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平成23年4月朝参りのお知らせ
2011年3月18日昭和40年代、年末の上野発の夜行列車は帰省の出稼ぎの人達で一杯でした。
通路や座席の下に新聞紙を敷いて寝ている人も多かった。
家に残る親や妻や子に少しでも楽な暮らしをさせたいと、後に三K(きつい・きたない・きけん)と呼ばれる肉体労働に従事し、正月を家族で祝うために帰っていく人達です。
高度成長はその前の時代の「金の卵」やこの出稼ぎの人達の勤勉さと低賃金によって成し遂げられた面があります。
都庁舎を頂点とした高層ビルが林立し、ゆたかで華やかな生活を楽しむ東京の人達はこのことをきちんと知っておくべきです。
時は移り、東北地方の過疎化は進みました。
若者の多くは都会に出て行きました。
この度の地震は残された人たちを直撃しました。
地震をレポートした外国のメディアは揃って、被災地の秩序が保たれていることを称賛していました。
悲惨きわまりない状況にあって、助け合いながらじっと耐えている姿は崇高でさえあります。
日本人の真の強さを示してくれたと言ってもよいでしょう。
三世代以上同居の家庭が意識上の標準とされ、家族の絆も地域の絆もしっかりしている東北地方だからこそともいえます。
「非業(ひごう)」とは、「業」によらない、したがって本人に何の責任もないままに人にふりかかる出来事をいう仏教語です。
平穏に、一日一日を地道(じみち)に暮らしていた人々を襲った非業の死にたいし、私には言う言葉がありません。
このお便りを書き始めた時(4月11日)に、大きな余震がありました。
その一時間前には、時ならぬ大豪雨があり満開だったしだれ桜はあっという間に雹に打たれて花がもぎ取られてしまいました。
大震災からちょうどひと月、幾万の人々の慟哭とも聞こえ、御霊の震えとも感じました。
大慈大悲のみ仏の心に願って、私たちの追悼の心を御霊に届けなければならない。
そのように思い、震災四十九日目の今月28日に追悼法会を修行することとしました。
平成23年4月15日
宇都宮市東戸祭1-1-16 祥雲寺住職 安藤明之
18日の観音様の朝詣りは午前6時から行います。
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東北関東大震災による祥雲寺被害報告 並びに墓地被害、修繕に関する告知とお願い。
2011年3月18日去る3月11日に発生した地震により当山も被害を受け、建物内装の落下、無縁供養塔の損傷そして墓地の墓石の多くが損傷を受けました。
特に墓地の方は被害が顕著で、半数以上の墓石が石塔のズレ、五輪の落下、囲いの損傷を受け、内数基が石塔倒壊にまで至りました。
翌3月12日より金野石材店に入って頂き、石塔のズレを直し割れた部分をはめ直す等の応急処置を行い、とりあえず元通りの景観を取り戻すことができました。
しかしあくまで応急処置に過ぎず、割れ剥がれた部分の接着補填を行う必要があるとのことです。
修繕が必要な墓石が多いことから、損傷として最も多い石塔のズレに関してのみ、祥雲寺でお彼岸の後に一括で修繕をお願いすることを検討しています。
来月より着工をお願いし、修繕を行った墓石の施主家に修繕費をお願いしたいと思います。
修繕が不要の方、ご自分で修繕を依頼される方は今月中に祥雲寺にご一報頂きます様宜しくお願いします。
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平成23年3月朝参りお知らせ
2011年3月18日中止の中観音参りに来てくださった方達とお茶中。
この度の大地震は、人間の力ではどうにもならないものがあることを思い知らされるものでした。刻々と伝えられる映像を見てただただ呆然とするばかりでした。
悲しみの言葉も、見舞いの言葉も見つかりません。
どうすることもできず、犠牲者の無念を思い、不明者の無事を祈り、被災者の健康を気遣うばかりです。
今は、自衛隊を始め救助の人達にお委ねするしかありませんが、全国民あげて援助をしなければならないときがきます。
その時は全力を尽くすことを覚悟しましょう。
この困難は、国民全体が背負わなければ乗り越えられない困難であり試練です。
いま、暖かい布団に寝、食事をとることが何と幸せなことか。
誰かがではなく、私たち一人ひとりの幸せを分かち、この困難を乗り越えていきましょう。
平成23年3月15日 祥雲寺住職 安藤明之
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平成23年2月15日涅槃会
2011年3月9日時間が空いてしまいましたが、2月に行われた宇都宮仏教会涅槃会の写真をアップします。
2月15日は前日から降っていた雪もやんで、爽やかに晴れた日になりました。
祥雲寺参道にある梅園でも、雪の中に梅の花の赤が鮮やかに映えていて、カメラを携えた方が何人もよられていました。
涅槃団子調理中。
2月15日というのはお釈迦様の亡くなられた日です。
仏教徒にはとても大切にしている日が年に3日あり(三仏忌)、
・4月8日の誕生日(花まつり、降誕会)
・12月8日の悟りを開かれた日(成道会)
・2月15日の亡くなられた日(涅槃会)
と3日あります。
今年の2月15日は宇都宮仏教会で毎年合同で行っている涅槃会を祥雲寺を会場として行いました。
完成した涅槃団子を涅槃図の前にお供えしています。
殆どのお寺ではこの涅槃会の際に、お釈迦様の亡くなられる場面を描いた涅槃図を掲げて御供養の法要を営みます。
完成した涅槃団子。
涅槃会の際地方によっては、仏教の象徴でもある5色の光を表した5色の団子(涅槃団子)をお供えします。
今回祥雲寺でも婦人会方のお力添えを頂いて1色足りないながらも用意してみました。
午前中は集まって頂いた方達に涅槃会の成り立ちの説明、法話を住職が行いました。
午後は本堂に上がり、宗派の別なく涅槃会の御供養を行いました。
参列の方達には焼香の後涅槃図にお参りいただきました。
法要了って御帰りの際には、お供えした涅槃団子をお持ち帰り頂きました。
人数を集めて涅槃会を行うのは初めてでしたが、なんとか無事行うことができました。
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平成23年2月朝参りお知らせ
2011年2月15日今朝方の梅園(祥雲寺参道)
ひとたびは涅槃の雲にいりぬとも
月はまどかに世を照らすなり(梅花流「涅槃御詠歌」)
2月15日は、お釈迦様が涅槃に入られた日、涅槃会です。
仏教徒にとって釈尊の死は単なる死ではありません。
有為転変の世界から無為寂静の世界に入り、目には見えねども永遠の真理の姿となってこの世界を照らすのです。
御詠歌は、それを澄みきった月にたとえています。
この世界では、覚られた人、釈尊といえども諸行無常の理(ことわり)を免れません。
肉体は老い、朽ち果てるのです。
アーナンダよ、私はもう老い朽ち、齢を重ねて老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達して、わが齢は80となった。
アーナンダよ、たとえば古ぼけた車が革紐の助けによってやっと動いて行くように、私の車体も革紐の助けによってもっているのだ。(大パリニッバーナ経 中村元訳)
体調を崩しながらも北へと最後の旅を続けていた釈尊でしたが、やがて限界に達し、北インドのクシナガラという町の郊外の林の中に身を横たえられます。
大きな二本の沙羅の木の間でした。
やがて、急を聞いて集まってきた弟子たちに対し最後の説法をなされます。
遺教として現在に伝わるものです。
釈尊は、私が今まで説いてきた教えを守り、志をもって生きてゆきなさいと諭されています。
我がもろもろの弟子、展転してこれを行ぜば、すなわち如来の法身常に在ってしかも滅せざるなり(遺教経)
有為転変の世界から、寂静無為の世界に入られた釈尊ですが、そのいのちは、教えを信じて生きていく人、一人ひとりの身体に、心の中に流れて不滅であると仰せられたのです。
平成23年2月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の観音様の朝詣りは午前6時半から行います。