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平成23年べんてん祭り
2011年7月31日遅れてしまいましたが、7月7日に行いましたべんてん祭りの写真を掲示します。
朝方石彫り会の皆さんと共に会場の設営をしています。
祥雲寺では毎年七夕の日にあわせて境内弁天堂にお祀りしている弁天さまのお祭りを行ってきました。
婦人会の皆さんが振る舞いの昼食の準備をしています。
お祭りが始まり、お手伝い頂いているお寺さんと共に住職がお堂に上がります。
法要の最中、長いお経を転読して参拝者の厄難消除を祈願します。
法要が終わると庫裏でもぐさを使ってすりばち灸の時間になります。
法要で使った火でもぐさに着火し、この夏の無病息災を願います。
境内の池に咲いた蓮の花です。
去年はちょうど弁天祭りの日に咲いたのですが、今年は3日遅い10日に咲きました。
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平成23年7月朝参りお知らせ
2011年7月14日境内の池に咲く蓮の花。昨年より3日遅く7月10日開花。
7月12日、宇都宮仏教会主催の戦災犠牲者追悼法要が、市内宝蔵寺を道場として執り行われました。
昭和21年以来毎年、遺族をはじめとして関係諸団体の代表も参列して続けられているもので、昭和40年代までは宇都宮市との共催の行事でした。
太平洋戦争では、日本の多くの都市がアメリカによる空襲を受けました。
八万数千人が死亡した昭和20年3月9日の東京大空襲、広島、長崎、の原爆では一瞬にしてそれぞれ十五万人近い人が亡くなりました。
7月12日の宇都宮空襲は面積当たりで東京空襲の倍以上の爆弾が落とされ、600人余りの人が死にました。
田川の川面には火を逃れようとして水死したたくさんの遺体が浮かびました。
戦争はどんな場合でも悲惨なものですが、無差別爆撃の犠牲になった人々にたいし、深い哀悼の意を抱きます。
法要終了後は、参加の仏教会寺院は二手に分かれ、黒崎会長以下は市北山霊園の戦災犠牲者の慰霊塔に詣で、若手は市内で東日本大震災義援の托鉢を行いました。
遠く66年前の無辜の犠牲者を悼み、今また、新たなる災禍に対しては、立ち直っていかなければならない人々へ少しなりとも手を差し伸べたいとの思いによるものでした。
8月6日に予定されている恒例の川施餓鬼灯篭流しも、今年は御霊(みたま)祭り精霊供養に加えて、震災犠牲者追悼の行事として行います。
もともと灯篭流しは、昭和21年に空襲犠牲者の初盆供養として行われた万燈会の灯篭の一部を釜川に流したことに始まります。
戦災と震災、ともに非業に倒れた人々への追悼の祈りをささげる行事ともなりますので、たくさんの方が参加されることを願っております。
平成23年7月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の観音様の朝詣りは午前6時から行います。
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春行事写真まとめ
2011年6月30日梅雨真っ盛りの時節、閲覧されている皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
当ブログは3月の地震以降、管理者が宮城県気仙沼での被災地支援活動に従事していた為更新が著しく滞っていましたが、不在の間の行事写真をここでまとめて掲載したいと思います。
上2枚は春彼岸の中日に行いました祥雲寺檀徒入檀式です。
輪袈裟と数珠を授与し御本尊様への礼拝を行い、御檀家の位牌全てを祀る開山堂を巡ることで祥雲寺への入檀式としました。
上3枚、今年も例年と変わらずに咲いてくれたしだれ桜の写真になります。
桜を見に来る人は残念ながら少なかったようですが、変わらないものを見る、それだけでもホッとします。
4月の3日には祥雲寺ではおなじみの美鈴すみ子先生の民謡、昔語りの会を開催できました。
4月5日、お釈迦様の誕生日を祝う花まつり用の花御堂を製作しました。
例年とは違い一基のみの制作となりましたが、その分丁寧に綺麗に仕上げていただきました。
上2つは祥雲寺花まつり大写経会の写真です。
このような時であればこそ、このような行事は中止せずに行うべきだ、と思い定めて当日を迎えましたが、想定より多くの方にご参加いただけて大変ありがたく思いました。
祥雲寺陶芸会の庵での作陶平穏祈願と会食の写真です。
皆さん毎週火曜と木曜に集まり、駐車場奥の作陶庵で励まれています。
4月28日は東北太平洋沖地震発生から49日の日に当たります。
周辺御寺院にも協力をお願いし、お檀家さんにも参加いただいて49日の慰霊法要を行いました。
今回の地震に際し、動ける人は現地のボランティアに、行くことのできない人はお金や物資の寄付を行うべきだ、とは方々でよく耳にし、また実行されてもきました。
ですが行って手伝うことができなくても、お金や物を送ることができなくても、せめて心だけは寄り添ってあげたい、祈りだけでも届けたい、そんな声もまた多くありました。
ご協力ご参加いただいた方達に、本当に感謝したいと思います。
5月2日、第29回仏教を知る会を無事開催、円成することができました。
上3枚は5月末に境内を撮った写真です。
これからしばらくは更新が滞ることもあるかと思いますが、出来る範囲で続けていきたいと思います。
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平成23年6月朝参りお知らせ
2011年6月17日5月末、本堂前広場
明治元年3月から発布された一連の神仏分離令によって、大規模な廃仏毀釈運動が起こりました。
地域差がありますが、全国ではほぼ半分の寺が廃寺となりました。
奈良の興福寺では、僧侶全員が春日大社の神職となり、堂塔は荒れるに委せる状態になりました。
中には当時奈良県で法隆寺と並ぶ大寺院であった永久寺のように、還俗した寺僧たち自らが破壊してしまった寺もありました。
神社から仏像、仏具を排除せよとの太政官令のもと、神社のみならず、廃寺となった全国の寺々から仏像、仏画、法器、荘厳具が流出し、美術品として海外に渡ったものも数多くあります。
明治15年以降のフェノロサと岡倉天心による文化財保護への尽力がなかったら、興福寺の阿修羅像も外国の美術館に展示されていたかもしれません。
廃仏毀釈は、わが国の歴史が培ってきた文化を否定し破壊してしまったという点で、中国の文化大革命にも匹敵する愚行、蛮行です。
政治が運動の火を付け、民衆が応じた点も似ています。
背景には、徳川幕府の仏教保護政策にあぐらをかき、幕府行政の出先機関と化した寺院や、修行と教化を怠った僧侶への不信も確かにあったと思います。
しかし本質は、天皇を中心とした強力な中央集権国家を造ろうとした明治政府の思想統制、宗教統制でした。
天皇を現人神(あらひとがみ)とする国家神道を打ち立てるためには、神道の基盤である神社に人間の存在を超えた「ほとけさま」がいては、はなはだ都合が悪かったのです。
私は、神仏習合は仏教の日本的な展開だと思っています。
非常に豊かな文化を生み出してきたし、それによって仏教の本質がゆがめられたということもありません。
もとより政治は大きな力を持っていますが、それが人間の精神の営みまでも支配しようとし、貴重な文化と伝統が失われてしまったことを残念に思うものです。
平成23年6月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の観音様の朝詣りは午前6時から行います。
☆梅☆ 朝詣りの後、梅落としをいたしますので、一緒に採ってお持ち帰りください
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東日本大震災犠牲者追悼法要の御案内
2011年4月18日ようやく陽春の季節となりました。
先頃の大地震では、お怪我をされたりしませんでしたでしょうか。
幸いに宇都宮は全体的には被害の程度が軽くすんだようで、祥雲寺も数基の墓石の倒壊がありましたが建物等に被害はありませんでした。
それにしても、当日テレビの映像で見た津波の恐ろしさ、その後毎日伝えられる被災地の惨状には胸つぶれる思いが致します。
そしておそらくは三万人を超すであろう人々の死があります。
震災からちょうどひと月の今月11日、夕刻に豪雨と強い余震がありました。
豪雨はヒョウを伴って折から満開のしだれ桜の花を打ち、花びらをもぎ取りました。
非業に倒れた人々の慟哭のように思えました。
仏教徒として追悼のために誠を尽くさねばならないと思いました。
来たる4月28日は震災から四十九日に当たりますので、この日を期して追悼の供養法会を修行いたします。
また、法会に当たって、写経の功徳を以て諸精霊に回向するべく、皆様に写経をお願いいたします。
返送用の封筒を同封しましたが、参列の方は当日お持ちください。
被災地の状況はまだまだ先が見えず、被災者はもとより、直後より救援活動をしている自衛隊をはじめとする多くの人々の苦労も並大抵ではありますまい。
また、たくさんのボランティアも活動しています。
当寺の副住職淳之もシャンティ国際ボランティア会に加わって気仙沼方面で救援活動をしています。
現地に行くことのできる人は全体から見ればわずかですが、国民大多数の支援の思いがあるからこそ、救援活動が支えられています。
根本にあるのは、被災者への心からの同情と、斃れた人々への悼みです。
たくさんの方々の御参列をお願いいたします。
平成23年4月13日 祥雲寺住職 安藤明之
記
日時と場所 4月28日(木)午前11時より本堂にて
写経について
舎利礼文の写経をお願いします。
このお経は仏舎利礼拝の功徳により仏道に志し、一切の生きとし生けるものを救わんとする誓願文です。
道元禅師火葬に際し、弟子たちが読誦し供養しました。
写経は毛筆でなくても結構です。毛筆・サインペンなど太字向きと
鉛筆・ボールペンなど細字向きの二種の下敷きを同封しました。
同封の半紙に、丁寧に写し取ってください。
なお、当日9時半から毛筆での写経ができるよう、本堂1階を準備します。