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平成23年9月29日~30日大本山總持寺参拝
2011年11月10日大分掲載が遅れてしまいましたが、9月29日~30日の大本山總持寺参拝旅行の記事をあげます。
曹洞宗には2つの本山があります。
1つは福井にある大本山永平寺、1つは横浜鶴見にある大本山總持寺です。
祥雲寺では毎年参拝団を組み、この2つの本山を交互にお参りしてきました。
今年は同じ教区にある上三川見性寺さんと一緒に参拝団を組んでお参りしてきました。
大本山總持寺本堂「大祖堂」前での記念写真です。
今年は總持寺御移東100周年記念の年に当たり、地震の影響もありましたが記念の法会を行っていました。
總持寺は元々は能登半島のお寺でした。
それが明治の頃に大火に遭い、広大な伽藍が全焼してしまいました。その時の禅師様が
「能登の山奥に再建するよりは、文明開化により諸外国に開かれた横浜に居を移し、曹洞宗を世に広めた開山様に倣って再び曹洞宗の教えを世に示そうではないか」
とおっしゃられ、丁度100年前に横浜に移ってきました。
今年は百周年を記念する年として記念事業を諸々行っており、当参拝団もそれに参加させてもらいました。
本堂での法要で参拝団一同御焼香をしています。
大祖堂の中の写真です。
千畳敷きの巨大な本堂ですが、当初の構想では三千畳敷きの更に巨大なものであったそうです。
御移東を提言された時の禅師様の発案というのですから、実に気宇壮大な方であったのでしょう。
本堂の鐘つき堂に上がらせてもらいました。
この大きな鐘は、実は祥雲寺で寄贈したものであります。
祥雲寺住職の祖父は元々名古屋の人でした。
總持寺が御移東するにあたって、関東での常駐をする為に宇都宮に居を移し、その功績を評価していただいたことから本堂の鐘を寄贈するに至ったという経緯がありました。
参拝団の内何人かは身内の名前が寄贈者として鐘に刻まれており、懐かしい名前を見つけることができたようです。
總持寺を出た後は尊徳記念館、二宮尊徳生家に立ち寄りました。
栃木にも縁のある方だけに、じっくりと見て回りました。
今回の参拝宿泊は大雄山最乗寺です。
前回の總持寺参拝でも宿泊しましたが、ここは總持寺が御移東するにあたって
建物の材木を拠出したりと尽力したお寺でもあるので、今回の参拝に御縁のあるお寺とも言えるのでしょう。
夕食を頂いてからは軽く打ち上げ。
上三川の方達と入り混じって話に花を咲かせました。
翌朝の朝課(朝の法要)。
大雄山は天狗が建てた、という逸話が残っているほどに立派な伽藍が山の中腹を占めています。
朝課を本堂で行った後、階段を上って上の祈祷所に行き、迫力のある御祈祷を受けて朝のお勤めが終わりました。
大雄山駐車場の土産物売り場での一枚。
大雄山の後は高尾山にお参りしてきました。
ロープウェーが完備されているのでそれほどの労なく薬王院にお参り出来ました。
お昼は八王子にあるうかい竹亭で。
前回の總持寺参拝は東京タワー下の同じうかいで頂きましたが、
こちらも同じく瀟洒な佇まいと美味しいお料理を堪能させていただきました。
最後は多摩にある昭和天皇御陵にお参りし、夜7時ごろに宇都宮に帰着しました。
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平成23年10月朝参りのお知らせ
2011年10月17日秋晴れの空と祥雲寺本堂
曹洞宗はお釈迦様をご本尊とし、永平寺、総持寺を同格の大本山とする宗旨です。
そして永平寺開山道元禅師、総持寺開山瑩山(けいざん)禅師を両祖とします。
一般的に使われる宗祖という言葉を使わないのは、宗祖というとどうしてもお一人を指すと考えられてしまうからです。
瑩山禅師は道元禅師より懐弉禅師、義介禅師と次第して、日本曹洞宗では4代目に当たる方です。
その方がどうして道元禅師と並び称せられるのでしょうか。
それは宗派としての曹洞宗を確立した方だからです。
曹洞宗はお釈迦様の正しい教えを祖師から祖師へと代々伝えてきたことを信仰の核とします。
お釈迦様から直接に法を継承した迦葉尊者を第1祖として、道元禅師は第51祖に当たります。
代々の祖師は仏教で一番大事なこと、一大事を明らめる(それを悟りとも身心脱落ともいいます)ことによって法を伝えてきました。
瑩山禅師も義介禅師の印可証明を受けて54祖となりました。
そのことでいえば歴代の祖師はすべて同格です。
道元禅師に帰依した僧侶の中には平安末期に日本独自に興った達磨宗という僧団に属していた人たちがいました。
懐弉禅師や義介禅師がそうです。
さらには義介禅師の弟子として瑩山禅師もその流れを汲んでいるともいえます。
瑩山禅師は、釈尊から懐禅師に至る歴代祖師のそれぞれの悟りの契機を述べ、道元禅師の教えこそが曹洞宗の命脈であることを弟子たちに示しました。
これによって曹洞宗という教団が生まれ、その弟子である峨山禅師に始まる曹洞宗の大発展がありました。
具体的には、たくさんのお寺が建てられていったのです。
そのお寺の多くは、地方の小領主や農民によって建てられました。
寺を守り伝えたのもその人たちです。
先祖の御霊を守り民衆の心の拠り所となる寺院が建てられていく、その基(もとい)が瑩山禅師によって確立されたのです。
平成23年10月15日 祥雲寺住職 安藤明之
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平成23年9月朝参りお知らせ
2011年9月15日山門前の百日紅(さるすべり)、去年よりも開花が遅れた。
台風12号は、平成最大の台風被害をもたらしました。
激甚地となった紀伊半島は日本一の木どころ、林業地ですが、林業の衰退による過疎化或いは山林の荒廃とこの度の被害の大きさは、無関係ではないと思います。
昭和の最後のころ、森林資源の無駄遣いとして割り箸がやり玉に挙がりました。
その時に、奈良県の林業家からの新聞投書がありました。
その趣旨は、間伐材の貴重な需要先としての割り箸をなくさないでくださいというものでした。
私はそれを読んで、ものごとを単純に考えてはいけないことを思い知りました。
豊かな森林の恵みは、林業のみならず、農業、漁業に及びます。
さらには、良質の水を生み、空気を浄化するなど都市生活の基盤となっています。
日本は国土に占める森林の面積比率が世界で最も高い国の一つであり、それが日本の豊かな国土の源泉になっています。
そして、その森林のほとんどは人工林です。日本は森を作ってきた国です。その林業が行き詰っています。
原因は多岐にわたるのでしょうが、何といっても、日本産材木の需要が少ないのが一番の原因です。
そこで、祥雲寺では法事に用いる卒塔婆を3年前から間伐材に替えました。
卒塔婆の材料は、国産樅材が払底し外国産材が使われています。間伐できないことが山林荒廃の原因の一つなので、間伐材使用は意義あることと思います。
さらに今年からお施餓鬼の卒塔婆を、県内産の杉材に替えました。
戦後大量に植林した杉は、建築工法の変化とともに需要が大きく減りました。
荒れるに委せた杉山が全国に広がっています。
間伐材(これも杉材ですが)、杉材、ともに外国産材に比べて見た目が悪く、しかも割高ですが、ささやかでも林業振興の一助になればと思い、かようにさせていただきました。
お檀家の理解を乞うとともに、同様の試みをする御寺院があることを願っています。
平成23年9月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の観音様の朝詣りは午前6時から行います。
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平成23年大施餓鬼会
2011年9月15日祥雲寺では毎年8月29日に全檀家を対象とした先祖供養の施餓鬼法要を行っています。
今年も8月の終わりに、年間最大の行事を行う日がやってきました。
法要を行う施餓鬼棚。
本尊様を北面に、お檀家の御先祖供養を行う施餓鬼棚を南面に祀り
法要を行います。
仏旗を掲揚しています。
仏旗とは、お釈迦様の徳を顕す5色を元にした仏教のシンボルとなる旗です。
石彫り会の皆さんの手を借りて、朝方掲揚しました。
午前中は世話人会総会、興隆会総会等を行い、祥雲寺の年間行事や予算についての告知説明等を行います。
お昼は旭町のそば屋田中屋さんに出張いただき、いらした皆さんにそばうどんをふるまいます。
今年は東日本大震災の年であり、節電の夏でありました。
電気の使用が制限される中、いらした人たちにどうにか涼をとってもらおうと思い
氷柱を4本設置してみました。
冷房としての効果は微々たるものですが、あるだけで涼しく感じると評判もよかったので来年はもう少し大きな氷柱を入れてみたいと思います。
午後1時から説教師さんによる法話が始まります。
説教師は千葉県から石川光学老師にお越し頂き、お願いしています。
午後2時になり施餓鬼法要が始まります。
お施餓鬼というのは、文字通り「餓鬼に施す」ということです。
これは自らの命を尊び感謝をし功徳を願うとともに追善供養として三界(全ての世界)萬霊の有縁無縁の精霊を供養し併せて檀信徒の御先祖様方の供養を行う行事なのです。
参加されたお檀家さん方の焼香。
お釈迦様は「施餓鬼棚に新鮮な山海の飲食をお供えし、修行僧に施餓鬼会の法要を営んでもらいなさい。修行僧のお経の法力によって、少量の供物は無量の供物となり、全ての餓鬼に施されるであろう。そして、多くの餓鬼は救われ、お前も長寿を得られ、さらに尊いお経の功徳によって、悟りを開くことも出来るだろう。」
とお弟子さんに語られたことがあり、これがお施餓鬼の由来となっています。
施餓鬼会が終わって供養したお塔婆を外に並べています。
本数が多い為、来た人が受け取りやすいように外に木枠を設け、地域や五十音順で並べて受け取ってもらっています。
例年5月から準備をし始める大変な行事ですが、それだけにこれが終わると
「夏が終わった」としみじみ感じ入ります。
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平成23年8月朝参りお知らせ
2011年8月17日8月13日10時より、本堂前にて迎え火
東日本大震災から早くも5ヶ月が経ちました。
テレビを付けると、被災地ではボランティアの人たちの手を借りて倒れた石塔を起し、お盆を迎える為の準備をしていました。
今年は、2万名余の人々の初盆になります。
被災地の人にとってあの惨禍の記憶はあまりに生々しく、涙つきないことでしょう。
心から同情し、お慰めを申し上げます。
あの地震が起こった時、私たちはこれは日本の大きな転換点になると感じました。
1990年代からの経済の停滞があり、リストラ、失業率の上昇など明るさの見えない社会状況が続いています。
政治では、55年体制といわれる自民党中心の政治が、国民のニーズに対応できなくなりました。
そして変革の期待を担って登場した民主党政権ではひどい失望を味わっています。
戦後社会への行き詰まり感があり、私たちの心の中に醸成されていた変革への思いが、未曾有の天災に直面し、より強く意識されたのだと思います。
行き詰まり感は、これから先は国が衰退し国民も窮乏に向かっていくのではないかという不安感であり、変革を願いつつも先行きがいっこうに見えてこない焦燥感です。
しかし、ここに来て、私たちがなすべきことがはっきりしてきたのではないでしょうか。
それは、勤勉、忍耐、協調、団結、信頼、思いやりなど、昔から培われてきた価値観に基づく行動です。
困難に耐えて頑張っている被災地の人たち、全国各地から駆けつけたボランティア、あるいは不遇をものともせずに団結して世界一になったなでしこジャパン、これらの人々の姿の奥には昔からの美徳が息づいているし、私たちはそのことに共感し感動しています。
8月15日の何もかも失った時から出発した日本、、原点に還って再出発していく勇気を持とうではありませんか。
平成23年8月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の観音様の朝詣りは午前6時から行います。