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平成22年春彼岸(中日)
2010年3月21日今日3月21日は春彼岸の中日になります。
予報では風雨の強い荒れた天気になるとのことでしたが
朝のみの雨で済みました。
今年は土日月と3連休になったので、例年より散らばってきているようです。
昼ごろは大陸からの黄砂が飛来して、外で目をあけているのが若干辛くなってしまいました。
今朝がた祥雲寺のしだれ桜も開花を確認しました。
去年の開花が3月20日だったので、ほぼ同じくらいのようです。
今月末位が見ごろになりそうです。
開花情報はHPの方で随時更新していきます。
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山本観音開扉法要(平成22年3月17日)
2010年3月21日市内山本の観音堂で、
山本地区の守り本尊として信仰されてきた観音様の
一年に一度の御開帳、開扉法要を17日に行いました。
山本観音堂では山本地内の人によって恵心僧都の作と伝えられる聖観世音菩薩様が代々信仰されてきました。
昭和20年代、観音様の盗難の危機があり、昭和27年の半開帳の後、観音堂を人が住める規模の御堂として作り直す計画が起こり、山本地内の人々の奉仕及び祥雲寺檀家の協力を得て、昭和36年、現在の観音堂が完成しました。
使われた木材は主に祥雲寺境内内の樹木を山本地内の人々の労力奉仕によって伐採したものとのことです。
観音様の扉を開け放ち、法要を始めます。
開帳された聖観世音菩薩様。
以前は60年に一度の本開帳、30年に一度の半開帳が行われていました。
したがってお姿を見ることができるのは30年に一度だったのですが
昭和36年の落慶以後毎年に御開帳を行うようになり、白坂峰観音堂の御本尊として山本の人たちに信仰されてきています。
法要が終わった後は設斎の席になります。
こちらの観音様は永らく山本の地で祀られてきましたが、
振り返ってみると江戸時内の頃には、宇都宮は全国有数の過疎地でもありました。
日光街道の要衝でもあった宇都宮は、大名などの日光参詣の度々に人馬の徴発があり
加えて天明の飢饉がおこって、人々の生活環境は大変苦しいものだったそうです。
その中でもこのように観音様を今も伝えることができたのは山本の人たちの信仰心、団結力の表れなのだと思います。
この後1時にお経を読み、来年まで扉を閉ざしました。
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平成22年3月朝参りお知らせ
2010年3月15日み仏も しあわせ満ちて おわすなれ
彼岸会の朝 香華満ち満つ(梅花流御詠歌)彼岸会は、春分の日、秋分の日に太陽が真西に落ちることから、西方浄土が一番身近に感じられる時として、御先祖に想いを致し感謝の祈りをささげる年中行事です。
また、「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があるように、天地陰陽の交代する時節であり、この時に持斎して行いを慎むと大きな功徳が生まれるとされました。
実際、季節の移り変わりがはっきりしている日本にあって、春秋のこの時期は、風のそよぎ、光と影の移ろい、動植物のありさま、すべてに変化が感じられます。
肌で感じる変化は時の移ろいを感じさせ、自然の素晴らしさを感じさせてもくれます。
このようなときに私たちがこの世界に生かされて生きていることを実感し、そのことに対して感謝の思いを持つのはそれこそ自然なことであると思うのです。
しあわせとは、お互いが感謝の思いを持って生きるときに生まれるものです。
そして感謝こそが宗教の本質です。
現在、「宗教」という言葉はほとんどがマイナスイメージで使われます。
「宗教」というと何かうさんくさいものとされ、公的な場からはどんどん排除されているのです。
これは現代人が、目に見えるものしか信用しない、目に見えないものはお金や物に換算して価値を計っている所からきています。
しかし、本当の価値は目に見えないもの、物差しでは計れないものの中にあるのです。
最初の御詠歌の「み仏」は、「ほとけさま」と「御先祖」両方の意味にとれます。
いのちをいただいたものへの感謝の思いを持って香華を手向ける。
手向けた者にも、手向けられた方にも安らぎがあります。
それが朝日に映えて澄みきっていてすがすがしい、そんな和歌です。
平成22年3月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の観音様の朝詣りは午前6時から行います。
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ハイチ震災チャリティのお知らせ
2010年3月15日お彼岸も近くなり、大分寒さも和らいできました。
参道の梅林も紅梅から白梅へと移り変わり、徐々に春めいてきています。
近くに座ると、ほんのりと白梅の香りが包んでくれます。
黄梅はもう少ししてからが見ごろになりそうです。
話変わりまして、チャリティ民謡のお知らせをします。
昨年12月1日の無縁供養大祭の折に、県内各地で活躍されている美寿々すみ子先生に唄語りを披露していただきました。
そのご縁もあり、ハイチ地震の被害報道に際し、支援を行う為に祥雲寺を会場にチャリティ民謡を4月3日に行うことになりました。
美寿々先生はシルバー大学で昔語りの指導を行い、県内各地で同好会を立ち上げ、精力的に活動を行っている方です。
先生の昔話の唄語りは一般にイメージされる古臭いものではなく、みずみずしく生き生きとした、まさに「血の通った」昔語りといえる面白いものです。
4月には境内も丁度桜の開花を迎える時分になります。
花見に合わせて、多くの方にお越しいただきたくお知らせいたします。
- 日時:4月3日午後2時より
- 場所:祥雲寺本堂1階
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平成22年2月朝参りお知らせ
2010年2月13日涅槃会 遺教経読綬(於 祥雲寺室中)
汝等比丘、諂曲(てんごく)の心は道と相違す。この故に宜しくまさにその心を質直にすべし。(仏遺教経)
「諂曲」こび、へつらい。 「質直」正直、すなお
2月15日はお釈迦様が入滅された日、涅槃会です。
「仏遺教経」は、急を聞いて集まってきた比丘(弟子)たちになされた最後の説法として伝えられたお経です。
お釈迦様は弟子たちに向かって、私がいなくなっても、志を持って真実の道を歩みなさいと諭(さと)されます。
媚(こ)び、へつらいは他人に迎合し、自分の主体性を放棄した生き方です。志を持って生きることとは反対です。
へつらいを捨てて誠実に生きなさいとおさとしです。
遺教経ではこれに続いて、「小欲」と「知足」の法が説かれます。
欲多き人は自己の利益を求めて、それが満たされずに苦悩することになる。
欲望を充たさんがために人に媚びへつらって、自分の本当に生きたいと思う道を歩むこともできなくなってしまう。
また五官の欲望に振り回されて道を踏み外したりすることともなる。
欲望には自制が必要である。・・・これを小欲として説かれました。
苦悩から抜け出ようとするならば、現在のものごとを節度と満足をもって受け止めなければならない。
心に余裕が生まれ、煩悩の波風に揺り動かされることもなくなる。・・・これを「知足」として説かれました。
「小欲」と「知足」は表裏一体の関係にありますが、お釈迦様はこの小欲知足を、ただ悩みから脱却するための手立てとしてお説きになったのではありません。
欲にとらわれて、自分の道を見失うことを戒め、正直に誠実に生きてゆくことを第一とし、そのための基本の心構え、実践のあり方としてお説きになっているのです。
平成22年2月13日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の観音様の朝詣りは午前6時半から行います。
