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六月 朝詣りのお知らせ
2026年6月21日境内北西側の谷のヒマラヤ杉が倒れました。
樹齢は50年程だと思います。根ごと倒れたので根の張り具合がよく分かりますが大木にしては深さも広さもあまりありません。
後ろの山に降った雨が清水となって沁みだしてくる場所で、むかし灌漑に使われた池もあります。
根を張らずとも大きくなることができたのがよく分かります。
これを見て、お師匠に当たる老師様からいただいた言葉を思い出しました。
僧侶への第一歩、得度の儀式をお勤めくだされ私を僧籍に入れてくださったのは新井石龍老師です。
老師は新潟県の雲洞庵という名刹の住職で、大本山の禅師様の候補にもなった方です。
中学一年の夏、母親に連れられて弟妹共々雲洞庵にお参りしました。
雲洞庵は上越国境に近く、山の麓の湧水のほとりに建てられた寺で、美しい杉林に囲まれています。
客間からは湧水の作った池と杉林がよく見えます。
老師はそれを見やりながら一昨年の伊勢湾台風で数十本の杉が倒れたことを話されました。
倒れた木のほとんどが水辺に育ってしっかりした根が張っていなかったそうです。
そして、苦労せずに育ったものは、どんなに見かけが立派でもいざというときに堪えることができない。
辛いことがあっても決して逃げてはいけないよ。
大風にも堪えられる人間になりなさいとさとしてくれました。
老師の言葉を思い出したことが前にもありました。
屋久島の縄文杉を見に行った時です。
ガイドの人から、屋久島は花崗岩でできていて根を深く張ることができない。
少ない土の中で芽を出した木は、長い年月じりじりと岩の上に根を伸ばし大木になるのだと説明を受けました。
年に何度も台風が通過する中で育った屋久杉の偉大さを感じたものです。
天災大国日本ならずとも、この世にある限り試練は付きものです。
逃げることなく時を歩んで、細くとも屋久杉のようになりたいものです。
令和8年6月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺東堂 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時から行います。
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五月 朝詣りのお知らせ
2026年5月17日アメリカとイスラエルによるイラン攻撃が始まって一ヶ月を過ぎました。
テレビでよく流される映像に、気になるというより忌まわしく思えるものがあります。
それは、空中からの撮影で、まず爆撃の目標の建物が写って、次の瞬間木っ端微塵になる映像です。
アメリカの国防総省あたりが提供しそれを世界のメディアが放映しているのでしょう。だいぶ昔のアメリカのイラク侵攻の時にも同じような映像が流されていました。
確かに戦果を伝えるのにはわかりやすい。
国防総省の軍人達は戦果として誇らしく思っているのでしょう。
しかし吹き飛ばされる建物の中には人がいるのです。
軍事目標にいるのだから殺すのは当然というのでしょうか。
しかし、容易に人の死を想像できる映像を茶の間で眺めることに罪悪感さえ感じます。
トランプ大統領は、長い歴史を持つ文明が滅びるのを世界の人は見るだろうと言い放ちました。
旧約聖書には背徳と淫蕩の町ソドムを、神が天から硫黄と火を降らせて滅ぼす物語が出てきます。
キリスト教徒を自認する彼は神になったつもりなのでしょうか。根底には異教徒、異なった思想に対するものすごい偏見を感じます。
ベネヅエラの漁船が麻薬密輸船とされて、空からの攻撃で、洋上で木っ端微塵になる映像も流れました。
普通の漁船かもしれないし、全員が麻薬関係者とは言えないのではとの記者の質問に対し、麻薬が船にある証拠をつかんだから船ごと破壊したのだと政権高官が発言しました。
ヨーロッパ中世の異端審問で、無実の人もいるのではという部下の問いに、審問官が「全部殺せ。間違っていても神が天国に行くか地獄に行くかを決めてくださる」と言い放った話を思い出します。
絶対神を立て、この世界の万物をランク付ける。
そのような思想の危険性が、今、目の当たりに現われているように思えます。
一切有情悉有仏性。
この世にあるものすべて仏のあらわれであるという絶対平等の精神が今程必要な時はありません。
令和8年5月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺東堂 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時から行います。
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四月 朝詣りのお知らせ
2026年4月24日フランスのリサーチ会社によると、現在世界で最もブランド志向の高いのは中国人だそうです。
そして、意外にも日本人が世界で一番ブランド志向が低いとのことです。
この調査では、ブランド志向と相関関係が高いのが「今を生きる」志向とします。
今が一番大切という志向です。
これも中国が一番で、インド、タイ、フィリピンも高いのに対し、日本人、韓国人は最低ではないが低いそうです。
ただし、韓国人のブランド志向は極めて高いそうです。
この結果を紹介した記事では、中国人は刹那的快楽主義であり、日本人は高価と対になるブランドではなく、無印良品、ユニクロに見られるように、実質的なよいものを求めると結論しました。
全身全霊を込めてという言葉があるように、昔から日本人は物を作るときに自分のありったけを注ぎ込むことを尊いこととし、そこに価値を認めてきました。
それは、芸術家やすぐれた職人の作品に対してだけではなく、ご先祖や親兄弟の残したものに対しても心のこもったものという価値を与えてきたのです。
「もの」にたましいを込める、たましいを感じる価値観といえるでしょう。
シベリアを度々訪れている動物写真家の友人から聞いた話ですが、現地にはシベリア抑留者が建てた建物がまだ多く残っており、住居などは「日本人が建てた」ものとして価値が高いのだそうです。
理不尽に抑留され、奴隷的な労働を強制されたのですから、手抜き工事をしてやりたくもなります。
実際、同じく抑留されたドイツ人の建てたものは、手抜きだらけだったとのことです。
恨むべき相手にもよいものを作ってあげる、友人は日本人の悲しい性(さが)だといいました。
確かにそうでしょうが、「天知る、地知る、人知る」の精神の表れでもあり、日本人の素晴らしいところでもあると思います。
令和8年4月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺東堂 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時から行います。
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三月 観音朝詣りのお知らせ
2026年3月15日室町時代は民衆の活動が活き活きした時代でした。
そこから現在につながる多くの文化が生まれました。
畳の座敷など、形で伝わっているものだけでなく、精神的なものがそのまま伝えられています。
能楽などでは舞台で表現される時代の雰囲気が現代に通じていて、面白くもあり興味深いものです。
弱法師(よろぼし)という能があります。
主人公(仕手 シテ)は長者の跡取りとした生まれたが継母の讒言によって勘当され悲しみのあまり盲目となり弱法師といわれた乞食僧。
舞台は聖徳太子によって建てられた日本最古の寺である難波の四天王寺。
父親は息子を勘当したことを後悔し、罪滅ぼしに春の彼岸に四天王寺で多くの貧民に施しをします。そこに現われた弱法師は、法師としてたどり着いた精神的な高い境涯と、乞食として蔑まれる現実との落差に苦しみ、狂気の舞を見せるのがこの能の見せ場になっています。
現代の演劇にも通じるような精神的な葛藤を描いていて、多くの現代作家が論評し、三島由紀夫はこの能をもとにした現代劇を創作しました。
この能には、主人公の苦しみを救う道として仏教各宗派の教えが出てきます。
彼岸の中日には西方浄土の東門から夕日が射すと信じ、それを拝んで極楽往生を願う浄土教の教え。
その光を人々が皆で拝めるようにと律宗の忍性上人が建てた石造の鳥居。
上人は貧民救済のため力を尽し菩薩とたたえられた方です。
目の当たりに拡がる命に満ちた山河大地の中に悟りがあるという禅宗の教え。
即身成仏を説く真言宗の阿字観の修法など。
すべては民衆救済に向けて仏教各宗派が懸命に活動したことを表わすものです。
瑩山禅師の教えを汲んだ曹洞宗の布教も、この時代に盛んに行なわれました。祥雲寺も室町時代の開創です。
人々のためにという仏教の根本姿勢を忘れてはならないと自戒しています。
令和8年3月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺東堂 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時から行います。
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2月 観音朝詣りのお知らせ
2026年2月13日2月15日はお釈迦様が涅槃に入られた日、涅槃会です。
お寺では2月になると涅槃図を掛け、毎日お釈迦様の最後の説法である遺教経を読誦して15日の涅槃会を迎えます。
涅槃とはパーリ語で、迷い、すなわち煩悩の火を吹き消したことを表わす言葉を漢字に音写したものです。
煩悩は自己中心の考え、それに基づくものごとへの執着から生まれます。
お釈迦様は最後の説法で修行者達に、これまでお説きになった戒めを一人一人が守って精進することこそが迷いから脱する道であるとされました。
そのために、修行者が自らを灯火とし、法を灯火としなさいとも説かれました。
お釈迦様が説かれた日々の行ない、心の持ちようについての教えは決して難しいものではありません。
法句経などには人間が幸せに生きる道が誰にでも分かるように説かれています。
また、教えの根底にある理論から構築される世界観は、科学的な世界観と矛盾するものではありません。
今日世界をリードする多くの思想家が、仏教が最も納得のいく教えだと評してもいます。
少なくとも倫理道徳としては、仏教徒でなくても誰にでも納得のいく教えであり、人類の叡智として尊重されるべきものと思います。
ただ、宗教としての仏教の尊さはその先にあります。
涅槃は釈迦という一人の人が煩悩の火を消して永遠の安らぎに入ったとの事実だけを指しているのではないのです。
煩悩の火を消し去り、世界を貫く真理を明らめて仏陀(覚者・悟った人)となった方が、肉体の制約も離れられて、時間、空間を超えた無限の世界にその慈悲を及ぼすことになられたことを涅槃というのです。
いかに行ないを正し勤めても迷いの渕にあり、あるいは勤めきれずに苦しむのが人間の姿です。
そんな人間にも仏の大慈悲は及び、導いてくださる
。これを無住処涅槃といいます。
これは理屈を超えた信仰です。
令和8年2月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺東堂 安藤明之
十八日の朝詣りは午前9時から行います。




