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令和7年5月 朝坐禅会「指月の会」案内(5月19日朝6時半~)
2025年5月17日己こそ己の寄る辺、己をおいて誰に頼るのか
よく整えし己こそ、まこと得がたい寄る辺となる 「法句経」
先日、話題の映画「教皇選挙」を見てきました。
世間でもキリスト教ローマ教皇の選挙コンクラーベが話題となっていて、朝一の上映でしたがまずまずの客入りで、関心の高さがうかがえます。
私にとっては異教の話ですが、変化の早い現代社会の中での自身の信仰のあり方に悩む主人公の主席枢機卿の悩みは大いに共感できるところでした。
バチカンの壮麗な宗教建築やそこで働く(神に奉仕する?)人々の動きを映す場面も多く、資料映像としても見応えのあるものです。
映画としての大筋は教皇の死去から始まり、主人公となる老年の主席枢機卿が選挙コンクラーベを運営し、其の中で各立候補者の表と裏が露わになって、有力候補とされる自身の責任と信仰が試され続けていくものです。
パンフレットにありましたがイギリスの俳優はシェイクスピアの悲喜劇を体験することで感情表現に強い傾向があるそうで、主人公の重責と義務感、楽になりたいという思いがひしひしと伝わってきて、見応えのあるものでした。
パンフレットの解説やネットの感想を見るに、主人公の信仰への疑念、悩みの種は数々の騒動を経て解決へと落着したそうです。
他山の石、とはすこし違うでしょうが、枢機卿として集った各人の宗教者としての姿勢や真摯な者の言葉を見聞きする中に解決の道筋を見いだせたのでしょう。
私自身様々考えさせられ、記憶に残る作品となりました。
作中主人公は自らの信仰に悩んでいましたが、では翻って私の信仰とは何であるのか?
私はお寺に生まれ育ち、長男として跡を取らなくてはならないとの義務感から出家し福井永平寺に修行に上がりました。
仏教について駒澤大学で勉強し、字面での知識はあってもさしたる興味関心を持てず、決して発心して僧になったのでは無い私でしたが、永平寺での厳しい修行、12月の蝋八大摂心という大修行で仏心に見えることが出来ました。
坐禅とは疑いなく安楽の法門であり、仏道を行ずるならばどんな人であれ尊い仏様に同じく生きる事ができる事実を目の当たりにしました。
仏教とは修行とは、古くさい形ばかりのものではなく、人が生きる中であれこれ抱えてしまう悩み苦しみを解決できる力があるのではないだろうか。
そう思えて自分で参究しはじめたこの時から、私の本当の意味での出家修行が始まりました。
かつて花園大学の佐々木閑先生は、曹洞宗というのは鎌倉期の日本にあって、仏教の原点であるインドのお釈迦様の教えに立ち返ろうとして八割方成し得た宗派だ、と講義されていました。
我が宗祖道元禅師の信仰とは、歴代仏祖の生き方をそのまま自身の生き方とするものでした。
仏教とは、仏心に生きようとする道筋を説くもので、仏道とは修行とは仏の生き方を学び真似び、自らの生き方としていくことです。
仏心(ほとけごころ)というのは刑事ドラマで人情味たっぷりに使われる情け心なんかではなく、私の坐禅の師である板橋興宗禅師はこんな言葉で示されています。
「偏らない心、拘らない心、囚われない心、広く広くもっと広く、これがお釈迦様の心なり。」
祥雲寺 安藤淳之
偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。
欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。
我を離れることの出来る閑かな時間、坐禅の時間を御一緒にいかがですか?
当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。初めての方は15分前に来てください。来月の開催は6月28日となります。また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています -
5月 朝詣りのお知らせ
2025年5月13日沖縄は日本国内で唯一戦場になりました。
太平洋戦争は、日本が経験した最も悲惨な出来事であり、空襲の恐ろしさ、親兄弟を失った悲しみ、戦中戦後の窮乏生活等々が、戦後生まれの私達世代にも生々しく語り伝えられました。
戦争の悲惨さに戦場も銃後もないかもしれませんが、それでも兵士でないものが直接戦闘に巻き込まれることは、その度合いが違うでしょう。
太平洋戦争での日本の戦い方は民間人を巻き込むことへの配慮が殆どなされませんでした。
近代戦争は国家総力戦ですが、それを精神論で推し進めると、全ての国民は命を捨てるべきだという建前になり、サイパン島での断崖からの投身のようなことが起こりました。
沖縄でも、住民の死者は9万4千人余、現地召集の兵士・軍属を加えれば12万人を越える人たちが亡くなりました。
明治以来、日本は、軍も含めて強固な官僚機構を造り発展しました。
しかしその向いている方向は、常に国家の護持のためでした。
そもそも、国民の保護を考えない、手立てを持たない国は、国家としての資格を持ちません。
そのことを果たすのが政府であり、沖縄で言えば防衛に当たった軍と、行政機関の義務であるはずです。
その当然のことが全体として軽んじられるなかで、県知事島田叡と警察部長荒井退造は、米軍上陸前に7万3千人を県外に避難させ、戦闘開始後には15万人を激戦の県南部から北部へ避難させました。
行政の責任者であり、なすべきことをなしたのですが、権限も大きければ責任も重い、がんじがらめの重圧下での決断は大きな勇気のいることだったと思います。
二人は沖縄戦終焉の摩文仁の地で生涯を閉じました。
二人を中心に沖縄戦を描いた映画「島守の塔」が昨年から上映されています。
荒井退造は宇都宮の出身で、映画のロケ地の多くに県内が選ばれました。
宇都宮仏教会では、7月12日の第80回戦災追悼法要を栃木県総合文化センターメインホールで行ない、引き続いて「島守の塔」を上映します。
入場料は無料です。詳しくは寺にお尋ねください。
令和7年5月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺東堂 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時から行います。
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5月の諸行事
2025年5月3日5月の諸行事 ご興味のある方はお問い合わせ下さい。
■大本山永平寺参拝旅行(5月25日~27日)
曹洞宗には二つの大本山があります。福井の永平寺と神奈川鶴見の總持寺です。
祥雲寺では毎年交互に本山への参拝旅行を企画しており、本年は永平寺へのお参りとなります。
初日は福井への道中富山で話題となっている富山ガラス美術館によって永平寺宿坊へ宿泊。
2日目は小浜を観光し、琵琶湖に宿泊。3日目は東名からトヨタ創業の豊田佐吉記念館を観光。
■雀宮善應院坐禅会(第四水曜日のみお休み)
宇都宮南町1番36号「善應院」にて毎週水曜日(第四以外)夜6時から行っている坐禅会です。
5月7日、14日、21日
■月例坐禅会「指月の会」(5月19日)
祥雲寺本堂にて毎月第四月曜朝6時半から行っている坐禅会です。
今月は本山参拝と日程が被る為第三週月となる19日に行います。
■テラヨガ(ヨガ教室)
阿久津先生指導の下第一第三金曜日10時半から。初心者クラスは第二第四金曜日10時半から
■陶芸教室「祥陶会」
駐車場下の作陶場にて毎週火、木午後1時から行っています。
■石彫会「羅漢の会」
毎週土曜午後、駐車場作事場にて石仏の彫刻を行っています。指導は松原「金野石材店」
屋外なので冬場は休止もある為お問い合わせ下さい。
■茶道教室
月二回火曜日午後1時半から、裏千家平山尚子先生のご指導の下行っています。
13日、27日
■写経会
写経会は5月から11月、第二日曜日午後2時から行っています。
11日
■御詠歌
5月8日 10時~12時 祥雲寺にて 東堂指導講習
5月19日 10時~12時 祥雲寺にて 飯塚先生指導講習
5月29日 13時半~15時半 長岡公民館にて 東堂指導
■フラワーアレンジメント教室
南宇都宮駅前「フラワー花亀」亀井先生指導の下第四水曜日午後1時半より行っています。
28日
■折り紙教室
カルチャースクール講師長谷川京子先生指導のもと第3水曜日午前10時よりより行っています。
21日
■クラフトペーパー教室
同じくカルチャースクール講師長谷川先生指導のもと第2月曜日午前10時より行っています。
12日
■観音朝詣り
境内33観音霊場を18日朝にお参りするミニ巡礼会です。開始時間は季節により前後します。
今月は午前 6 時 から 祥雲寺℡(028)622-5719
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令和7年4月 朝坐禅会「指月の会」案内(4月28日朝6時半より)
2025年4月26日この坐禅会も始まって十年となります。
当初は東京の研修会で聞きつけた「朝活」というものを
市街地隣接の祥雲寺なら坐禅会として行えるのでは、
また修業時代の朝に坐禅する習慣を維持するためにも大勢で行じるならば
無精な私でも楽に、楽しくも出来るはず、と続けてきました。
初心を思い返し、最初の文章を今年も再掲します。
お前の苦しみを、じっと見つめてみよ。
誰々にののしられた、誰々により損害を受けた、
誰々に手ひどく負かされた、誰々に盗まれた、
という思いを抱いてはいないか。
その思いがすでに怨みであると知りなさい。
怨みを抱いた人生は重いものだ、安らぎというものがなくなってしまう。
いっさいの怨みを棄てよ。
今まで抱いてきたあれこれの思いをさっぱりと棄てよ。
棄てれば、必ず軽くなる。
棄てて、かろやかに生きなさい。
― 『スッタニパータ』第一章 ―
静かな所で何をするでもなく落ち着いて瞑想をすることで心身の調子が整う、という事は昔から広く知られ、行われてきました。
近年では科学的分析により血圧が下がる、海馬の機能が促進され脳内の情報整理がされる、精神安定に重要な働きをするセロトニンの生成が促される、等の効果が確認されているそうです。
しかし坐禅は、これらの効果を内包しながらも、何も求めないで只ひたすらに坐る事こそ最上のものである、と伝えられてきました。
私はそれは、「軽くなる」からだと思います。
人間生きていれば百人百様、様々な想いやしがらみを背負っているはずです。
古人は人生を「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」と形容したそうですが、時には荷を下ろし、わが身を見つめ直す時間こそ忙しい現代人に必要な物だと思います。
一人で行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
この朝座禅会はそのような場となる様発起しました。
皆さんと行うこの坐禅の一時が、「軽やかな」時間となることを願います。
祥雲寺 安藤淳之
偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。
欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。
我を離れることの出来る閑かな時間、坐禅の時間を御一緒にいかがですか?
当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。初めての方は15分前に来てください。来月の開催は本山参拝旅行の予定があるため第三週月曜日の5月19日となります。また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています -
4月 朝詣りのお知らせ
2025年4月26日祥雲寺のシンボルと言ってもいい枝垂れ桜がすっかり弱ってきました。
昭和53年、腐食菌による枯死を防ぐため、高さ3メートルで分かれていた主幹の一方を切り落としました。
以後復活を願って、樹全体の力を付けることを治療の中心に据えて手当てしてきました。
そのためには、樹に負担がかからないよう花芽を摘んで養分を幹に行き渉らせる治療をしたこともあります。
手当の甲斐あって、樹の勢いは増し、張り切った木肌を見て、数十年後の復活を夢見たこともありました。
しかし樹の内部に巣くった腐食菌は取り切れず、勢いあった新生の枝があっという間に枯れてしまったり、主幹も2メートル、1メートルと切り落とさなければなりませんでした。
我が身が癌に冒されたようでもあり、壊疽を患った人が足を切り詰めてゆく悲しさに思い至ったこともあります。
幾百年の命をながらえた樹にも終わりはあります。
生者必滅の理を覆すことはできません。
花が咲くのはあと十年か、二十年か、五十年か。
それならばこそ、春の盛りには精一杯の花を美しい姿で付けさせてあげたいと思います。
今年は、冬に肥料を充分やりましたので花の付きが良く、色も美しかった。
枝のバランスを支柱で調整してやればもっと美しくなるでしょう。
幸いに、次の代の桜が大きくなってきました。
昭和23年3月9日、山越の火を受け、祥雲寺の全伽藍が焼失したとき本堂側の部分が類焼したのが枝垂れ桜の衰弱の始まりでした。
その年に芽を出した苗4本を、裕之和尚が大切に育てた木が今も残っています。
弁天堂のそばに一本、山の上に一本、後ろの谷間に二本。
樹齢77年、きれいに花を咲かせています。
特に谷の池端の樹は大木になるでしょう。
大事にしていきたい、大事にしていってもらいたいと思っています。
令和7年4月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺東堂 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時から行います。