ごあいさつ

宇都宮市の祥雲寺は歴史のある曹洞宗のお寺です。
栃木県庁のすぐ北にあり、自然林の中には西国三十三番の観音像が祀られています。
また、樹齢350年を超える枝垂れ桜の老樹は県天然記念物として有名です。
たくさんの方々に仏教を親しんでいただくことを願いとし、様々な信仰行事を催しています。

ようこそおまいり

しだれ桜 栃木県宇都宮市の祥雲寺(曹洞宗) | 桜や祭りが名物の寺

しだれ桜

  • 令和7年2月 朝坐禅会「指月の会」案内(2月24日朝6時半より)

    2025年2月23日

    涅槃図

     

     

     

      おんみら知るべし。求むるところ少なきものは心安らぎて

     うれいおそるることなく、事にふれて足らざることなきを。

     もし悩み苦しみをのがれんには、足るを知るにしくはなく、

     さとりの安楽を求めんには、ひとり静かに慮(おも)うべし。

                     『宇都宮仏教会伝道部訳 遺教経・小欲知足』

     

     二月十五日はお釈迦様の命日であり、涅槃会と呼ばれています。

    仏伝には、お釈迦様は御年80歳の旅の中、クシナガラという地の2本の沙羅の木、沙羅双樹の元に身を横たえられ、満月の夜に沢山のお弟子達に囲まれて涅槃に入られたと書かれています。

    この場面を描いた仏画を涅槃図といって、多くのお寺が二月十五日に掲げてお勤めを行います。

    またこの亡くなられる時、お釈迦様はご自身の教えが弟子達に間違いなく伝えられ、自分の死後も惑うことがないようにと、これまでご自身の説かれてきた教えを纏めて説いて示されました。

    この時説かれた教えは遺言の教えのお経、遺教経という名前で残されて、お葬式で読まれたり涅槃会の際に読誦されています。

    ただこのお経、ゆっくり読むと小一時間ほどもかかる少し長い経典になります。

    この遺教経を一般の方にも手に取りやすくしようと、私の祖父にあたる安藤裕之和尚と、宇都宮駅すぐ南の林松寺先々代阿部住職が共同で略訳を行い、宇都宮仏教会伝道部訳・略訳遺教経として同仏教会や市内寺院で用いられています。

     

     略訳遺教経は完訳版から要点を抜き出して作られたお経です。

    教えを道しるべとする持戒、心を定める禅定、精進や智慧等を説いていますが、上記は仏教の言葉として一際有名な「小欲知足」を主に説いている箇所です。

    意外に思われる方も居るでしょうが、仏教では無欲、欲を無くせとは説いてはいません。

    元来欲は生存に必要なものを満たすために求めるはたらきであり、肉体的な欲、心的な欲がありますが、ただそれだけでは特に悪いものではありません。

    しかしこの欲が、求めたものに過剰に愛着し妄執したら、それが煩いを生み出すから愛着するべきではない、と説いているのです。

    欲が過剰になれば自身を束縛する煩い即ち煩悩となる、だからこその小欲知足、欲少なく足ることを知る、ということが大切になってくるのです。

    仏教とは欲望を自制し、自身でコントロールできるようにしていく道を説いている教えなのです。

    欲が少なく出来る様にしていく為に必要となるのが足るを知る、事です。

    完訳版の遺教経にはこのようにも説かれています。
    足ることを知っている者は地べたに寝るような生活であっても心穏やかにある。しかし足ることを知らない者は天の宮殿のような所に住んでいても満足することはできない。足ることを知らない者はどれだけ裕福であっても心は貧しい。

     足るを知るのに必要なのは、見定めることです。

    それが自分に必要なのか、過ぎたものでないのか、実は足りている、十分持っているのではないのか、身を落ち着け静かな心持ちでよく見定めることが必要です。

    小欲知足で何が成されるのか、さとりの安楽と表現されているように、欲や自意識といった重く煩わしい煩悩から離れ解放されて、囚われがなくなります。

    坐禅における三昧の境地、私はそれを仏心と呼んでいます。

    祥雲寺 安藤淳之

     

    偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。

    欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。

    我を離れることの出来る閑かな時間、坐禅の時間を御一緒にいかがですか?

    当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。
    初めての方は15分前に来てください。
    来月の開催は
    第二回西国巡礼と第四月曜日が重なってしまう為1週間繰り上がり3月17日となります。
    また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています
  • 二月の諸行事

    2025年2月1日

    涅槃図。釈尊入滅の情景。

     

    2月の諸行事 ご興味のある方はお問い合わせ下さい。

     

    ■涅槃会

     お釈迦様の命日は2月15日になります。

     禅宗のお寺では2月1日より14日迄本堂に涅槃図を掲げて夕方にお勤めを行います。

    ■雀宮善應院坐禅会(第四水曜日のみお休み)

     宇都宮南町1番36号「善應院」にて毎週水曜日(第四以外)夜6時から行っている坐禅会です。

      2月5日、12日、19日

    ■月例坐禅会「指月の会」(224日)

     祥雲寺本堂にて毎月第四月曜朝6時半から行っている坐禅会です。

    ■テラヨガ(ヨガ教室)

     阿久津先生指導の下第一第三金曜日10時半から。初心者クラスは第二第四金曜日10時半から

    ■陶芸教室「祥陶会」

     駐車場下の作陶場にて毎週火、木午後1時から行っています。

    ■石彫会「羅漢の会」

     毎週土曜午後、駐車場作事場にて石仏の彫刻を行っています。指導は松原「金野石材店」

     屋外なので冬場は休止もある為お問い合わせ下さい。

    ■茶道教室

     月二回火曜日午後1時半から、裏千家平山尚子先生のご指導の下行っています。

      2月18日、25日

    ■写経会

     写経会は5月から11月、第二日曜日午後2時から行っています

      昨年12月8日納経会を納めの会とし、次は本年4月花祭り写経会まで休止となります。

    ■御詠歌

      東堂指導練習会 2月6日 13時半~15時半 長岡公民館

      東堂指導練習会 2月13日 10時~12時 祥雲寺

    ■フラワーアレンジメント教室

     南宇都宮駅前「フラワー花亀」亀井先生指導の下第四水曜日午後1時半より行っています。

      26日

    ■折り紙教室

     カルチャースクール講師長谷川京子先生指導のもと第3水曜日午前10時よりより行っています。

      19日

    ■クラフトペーパー教室

     同じくカルチャースクール講師長谷川先生指導のもと第2月曜日午前10時より行っています。

      10日

    ■観音朝詣り

     境内33観音霊場を18日朝にお参りするミニ巡礼会です。開始時間は季節により前後します。

    今月は午前 9 時  から                祥雲寺℡(028)622-5719

  • 一月の諸行事

    2025年1月8日

    門松を立てた祥雲寺。この松と竹はこの後昭和小学校のどんと焼きに用いられます。

    ■元朝祈祷

     除夜の鐘終わって未明に檀家信徒の一年の身体健全諸願成就無病息災を祈祷します。

     祈祷したお札は一月上旬に檀家全てに発送します。

    ■雀宮善應院坐禅会(第四水曜日のみお休み)

     宇都宮南町1番36号「善應院」にて毎週水曜日(第四以外)夜6時から行っている坐禅会です。

      1月8日、15日、22日

    ■月例坐禅会「指月の会」(127日)

     祥雲寺本堂にて毎月第四月曜朝6時半から行っている坐禅会です。

    ■テラヨガ(ヨガ教室)

     阿久津先生指導の下第一第三金曜日10時半から。初心者クラスは第二第四金曜日10時半から

    ■陶芸教室「祥陶会」

     駐車場下の作陶場にて毎週火、木午後1時から行っています。

    ■石彫会「羅漢の会」

     毎週土曜午後、駐車場作事場にて石仏の彫刻を行っています。指導は松原「金野石材店」

     屋外なので冬場は休止もある為お問い合わせ下さい。

    ■茶道教室

     月二回火曜日午後1時半から、裏千家平山尚子先生のご指導の下行っています。

      1月14日 初釜  28日

    ■写経会

     写経会は5月から11月、第二日曜日午後2時から行っています。

      昨年12月8日納経会を納めの会とし、次は本年4月花祭り写経会まで休止となります。

    ■御詠歌

      信念御詠歌会(鉦おこし)

       1月14日10時~12時

    ■フラワーアレンジメント教室

     南宇都宮駅前「フラワー花亀」亀井先生指導の下第四水曜日午後1時半より行っています。

      1月22日

    ■折り紙教室

     カルチャースクール講師長谷川京子先生指導のもと第3水曜日午前10時よりより行っています。

      未定

    ■クラフトペーパー教室

     同じくカルチャースクール講師長谷川先生指導のもと第2月曜日午前10時より行っています。

      1月13日

    ■観音朝詣り

     境内33観音霊場を18日朝にお参りするミニ巡礼会です。開始時間は季節により前後します。

    今月は午前 9 時  から                祥雲寺℡(028)622-5719

  • 令和6年12月 朝坐禅会「指月の会」案内(12月23日朝6時半より)

    2024年12月21日

    西国札所お参り

     

    而今

     

     しばらく前の下野新聞に、書道展の作品が載っていました。

    上記の言葉は掲載された作品の中の一つです。

    中々読みにくい言葉ですが「にこん」出典によっては「じこん」とも読みます。

    宇都宮の人ならば、老人介護施設の名前ということで聞き覚えがあるかもしれません。

    祥雲寺のご近所さんなら、中央警察署の裏に去年出来た人気の割烹料理屋を思い浮かべもするでしょう。

    作品の横に一言コメントで、作家水上勉の造語と書かれていましたが、これは古くからある禅語になります。

    意味は今この瞬間に真摯に向き合う、今を真剣に生きる、といった意味で用いられます。

     

     数年前にNHKスペシャルでストレス社会の対処法、といった番組がありました。

    曰く、ストレスは強まれば脳に器質的な不可逆の損傷をもたらすこともあるので軽視し看過してはいけない。

    ストレスとは二つのものが大きな部分を占める。

    過去にあった痛手を思い出し反芻して現在にストレスを感じる。

    未来にある嫌な事を想定して現在にストレスを感じる。

    対処法としてコーピングとマインドフルネスが挙げられる。

    コーピングとは自身にとって心良い、息抜きリラックス気分転換できる様々な所作を数十も用意し適時用いてケアをする方法。

    マインドフルネスとは仏教で伝えられてきた修行法を一般向けに再編したもの、とのことです。

    やっていることはほぼ変わりありません。

    今にしっかりと心を定めることです。

     

    私たち生き物には、常に「今」この瞬間しかありません。

    過去は過ぎ去って今ここにはなく、

    未来は未だ来ないので今ここにはないです。

    確かにありますが、それは私たちの頭の中の記憶やイメージでしかない、強いて言うなら虚像です。

    今ここに無いものに気を取られて、あまつさえ心を縛られゆがめられることはないのです。

    そんな存在しないものよりも、今目の前の人や物事ににきちんと集中し焦点を合わせて向き合うことの方がよほど大切ではないでしょうか?

    故に「而今」あれこれ他のことに気を向けず、今この瞬間この自分を真剣に生きる。

    類義語を挙げるならば一所懸命や一期一会になるでしょうか。

     

    心の置き方向き合い方の表現として良い言葉です。

    多くの方に知っていただけたらよいなぁ、と思います。

  • 令和6年11月 朝坐禅会「指月の会」案内(11月25日朝6時半より)

    2024年11月24日

    三井寺観音堂でのお参り

    朝念観世音 暮念観世音

    念念従心起 念念不離心               「延命十句観音経」

     

     西国観音巡礼にいってきました。

    祥雲寺には西国観音のお砂踏みがあります。

    先々代住職、私の祖父が観音信仰に篤い人で、遠い西国に行かなくても檀家信徒が西国札所観音様の御利益に与れるように整備をし、以来毎月18日の朝には一時間ほどのプチ巡礼会として観音朝詣りを行っています。

    また札所巡礼も積極的に行い、西国板東秩父お遍路と、何度も参拝旅行を行ってきました。

    この度久しぶりに西国札所を巡る企画をスタートさせました。

    今秋で京都市外の京都滋賀奈良の札所を巡り、来春以降で一番から巡る予定です。

     

     観音菩薩は仏様の慈悲の心を体現された菩薩様です。

    表に表せない心の声を聞き届け、また様々な願いに応じてくださる方としても信仰されています。

    今回私自身奈良の興福寺国宝館で、国宝の千手観音菩薩を参加者に説明する時、

    「千手観音さんの沢山の手はみんな違う形をして違う法具を携えておられる。人は皆違っていてそれぞれの悩みを抱えている、そのそれぞれに適して応じる事が出来る様にと文字通り手を尽くしている様を表しているのが観音様の千手なのでしょう」

    といった言葉を用いました。

    また今回参考にした資料に瀬戸内寂聴さんの文章がありました。

    「(観音霊場の)三十三という数字は観世音は三十三身に化身して我々衆生を救けて下さるという御利益にちなんでいる。三十三という数字は、仏教では無限を意味する。あらゆる場所であらゆる苦難の時、一心に観世音を祈れば、観音は直ちに光のような速さで祈願者の前に出現して、救助して下さるというのである。そのお姿は観世音の形ではなく、祈願者がその時、最も必要としている姿に化身して現れて下さる。病人の前には名医となって現れるように。」

    私には今年に入って二度、身に覚えがあります。

    夏の頃打合せの不備から法要の迎えが来なくて慌てて運転して行き、腹立たしい気持ちを抑えようとしながら始まりの鐘を鳴らしていると、仏と成った故人に諭されました。

    「怒るのは自分を傷つけ損なわれたと思うからだが、無我を説く僧侶の身であり、自意識に囚われないことが安楽の道だと腹落ちした者が、他人の過失によって一体何を損なわれたというのか」

    腹立たしさはキレイに無くなり、かつて無く静かな心持ちでお勤めに臨めました。

    また秋の頃には、立て続けの檀務と行事で疲労した状態で余所のお施餓鬼に随喜しましたが、お経を読んでいたら壁側の聖僧さまに親しくしてくれた先代老師がかぶり、「喝」を入れてくれました。

     

     これらは単なる見間違いやこじつけ、自分の心理無意識がその場に必要な解を場の主役的な人の影絵で伝えてきた、等と理屈を付けることは出来るのでしょう。

    ですが宗教者としては、それこそ観音様のお導きだったと受け取ってもよいのではないかと思うのです。

    亡くなり失われた人とも、没後も面と迎える時もある。

    ご縁を続けていけることもある。

    迷いの多い凡愚の身なればこそ、仏の救いの手は大きくあたたかくさしのべられる。

    観音霊場のかむさびた厳かな佇まいは、そういうものだと私達に語りかけてくれるようでした。

     

    祥雲寺 安藤淳之

     

    偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。

    欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。

    我を離れることの出来る閑かな時間、坐禅の時間を御一緒にいかがですか?

    当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。
    初めての方は15分前に来てください。
    来月の開催は12月23日となります。
    また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています
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