ごあいさつ

宇都宮市の祥雲寺は歴史のある曹洞宗のお寺です。
栃木県庁のすぐ北にあり、自然林の中には西国三十三番の観音像が祀られています。
また、樹齢350年を超える枝垂れ桜の老樹は県天然記念物として有名です。
たくさんの方々に仏教を親しんでいただくことを願いとし、様々な信仰行事を催しています。

ようこそおまいり

朝まいり 栃木県宇都宮市の祥雲寺(曹洞宗) | 桜や祭りが名物の寺

朝まいりの記事

  • 6月 朝詣りのお知らせ

    2025年6月22日

     市内旧大町の児童公園の一隅におしどり塚があります。

    この塚にまつわる伝説について、この便りを読む方々にはご存じの方も多いと思います。

     昔、宇都宮に猟師がいた。

    町の周りの野山で鳥、獣を狩っては生業としていた。

    あるとき求食(あさり)川をさかのぼって猟をしていたが、夕暮れ近くなっても獲物はさっぱり捕れなかった。

    山奥の沼に行くと水面に羽を休めている綺麗なおしどりを見つけた。

    狙いすまして射た矢はおしどりを貫いた。

    首を落としてその日唯一の獲物を家に持ち帰った。

    明くる朝、獲物が捕れた沼にまっすぐ行くと、また鳥を見つけた。

    再び射た矢は命中し、彼は仕留めた鳥を手元に引き寄せた。

    するとそれは雌のおしどりで、昨日捕ったおしどりの首を羽根に抱えていた。

    彼は殺生の罪を深く感じて僧となり、後におのれが殺めた夫婦のおしどりの供養の塚を造って弔った。

     

     猟師の生業は鳥、獣を捕ることであり、農耕社会以前にはそのことによって人類は命をつないできました。

    殺生を禁じることはできないし、それを生業とすることを否定することもできません。

     

     しかしそれでも私たちはこの猟師の思いを理解することはできるのです。

     おしどりに夫婦の絆の深さを感じること、偶然に弓矢の標的になってしまった不幸、狩られる弱きものであること。

    おしどりに人間の有様を引き比べて生まれる同情です。

    また、そのような弱きものの命を取って生きていくものとしての悲しさも感じます。

     

     仏教は慈悲を説きます。

    その慈悲の心の根底には、ともにこの世に生を受け、生きていかねばならない生きとし生けるものへの憐れみの心があるのです。

     おのれに引き比べて他のものの悲しみを知らねばならない。

    お釈迦様の御言葉です。

     

     令和7年6月15日

    宇都宮市東戸祭1-1  祥雲寺東堂  安藤明之

    十八日の朝詣りは午前6時から行います。

  • 5月 朝詣りのお知らせ

    2025年5月13日

     沖縄は日本国内で唯一戦場になりました。

    太平洋戦争は、日本が経験した最も悲惨な出来事であり、空襲の恐ろしさ、親兄弟を失った悲しみ、戦中戦後の窮乏生活等々が、戦後生まれの私達世代にも生々しく語り伝えられました。

     

     戦争の悲惨さに戦場も銃後もないかもしれませんが、それでも兵士でないものが直接戦闘に巻き込まれることは、その度合いが違うでしょう。

     太平洋戦争での日本の戦い方は民間人を巻き込むことへの配慮が殆どなされませんでした。

    近代戦争は国家総力戦ですが、それを精神論で推し進めると、全ての国民は命を捨てるべきだという建前になり、サイパン島での断崖からの投身のようなことが起こりました。

     

     沖縄でも、住民の死者は9万4千人余、現地召集の兵士・軍属を加えれば12万人を越える人たちが亡くなりました。

     明治以来、日本は、軍も含めて強固な官僚機構を造り発展しました。

    しかしその向いている方向は、常に国家の護持のためでした。

    そもそも、国民の保護を考えない、手立てを持たない国は、国家としての資格を持ちません。

    そのことを果たすのが政府であり、沖縄で言えば防衛に当たった軍と、行政機関の義務であるはずです。

     

      その当然のことが全体として軽んじられるなかで、県知事島田叡と警察部長荒井退造は、米軍上陸前に7万3千人を県外に避難させ、戦闘開始後には15万人を激戦の県南部から北部へ避難させました。

     

     行政の責任者であり、なすべきことをなしたのですが、権限も大きければ責任も重い、がんじがらめの重圧下での決断は大きな勇気のいることだったと思います。

    二人は沖縄戦終焉の摩文仁の地で生涯を閉じました。

     

     二人を中心に沖縄戦を描いた映画「島守の塔」が昨年から上映されています

    荒井退造は宇都宮の出身で、映画のロケ地の多くに県内が選ばれました。

     

     宇都宮仏教会では、7月12日の第80回戦災追悼法要を栃木県総合文化センターメインホールで行ない、引き続いて「島守の塔」を上映します。

    入場料は無料です。詳しくは寺にお尋ねください。

     

     令和7年5月15日

    宇都宮市東戸祭1-1  祥雲寺東堂  安藤明之

    十八日の朝詣りは午前6時から行います。

  • 4月 朝詣りのお知らせ

    2025年4月26日

     

     

    祥雲寺のシンボルと言ってもいい枝垂れ桜がすっかり弱ってきました。

     昭和53年、腐食菌による枯死を防ぐため、高さ3メートルで分かれていた主幹の一方を切り落としました。

    以後復活を願って、樹全体の力を付けることを治療の中心に据えて手当てしてきました。

    そのためには、樹に負担がかからないよう花芽を摘んで養分を幹に行き渉らせる治療をしたこともあります。

     

     手当の甲斐あって、樹の勢いは増し、張り切った木肌を見て、数十年後の復活を夢見たこともありました。

     しかし樹の内部に巣くった腐食菌は取り切れず、勢いあった新生の枝があっという間に枯れてしまったり、主幹も2メートル、1メートルと切り落とさなければなりませんでした。

    我が身が癌に冒されたようでもあり、壊疽を患った人が足を切り詰めてゆく悲しさに思い至ったこともあります。

     

     幾百年の命をながらえた樹にも終わりはあります。

    生者必滅の理を覆すことはできません。

    花が咲くのはあと十年か、二十年か、五十年か。

     

     それならばこそ、春の盛りには精一杯の花を美しい姿で付けさせてあげたいと思います。

     今年は、冬に肥料を充分やりましたので花の付きが良く、色も美しかった。

    枝のバランスを支柱で調整してやればもっと美しくなるでしょう。

     

     幸いに、次の代の桜が大きくなってきました。

    昭和23年3月9日、山越の火を受け、祥雲寺の全伽藍が焼失したとき本堂側の部分が類焼したのが枝垂れ桜の衰弱の始まりでした。

    その年に芽を出した苗4本を、裕之和尚が大切に育てた木が今も残っています。

    弁天堂のそばに一本、山の上に一本、後ろの谷間に二本。

    樹齢77年、きれいに花を咲かせています。

    特に谷の池端の樹は大木になるでしょう。

    大事にしていきたい、大事にしていってもらいたいと思っています。

     

     令和7年4月15日

    宇都宮市東戸祭1-1  祥雲寺東堂  安藤明之

    十八日の朝詣りは午前6時から行います。

  • 三月 観音朝詣りのお知らせ

    2025年3月12日

     忖度(そんたく)という言葉をご存じの方も多いと思います。

    もともと中国の古典「詩経」にある言葉で、人は心を持っているのだからそれを推しはかるという意味です。

    誰でも心を持っているという平等感と、それを尊重するという礼節を兼ね備えたよい言葉だと思います。

     

     ところが現在では、権力者、エライ人の意向を推しはかって、いちいち指示を受けなくても上に立つ者の思い通りにものごとを運ぶという意味になっていて、おべっか、追従を表わす卑しい言葉として扱われています。

     言葉は人の心から発せられるものです。

    よい心から生まれた言葉は人の心を動かします。

    そういう言葉はたくさんあり人生の道しるべともなります。

    しかしそこに自分の損得を図ったよこしまな心が入ると、よい言葉ほど嫌らしいもの、卑しいものになってしまうのです。

     

     それだけでなく、場合によっては世の中の害になることさえあります。

     滅私奉公という言葉があります。

    おのれの欲得を離れて世のため人のために生きるという意味です。

    私は葬儀に当たって故人の生前の姿を周りの人たちから聞くようにしているのですが、まさにこの言葉が当てはまる生き方をした人が少なからずいます。

    社会的地位や男女にかかわりません。

    本当に立派だと思える人は、庶民の中にたくさんいるのです。

     

     しかし滅私奉公という言葉が目的化されるとどうなるか。

    戦争中は国民を戦争に駆り立てるスローガンとなりました。

    この言葉は、戦前、戦後を通じて国民はこうあるべき、公のため、大きな目的のためにと称して、個を犠牲にするための理由づけに使われはしなかったでしょうか。

     

     誰もが反対できないような内容を表わす素晴らしい言葉は、それだからこそ大きな害悪をもたらすこともあるのです。

     素晴らしい言葉は、自らへの戒め、誓いとされたときに、人生の指針となります。

     

     令和7年3月15日

    宇都宮市東戸祭1-1  祥雲寺東堂  安藤明之

    十八日の朝詣りは午前6時から行います。

  • 2月 観音朝詣りのお知らせ

    2025年2月22日

     

    昨年、国連の女性差別撤廃委員会から日本国政府に対し、天皇の継承が原則男性に限られているのは女性差別に当たるので、是正するようにとの勧告がありました。

     日本も含めて、世界の大多数の国が採っている国家体制は民主主義です。

    そして民主主義の根幹にあるのは、全ての人間は自由で平等であり誰もが生存と幸福を求める権利があるという人権思想です。人権思想からは、人種差別、性差別などはあってはならないこととされます。

     皇位の継承は、正確には男系の皇統にある皇子、皇女に限られるものであり、女性天皇はあっても、その天皇の皇子は天皇の資格は持たないというものです。

    根本において男性優位であることは明らかです。

     人権思想を論理的に推し進めれば、皇位継承は性差別に当たるとの人権委員会の考えは理解しやすいと思えます。

    実際、この勧告を妥当であると思う人も多いと思います。

     

     しかし、また反対に、この勧告を不愉快に考える人も多いはずです。

     それは、天皇制は日本の歴史に不可分に関わってきたものであり、政治だけでなく、伝統として形づくられた日本の文化、日本人の心情にまでその影響は計り知れないものだからです。

    実際、天皇制の最大の危機であった昭和の敗戦後も、国民統合の象徴として天皇が残ったことにより、日本の歴史、文化の一貫性が保たれたといってよいでしょう。

    その地位や資格について、外国からとやかく言われたくない。

    実は私もそんな風に考えています。

     

     人権思想の前提とする個人の尊厳や、そこから出発した理論展開は批判しがたいようにも思えます。

    しかし、それでも納得がいかないところが、少なくとも私にはあるのです。

     

     その時代には完全無欠とされた思想、主義はたくさんありました。

    しかし、それらの思想、主義によって現実世界を固めてしまうと、とんでもない矛盾や悲劇が生まれたのも事実です。

    完全に見えても実は現実との齟齬がある。ものごとを柔軟に見ることができる柔らかなこころが大切です。

     

     令和7年2月15日

    宇都宮市東戸祭1-1  祥雲寺東堂  安藤明之

    十八日の朝詣りは午前9時から行います。

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