは間違いなく尊い得難い機会です。
この稀なるご縁を損なうことのない様フォローがなされてほしいと願うばかりです。
祥雲寺副住職 安藤淳之
偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。
欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。
我を離れることの出来る閑かな時間、坐禅の時間を御一緒にいかがですか?
当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。初めての方は15分前に来てください。1月は23日となります。また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています -
12月観音朝詣りのお知らせ
2022年12月20日令和4年も暮れようとしています。私は今年の11月で、父である先代住職の年齢を超えました。
人並みの苦労や逆境、転機もありましたが、総じて、私は平穏に生きてくることができました。二十代から三十代半ばまでの歳月の半分以上の10年を、兵営、戦地、シベリヤ抑留で過ごした父親とは比ぶべくもありません。私だけでなく団塊世代は、親たちの平和への祈りを受けて育ったとも思います。
そんな私にとって、今年ほど戦争の足音を身近に感じたことはありません。第二次世界大戦後も世界には戦争が絶えず、朝鮮戦争、ベトナム戦争は、日本の近くで起きました。中学時代のキューバ危機では核戦争の恐怖を感じました。親世代から戦争のむごさ、理不尽さを繰り返し聞かされた戦後世代にとって、反戦は共通の社会意識であったと思います。
しかしそれでも戦争は他人事であり、反戦も観念的なものであったと思います。それは今年2月に起こったウクライナ戦争によって感じさせられたことです。
国力、特に軍事的なバランスを欠いた時に大国は小国を支配しようとし侵略も起きる。歴史を学べば当たり前のことを現実として見せつけられた。日本は、外交はもとより、国全体として善隣友好に努めなければならないが、それでも東アジアの情勢からは日本が戦争に巻き込まれる可能性がないわけではない。
高校生の時、非武装中立の理想を滔々とのべる私に対し、父から「おまえはお母さんや妹が殺されるかもしれない時、戦わないでいられるのか」と言われたことがあります。不殺生を禁戒の第一とし「武器を取れば僧ではない」とされる者が兵士であった。その苦衷をいまさらですが忖度(そんたく)します。
戦争にかかわらない人生を送り、既に兵士にはなれない年齢に達した私には、国防を論ずる資格はないかも知れません。それでも、備えは戦争を避けるために必要です。
その上で、平和のために尽くし祈ることに、僧としての覚悟を持って行きたいと思っています。
令和4年12月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時半から行います。