ごあいさつ

宇都宮市の祥雲寺は歴史のある曹洞宗のお寺です。
栃木県庁のすぐ北にあり、自然林の中には西国三十三番の観音像が祀られています。
また、樹齢350年を超える枝垂れ桜の老樹は県天然記念物として有名です。
たくさんの方々に仏教を親しんでいただくことを願いとし、様々な信仰行事を催しています。

ようこそおまいり

観音朝詣り 栃木県宇都宮市の祥雲寺(曹洞宗) | 桜や祭りが名物の寺

観音朝詣り

  • 令和3年四月 観音朝詣り

    2021年4月14日

    宇都宮仏教会の花まつり法要を四月六日祥雲寺にて行いました。 例年なら大通りでパレードをし、文化センターで法要公演となるのですが、コロナ禍の為縮小して行っています。

    宇都宮保育園園児による礼賛の舞い。この日の為に一生懸命練習してお披露目しています。

     

     先代住職裕之は「曹洞土民」とよく言っていました。
    また弊師と同年代以上の宗門の老僧方もよく「曹洞土民じゃから」という言い方をしていました。
     いつの時代からか分かりませんが「臨済殿様、曹洞土民」という言葉が使われました。
    これは、同じ禅宗でも、臨済宗は将軍家や守護などの大大名が建立し、大伽藍とそれを維持する広い領地をもっていた寺院が多いのに対し、曹洞宗は百姓に支えられた田舎寺が大部分だったことからきたのだと思います。
    そしておそらくは曹洞宗を蔑む言葉だったのでしょう。土民も農民を蔑む言葉です。
     しかし私の聞いた限り、裕之や老僧方は卑下してこの言葉を使ったようには思えません。
    そうではなく、曹洞宗は民衆と共にあるのだという自負を感じました。
     「土」は、農耕社会では生産の基(もとい)です。
    生命の母であり、死ねば等しく帰って行くところとされました
     「百姓」も、近年では農民に対する差別語としてのみ使われるようになりました。
    かつて檀家の農家の親父さんたちが「俺は百姓だから」と言うとき、土に塗(まみ)れて耕し、命の基(もとい)を生産している者としての誇りを感じたものです。
    権力を握る側からは差別語であったかも知れないが、民衆には民衆の誇りがあったのです。
    それは労働する者の誇りです。
     情報化社会と言われて久しい現在では、汚れる仕事、肉体的にきつい仕事は嫌われるだけでなく価値もおかれなくなりました。
    コンピュータを駆使する仕事の方がはるかに高い労働生産性を持ち、従って給与もよい。
    いわゆる3Kに分類される仕事に進んで就こうとする人は少なくなり、外国人に頼る状況です。
    将来はロボットに任せるという話もあります。
    果たしてそれでよいのでしょうか。
      人間は本来、額に汗して働き技術や知識を身につけてゆく、そんな労働に喜びと幸せを感じる生き物です。
    肉体的な労働から解放されることが、実は人間の喜びを奪ってゆく。
    現代文明は人間の幸せと反対の方向に向かっている。
    そうでなければいいのですが。
     令和3年4月15日
                  宇都宮市東戸祭1-1  祥雲寺住職  安藤明之
    十八日の朝詣りは午前6時から行います。
  • 令和3年三月 観音朝詣り

    2021年3月16日

     

     

    3月頭の梅林。

    3月頭は紅梅、蝋梅、白梅が一斉に見ることが出来ました。

    5日スタートのテラヨガ

    楽しく一時間頑張りました。毎月第一第三金曜日10時半開催。

    今年初めてのご詠歌。本堂でご本尊に一緒にお唱えから始めました。

    3月11日は東日本大震災から10年。慰霊碑の前で来られた方とお経をあげて手を合わせました。

      2月21日の朝、NHKで「新日本紀行『南栃木』」という番組がありました。

    昭和44年の映像の再放送です。

     

     渡良瀬川の渡し守りから始まって、足利の機織りと友禅流し、出流山の行者、葛生の砕石場、蔵の町の伝統を守ろうとする栃木、工業化し若者のあふれる小山、最後は足尾鉱毒事件で廃村になった谷中村跡の様子でした。

    経済高度成長期のまっただ中、変わりゆく日本が捉えられ、身近な地域の映像だけに感慨深いものがありました。

     NHKは質の高い番組を作ってきたと思います。

    それは、ドキュメントに限らず、科学番組や政治経済番組、さらには娯楽番組までにもいえることです。

     ところが、現在NHKへの風あたりはとても強いのです。

    政権に近い保守派からは、報道が政策批判に偏向していると非難され、国営放送として「粛々と」事実のみを伝えればよいと言われます。

    実はその事実とは為政者に都合のよい事実を指すのですが。

     一方では、NHKが政府の意向を忖度して事実を伝えていないとの批判も多くなされています。

      両方向からの批判にさらされるのは、国民から受信料を取って、独立採算制で運営しているからです。

    税金を財源としないので国営放送ではなく公共放送です。

    公共放送というのは、電波は国民の共有財産であるという考えに基づいています。

    国民のものとして、事業・予算と経営委員の任命は国会の承認に依り、間接的に国民が運営に関わるという建前です。

     

     お金を出していれば、口を出したくなるのは世の常です。

    放送内容や運営について物言いがたくさんなされるのはよいことだと思います。

    しかし、それが受信料の否定につながるのはよいこととは思えません。

     受信料を国民が負担し、それ故に国民の監視を受けなければならないという建前になっているからこそ、よい番組を作り続けてきたのだと思います。

     学術、文化に関わるものは基本的に政治、権力から干渉されないようにすべきです。その意味で、現在の公共放送のあり方は維持していくべきだと思います。

     令和3年3月15日

    宇都宮市東戸祭1-1  祥雲寺住職  安藤明之

    十八日の朝詣りは午前6時から行います。

  • 平成30年6月 観音朝詣りのお知らせ

    2018年6月18日

    琵琶湖畔、渡岸寺

    露に濡れる新緑の中の参拝となりました。

     

     本年の本山参拝、永平寺参拝の帰りに、滋賀県長浜市渡岸寺の十一面観世音菩薩を拝んできました。

     平安時代初期、貞観年間の頃制作されたと推測される国宝の観音像で、日本彫刻史上最高傑作であるという人もいます。

    それは、この観音様がただ美しいだけではなく、人間の持っている様々な心性に対応して仏様の世界に導く力を像の中に秘めているからです。

    頭上に戴く渋面のうち七面が、怒りをあらわす表情で、人間の悪心を滅することを表しています。

    とくに真後ろにある暴悪大笑面は、悪を笑って仏の道に入らしめるはたらきを示すものですが薄気味悪く、まるで悪魔の表情です。

     

     白洲正子さんは、名著『十一面観音巡礼』の中で、これらの表情は、この仏像の製作者が自ら体験したものから生まれたのだと想像しています。

    この時代の仏師は仏像を造ることが修行であり信仰の証しであって、仏像は、仏法という共通の目的をめざして、一人一人が造りあげた精神の結晶だというのです。

    傾聴すべき言葉と思います。

     

     芸術家によるものであれ、職人によるものであれ、才能と修練の技を持って精魂を傾けて造りあげられたものは人の心を打ちます。

    仏像がそれらの芸術品、美術品とちがうのは、それが俗世間を超越したものであるという信仰によって拝まれるものであるということです。

     

     私は、東京国立博物館で仏像の展覧会があると、必ずといっていいほど見に行きます。

    そのときにどうしても感じてしまうことがあります。

    それは、これらの仏様が、美術品鑑賞の眼にさらされるものではないということです。

    正面だけでなくあらゆる角度から見ることが出来るように展示された御像は、美術品の鑑賞としてうってつけです。

    私も鑑賞の眼になってしまいます。

    しかし、仏様は拝むものです。

     

     渡岸寺の観音像は、姉川の合戦の時には、村人によって地中に埋められて破壊を免れました。

    信仰を伝えて来た地で拝むことが出来てよかったと思います。

     

    平成30年6月15日

                                  祥雲寺住職 安藤明之

    十八日の朝詣りは午前6時から行います。

祥雲寺行事案内

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