ごあいさつ

宇都宮市の祥雲寺は歴史のある曹洞宗のお寺です。
栃木県庁のすぐ北にあり、自然林の中には西国三十三番の観音像が祀られています。
また、樹齢350年を超える枝垂れ桜の老樹は県天然記念物として有名です。
たくさんの方々に仏教を親しんでいただくことを願いとし、様々な信仰行事を催しています。

ようこそおまいり

栃木県宇都宮市の祥雲寺(曹洞宗) | 桜や祭りが名物の寺

新着ブログ

  • 平成29年12月 観音朝詣りのお知らせ

    2017年12月16日

     

    祥雲寺陶芸教室作品展示

     

    今上陛下が退位され、再来年の五月一日に新陛下が誕生します。

     

    即位の儀礼について、新しい時代に即したものにするという見出しが新聞に載っていました。

     

    儀礼の中で最も大切なものは大嘗祭です。

    皇居に大嘗宮が設けられて行われます。

    祭礼の次第は一応公表されていますが、詳細は伏せられているので秘儀とされるものです。

    そのため、戦前から現代まで多数の学者がその意味を考察しています。

    いろいろな説があるのですが、ともかく皇位を継承するに当たっての宗教的な儀礼であることは否定できないことでしょう。

     

    ここで問題が生まれます。

    それは、国がいかなる宗教的活動もしてはならないという憲法の規定があるので、大嘗祭のために国費(税金)を使えるかという疑問です。

     

    これについては、是とするにせよ、非とするにせよ、法律家を始め、識者からいろいろな意見が出ると思いますが、私は公費の出費はあってしかるべきであると思います。

     

    それは、全体として日本国民は象徴としての天皇を受け容れているという現実から来るものです。

     

    敗戦の時、天皇制が廃止される可能性はあったはずです。

    そうならなかったことにより歴史と文化の総体としての日本国が存続できたと私は思います。

    また、そこから生まれた安定した国情が戦後の復興と繁栄に大きく寄与したとも思います。

     

    天皇の権威がどこから来ているのかを理屈でもって示すことはできません。

    今日、天皇が神であると思っている人は殆どいないでしょう。

    私は昭和天皇に対しても今上天皇に対しても敬愛の念を持っていますが、お二人とも同じ人間です。

    しかしその人が国の象徴という特別な存在になるのは、何らかの儀式が必要であると思うのです。

    そしてその儀式は伝統を踏まえたものであり、宗教性を帯びることは自然なことと思うのです。

     

    人間は宗教性を持った生き物です。

    今日、さまざまの人が声高く叫ぶ、宗教性を排除することが正しいとする言説に納得することは出来ません。

     

    平成29年12月15日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    18日の朝詣りは午前6時半から行います。

     

  • 29年11月 月例早朝坐禅会「指月の会」案内

    2017年11月26日

     

    無縁供養塔横の大銀杏

     

    もうじき12月、今年も一年が過ぎようとしています。

     

    この時期になるときまって思い返すのが永平寺での修行時代、一週間の集中坐禅修行「摂心」の時です。

     

    お釈迦様は29歳で出家され、6年の苦行生活の後、菩提樹の下での一週間の坐禅に入り、悟りを開かれました。

    その故事に倣い、禅宗の寺院では12月1日から一週間起きてから寝るまで只管坐禅を行う「摂心」という修行を行います。

     

    15年前の私もまた、福井永平寺でこの修行を行いました。

    当時の私は、坐禅が言葉ばかり先行した、無意味で退屈な慣例としか受け取ることができず、毎日の坐禅は漫然とやり過ごすものにすぎませんでした。

    しかし摂心に臨み、朝3時から夜9時まで坐禅三昧ともなると、これまでのようにやり過ごすこともできず、心身の消耗にあえぐばかりでした。

    数日が過ぎて、朦朧とした意識の中で、同じく消耗した仲間との軋轢に悩んでいると、ふと、それまで頭を悩ませていたあれこれがすとんと腑に落ちて、ラクに坐禅ができるようになりました。

     

    摂心を終えて僧堂を出てみれば、福井の山中の冷たい夜気が今までと違って胸に心地よく、仏さまを模した配置の永平寺七堂伽藍が、懐の深いものなのだと訳もなく感じられる自分を不思議に思いながら床に就きました。

    私が坐禅を、退屈なだけの慣例などではなく、素晴らしい行なのだと受け取れる様になったきっかけの時です。

     

    私は永平寺できっかけを、總持寺で確信を、御誕生寺でそれを語る言葉と姿をいただくことができました。

    その素晴らしさを、有り難さを多くの方に知ってもらいたい、その思いでこの十年坐禅会を続けてきました。

     

    この時期、寒さ深まる12月を前にすると、あの時の雪降り積もる永平寺をいつも思い返します。

    この道の、仏道の尊さを思い返させてくれる肌寒さを有り難く感じる自分で有る様、明日もまた坐禅に臨みたいです。

     

    祥雲寺副住職 安藤淳之

     

    一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。

    ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。

    この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。

    一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?

     

    日時:11月27日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可) 

       6時30分~7時10分(一回目の坐禅)

       7時20分~8時(二回目の坐禅)

    場所:祥雲寺本堂一階

    用意:身一つで大丈夫です。

    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。

     

    注意:初めての方は最初に指導を行います。

    その為可能ならば一回目の坐禅から参加されてください。

     

    また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。

    尚、12月の坐禅会は第三週の18日(月)に行います。

     

  • 平成29年11月 観音朝詣りのお知らせ

    2017年11月15日

     

    境内の紅葉

     

    寺の屋根にとまるアオサギ。

     

    日本では仏壇と位牌をとても大事にします。

     

    仏壇の起源についてはいろいろな説があります。

     

    古代に帰属が仏像を屋敷内に祀った持仏堂が小型化したという説。

    家の中に祀られたであろう小さな仏像がインドやシルクロードの遺跡からもたくさん出土していますから、日本だけでない古い起源になります。

     

    お盆に先祖の御霊を供養するために設けた盆棚が家屋内に常設されるようになったという説。

    7月15日に川の畔で亡き人のために供養をするのは現在のヒンズー教でも行われていますので、盆供養はインドに由来しますが、棚を設けたかどうかは分かりません。

     

    鎌倉時代に先祖を祀るために室内に置かれた「押し板」という床の間の起源と同じものが変化したとする説もあります。

     

    位牌は中国のものです。

    死者の名前や官位を記して祭礼に用いたものですが、鎌倉時代以降に禅宗が伝え、戒名が記されて礼拝されるものとなりました。

     

    仏壇とお位牌の組み合わせが広く普及したのは江戸時代です。

    日本独自の信仰文化といっていいでしょう。

    そして、とても素晴らしいものです。

     

    何が素晴らしいのかというと、感謝を捧げるものが身近に会って、毎日少しの時間でも感謝のひとときを過ごすことができるからです。

     

    仏教徒として正しい生き方の根本にあるのは「感謝」です。

    お釈迦様は、人間がこの世の無限の恵みによって生かされていることを自覚し、生きとし生けるものと共に生きていることを喜びとすることが感謝であり、それが幸せへの道であるとお説きになりました。

     

    仏壇に祀られている父母は、直接に私たちに命を与え育ててくれた人であり、その先にはご先祖がいらっしゃいます。

    その前で感謝の思いは自然に湧き上がります。

    その感謝の思いを、さらに大きな天地万物への感謝へと導いてくださるのが仏壇の中心の本尊様です。

     

    毎朝、仏壇の香炉にお線香を立てて心を込めておまいりをすることは、私たちが正しく生きていくことができる支えとなります。

     

    平成29年11月15日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    18日の朝詣りは午前6時半から行います。

     

  • 29年10月 月例早朝坐禅会「指月の会」案内

    2017年10月22日

     

    秋の日の羅漢さま

     

    「悉有仏性」

     

    私は自転車に乗るのが好きです。

    補助アリではありますが、自分の力で風を切って走っていく感覚がとても好きです。

    時間のある時は郊外の河川敷を一時間ほど走っています。

    春夏秋冬それぞれの季節の現れがよく見えて、強く自然を感じられる時間でもあります。

     

    5月のころ、若葉生い茂る季節、河川敷を何時ものように走っていると茂り育つ若葉が太陽にきらめき、新緑の木漏れ日が鮮やかに川面を照らしています。

     

    そんな時、何とはなしにふっと「世界に仏の命が満ちている、ああ悉有仏性とはこういうことなのか」という想いが浮かびました。

     

    仏性というのは仏となる要素、それがあらゆる命に備わっているのだという言葉が悉有仏性です。

    仏性という言葉は扱いが難しい言葉です。歴代の多くの先達がいろんな意味で使ったため、詳細に定義することすら難しく、曖昧になりかねないため私自身あまり好んで使おうとは思わない言葉でもあります。

    しかしこの時は、天地万物あらゆるものがあるようにある、各々の有様にそって正しく育ち芽吹き花開かせている、その正しい命(神羅万象の運行営み)の働きをこそ「仏性」と称するのではないか、そんな風に感じました。

     

    人間に置き換えるなら、昔読んだベトナム出身の禅僧ティク・ナット・ハン師の言葉が最初に浮かびます。

     

    「ブッダはあなたのなかにいます。ブッダは、呼吸の仕方も、優雅に歩む方法もよくご存じです。あなたが忘れていても、ブッダよ、来てくださいとお願いすれば、すぐに駆けつけてくださいます。」

     

    坐禅の調身調息調心でよく戒められるのは、強引に心を鎮めようとするのではなく、自分の身・息・心に謙虚に問いかけて、その都度、より正しい在り方を新鮮に習っていかねばならないことです。

     

    強引にやろうとすればかえってそれは遠ざかっていきます。

    謙虚に、真摯に整えることで正しい命の働きを促し、はたらかせていくことが坐禅の肝要な所、そこにこそ仏性の働きがあるのだと思います。

     

    最後に引用します道元禅師の言葉は、これをこそ意味しているのだと私は理解しています。

     

    「ただわが身をも心をも、はなちわすれて、仏のいえになげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがいもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもついやさずして、生死をはなれ、仏となる。」

     

    『正法眼蔵 生死』

     

    祥雲寺副住職 安藤淳之

     

    一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。

    ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。

    この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。

    一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?

     

    日時:10月23日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可) 

       6時30分~7時10分(一回目の坐禅)

       7時20分~8時(二回目の坐禅)

    場所:祥雲寺本堂一階

    用意:身一つで大丈夫です。

    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。

     

    注意:初めての方は最初に指導を行います。

    その為可能ならば一回目の坐禅から参加されてください。

     

    また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。

     

  • 平成29年10月 観音朝詣りのお知らせ

    2017年10月18日

     

    秋彼岸の本堂前観音様と彼岸花

     

    アフガニスタンのバーミヤン石窟の大仏像がイスラム教原理主義者によって爆破されたのは16年前のことです。

    最近でも、中東の動乱の中で多くの遺跡、文化財が破壊されています。

    19世紀から20世紀前半には、ヨーロッパ各国の探検隊が、博物収集の目的で世界中から神像を持ち去り、あるいは壁画を剥ぎ取っていきました。

     

    自らの信仰、信条のみをよしとして、歴史、文化を異にした人たちの魂が込められた文化財を壊してしまうことが繰り返されているのは悲しいことです。

     

    東京芸術大学美術館で、「素心伝心 クローン文化財 失われた刻の再生」という展覧会がありました。
    バーミヤンなど、おもにシルクロードで失われたり、失われようとしている文化財の再生を試みたものです。
    瓦礫等に科学的な分析を行い、スケッチや写真などの記録を基に3Dプリンターなどの新技術を駆使して実物に限りなく近いものを造りあげています。

     

    失われたものではありませんが、法隆寺の釈迦三尊像も複製されています。

    像が造られた時の工法や、材料の銅の成分まで調べて造像し、さらに、細かいでこぼこや経年による変色まで写し取っていますので、実物と見まごうばかりです。

    それだけでなく、昭和24年の火災で損傷した壁画も再生して周りを囲んでいるので、まるで白鳳時代のお堂にお参りしているようです。

     

    この複製事業には、富山県高岡市と南砺波市の協力がありました。

    高岡は梵鐘をはじめとする銅鋳物の生産地であり、南砺波には井波の木彫があります。

    高度で伝統的な技法を伝えている人たちが参加し、芸術家、科学者、先端技術者と力を合わせました。

    言ってみれば最新技術と伝統技術の融合によって生まれたものです。

     

    文化財は、それが存在するところに生きた人々の魂の結晶です。

    存在することに真の価値がありますし、あるべき所にあることも大切です。

    しかし、現実に失われたり、失われようとするものがたくさんある現在、このような試みも大きな意義があると感じました。

     

    平成29年10月15日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    18日の朝詣りは午前6時から行います。

     

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