ごあいさつ

宇都宮市の祥雲寺は歴史のある曹洞宗のお寺です。
栃木県庁のすぐ北にあり、自然林の中には西国三十三番の観音像が祀られています。
また、樹齢350年を超える枝垂れ桜の老樹は県天然記念物として有名です。
たくさんの方々に仏教を親しんでいただくことを願いとし、様々な信仰行事を催しています。

ようこそおまいり

栃木県宇都宮市の祥雲寺(曹洞宗) | 桜や祭りが名物の寺

新着ブログ

  • 平成30年2月 観音朝詣りのお知らせ

    2018年2月17日

     

    観音朝詣り

     

    西国三十三観音さまにお経を唱えお参りしていきます。

     

    80才になられたお釈迦様は、長らく止まって居られたガンジス川中流域のマカダ国の霊鷲山(りょうじゅせん)を出られて一路北に向かわれました。

    お供するものはアーナンダ(阿難尊者)一人、故郷シャカ族のカピラ城に帰ろうとした後の旅として南伝の涅槃(ねはん)経にその様子が詳細に記されています。

     

    その中で、途中病気になられた釈尊が、阿難尊者に与えた「自灯明、法灯明」と言われる言葉を紹介します。

     

    アーナンダよ、私はもう老い朽ち、齢を重ねて老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達して、わが齢は80となった。

    アーナンダよ、たとえば古ぼけた車が革紐の助けによってやっと動いて行くように、私の車体も革紐の助けによってもっているのだ。

    しかし、アーナンダよ、向上につとめた人が一切のとらわれを心にとどめることなく、あるがままをあるがままと受け止め、とらわれのない心の統一に入って止まるとき、そのとき、彼の身体は健全なのである。

    それ故に、アーナンダよ、この世で自らを灯火(ともしび)とし、自らを拠り所として、他人を拠り所とせず、法を灯火とし、法を拠り所として、他のものを拠り所とせずにあれ。

     

    老衰の身を古ぼけた車にたとえる心境について、齢70を迎える私にも少しずつ実感が湧いてきました。

    老い死んでいくのは避け難いことですが、そのあるがままをあるがままとし、しかも自分の生きる道を自分の意志で生きて行く。

    その道を照らす灯火となるのは自分自身であり、真理としての法です。

    釈尊のこの言葉には、老いを超えた力強さ、独り行くものの気高さがこもっています。

     

    祥雲寺住職 安藤明之

     

    まだまだ寒さ厳しい時ですので

    18日の朝詣りは午前9時から行います。

     

  • 30年1月 月例早朝坐禅会「指月の会」案内

    2018年1月21日

     

    正月の祥雲寺、門松は門前の小学校でどんと焼きに使われます

     

    蝋梅を見に今日は俳句の会の方たちが来られていました。

     

    「知足」

     

    本年もどうぞよろしくお願いします。

     

    今年を迎え、この一年の抱負として、自分のテーマを「今あるものを大切にしていこう」としたいと思っています。

     

    私には叔父がいました。

    昔から大変よくしてくれて、成人後もよくお寺に顔を出してくれて、気にかけてくれていましたが昨年ガンで亡くなりました。

    いつも大きい行事の時には手伝いに来てくれていたので、行事の度に叔父がいないことを再度認識し、改めて寂しく思います。

     

    そして昨年末になり、今度は近所の住職さんがやはりガンで亡くなりました。

    やはり小さいころから大変よくしてくれて、僧侶として活動するようになってからもよく気にかけてくれていたので、大変ショックでした。

     

    自分も年を重ね、良くしてくれた人を見送る年代になったのだと感じます。

    新年になってからもショックは残り、寂しさを引きずりながら日々を過ごしていました。

     

    そうした中で三が日が過ぎ、作務をしながら心に浮かんだのは

    「今あるものを大切にしていこう」でした。

     

    生きている限り、これからも親しい人を失くしていくことは避けられないでしょう。

    ですが、そればかりに気を取られていては心が萎れてしまいます。

    過去の温もりを懐かしむばかりではなく、未来の失う寂しさに慄くばかりでなく、

    今、目の前にあってご縁をもってくれている人たちをこそ大切にするべきなんだ、良い悪いによらずご縁があるというだけでも有り難いものなんだ、それをこそ、大切にするべきなんだ。

     

    新しい一年を迎え、これを肝に銘じながら日々を精進して過ごしたいと思います。

     

    祥雲寺副住職 安藤淳之

     

    一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。

    ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。

    この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。

    一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?

     

    日時:1月22日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)

       6時30分~7時10分(一回目の坐禅)

       7時20分~8時(二回目の坐禅)

    場所:祥雲寺本堂一階

    用意:身一つで大丈夫です。

    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。

     

    注意:初めての方は最初に指導を行います。

    その為可能ならば一回目の坐禅から参加されてください。

     

    また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています。

     

  • 平成30年1月 観音朝詣りのお知らせ

    2018年1月13日

     

    折り紙教室

     

    花祭りの飾り花

     

    釈迦牟尼仏 明星を見て悟道(ごどう)してのたまわく、

    我と大地有情(うじょう)と同時に成道す(瑩山禅師 伝光録)

     

    お釈迦様が悟られた御様子を伝える言葉です。

    王子の位を捨てて苦行すること六年、苦行のみでは悟れないと感じたお釈迦様は、修行の地、前正覚山を下り、村の娘スジャータから乳粥の供養を受けられた後、ブッダガヤの菩提樹の下で禅定に入られました。

    魔王たちはあらゆる誘惑と脅しと恐怖を以て悟りを妨げようとします。

    それらの全てを制して、暁の明星が燦然ときらめく中にお悟りを得られた、これが仏伝に記されるお悟りの様子です。

     

    我と大地有情と同時成道とは、悟りの世界に立たれた、その境地からは、天地万物、生きとし生けるもの全てが悟りの世界にある。という意味でしょうか。

     

    仏像では、お悟りを得られた時の姿は、禅定印を解いて、右手の指先を大地に付ける触地印(そくちいん)で表されます。

    経典には天魔の誘惑に対し大地の神がお釈迦さまを護っていることを示したとあります。

    私には天地万物悟りの世界で一体なるを大地の感触を確かめることで示されたように感じられます。

     

    梅花流御詠歌では

    明けの星 仰ぐ心は 人の世の 光となりて 天地(あめつち)にみつ

    とうたわれます。

     

    釈尊の成道(じょうどう)によって天地万物が悟りの光に輝いているよろこびを詠っています。

     

    皆様が仏の慈悲につつまれお幸せに、そして輝かしい年でありますことを、年頭に当たり、祈らせていただきます。

     

    平成30年1月13日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    今回の朝参りは午前9時から行います。

     

  • 12月1日、無縁供養水子地蔵尊例祭

    2017年12月19日

     

    毎年12月1日は祥雲寺無縁供養、水子地蔵尊供養の日です。

    祥雲寺の無縁供養は天明年間(二百二十年前)に起源をもつ伝統行事です。

     

    私たちは普段の行いとして親類縁者の為の供養(一周忌等の年回供養)を行いますが、無縁供養は直接のつながりがなくとも自分たちに恵みを与えている諸々に、そして天地万物に対して行われる報恩感謝の供養です。

    この日に合わせて祥雲寺石彫り会「羅漢の会」の石仏の点眼式、水子地蔵尊の供養、また来山して頂いた皆さんに楽しんでもらえるよう演奏会を行っています。

     

    石彫会による500羅漢の点眼式

     

    新しく彫られた羅漢さま

     

    無縁供養塔前での式

     

    御詠歌講の方たちとお唱えしながら巡ります。

     

    水子供養

     

    宇都宮シルバーアンサンブルの演奏。

    皆で昔懐かしの歌を合唱しました。

     

  • 平成29年12月 観音朝詣りのお知らせ

    2017年12月16日

     

    祥雲寺陶芸教室作品展示

     

    今上陛下が退位され、再来年の五月一日に新陛下が誕生します。

     

    即位の儀礼について、新しい時代に即したものにするという見出しが新聞に載っていました。

     

    儀礼の中で最も大切なものは大嘗祭です。

    皇居に大嘗宮が設けられて行われます。

    祭礼の次第は一応公表されていますが、詳細は伏せられているので秘儀とされるものです。

    そのため、戦前から現代まで多数の学者がその意味を考察しています。

    いろいろな説があるのですが、ともかく皇位を継承するに当たっての宗教的な儀礼であることは否定できないことでしょう。

     

    ここで問題が生まれます。

    それは、国がいかなる宗教的活動もしてはならないという憲法の規定があるので、大嘗祭のために国費(税金)を使えるかという疑問です。

     

    これについては、是とするにせよ、非とするにせよ、法律家を始め、識者からいろいろな意見が出ると思いますが、私は公費の出費はあってしかるべきであると思います。

     

    それは、全体として日本国民は象徴としての天皇を受け容れているという現実から来るものです。

     

    敗戦の時、天皇制が廃止される可能性はあったはずです。

    そうならなかったことにより歴史と文化の総体としての日本国が存続できたと私は思います。

    また、そこから生まれた安定した国情が戦後の復興と繁栄に大きく寄与したとも思います。

     

    天皇の権威がどこから来ているのかを理屈でもって示すことはできません。

    今日、天皇が神であると思っている人は殆どいないでしょう。

    私は昭和天皇に対しても今上天皇に対しても敬愛の念を持っていますが、お二人とも同じ人間です。

    しかしその人が国の象徴という特別な存在になるのは、何らかの儀式が必要であると思うのです。

    そしてその儀式は伝統を踏まえたものであり、宗教性を帯びることは自然なことと思うのです。

     

    人間は宗教性を持った生き物です。

    今日、さまざまの人が声高く叫ぶ、宗教性を排除することが正しいとする言説に納得することは出来ません。

     

    平成29年12月15日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    18日の朝詣りは午前6時半から行います。

     

祥雲寺行事案内

祥雲寺で行ってる月例行事や年間行事、その他法要・祭りなどについてのご案内です。 行事カレンダーもご確認ください。