-
10月 観音朝詣りのお知らせ
2024年10月12日先日のニュースで、雀が絶滅危惧種に指定されそうだということが報じられていました。
そういえば、雀を見かけなくなってからずいぶん経つなあと思いました。
雀だけでなく里山の鳥や蝶が急速に減っていて、雀で年3.6%、オオムラサキ蝶に至っては年10%以上の割合で減っているということです。
原因は、これらの生き物を育んできた里山の荒廃です。
弥生時代、もしかすると縄文時代に由来するかも知れませんが、日本で稲作が始まって以来、水の豊かな平野、谷地に水田を作り、それを囲む森林の恵みを受けながら国土を造ってきました。
森林、すなわち山は薪の産地であり、田畑に施す肥料のもととなる落ち葉の供給地でもあります。
そこから流れ出でる無数の小川が栄養豊富な水を田に運びました。
こんな農村の光景は、昭和30年代までありふれたものでした。
祥雲寺の周りも田んぼが拡がり、子供達は小川でフナやドジョウを捕まえて遊び、田川の渕まで行って川泳ぎをしました。
寺では境内に少々の畑を作っていましたので、家族総出で山の落ち葉をさらい、背負いカゴにぎゅうぎゅう詰めて下ろして肥をかけてたい肥を作りました。
高校生の時には肥汲みもやりましたが、肥桶二つを付けた天秤棒の肩に食い込む痛さは、今も覚えています。
里山は、日本の農業の歩みと共に生まれ造られてきたものです。
田に農薬がまかれて、川泳ぎが出来なくなり、田川にいっぱいいた鰍(カジカ)は姿を消しました。
圃場整備が進んで小川がコンクリートの用水路に変わり、メダカやアメンボ、ゲンゴロウもいなくなりました。
こうした変化は、世界に比べて生産性の面で遅れてしまっている日本農業が生き残るためにやむを得ないことなのでしょう。
しかしそれにしても、そこに生きるものまで犠牲にしてしまうのはなんとも悲しいことです。
共生の道を造るのも人類の義務です。
令和6年10月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺東堂 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時から行います。
-
9月 観音朝詣りのお知らせ
2024年9月21日来月10月13日、大本山總持寺開山瑩山禅師の七百回大遠忌の焼香師という役目を勤めさせていただくことになりました。道元禅師を高祖大師、瑩山禅師を太祖大師と仰ぐ曹洞宗では、50年毎に大遠忌という報恩感謝の法要が行なわれます。
一年間に数十回の法要が大本山で繰り返されるのですが、その法要の導師を勤める僧侶の一人に選ばれたので、たいへん忝くありがたく思っています。
私は五十年前の春、六百五十回大遠忌の年に修行僧として總持寺に上山しました。
いただいた大遠忌配役は、全国から大遠忌法要の随喜に参じた数百人の僧侶の世話係でした。
二十数人の修行僧が役に当ったのですが、21日間続いた本法要の後半には、疲れが溜まってヘトヘトになり病人続出で、お互いに助け合って務めました。
辛い体験ですが、乗り切ってみればかけがえのない思い出です。
そして何よりも、連日参詣者が大祖堂を埋め尽くした光景と、最終日の法要に全国から参集した数千人の僧侶がお経を読みながら大本堂を巡った荘厳さが忘れられません。
瑩山禅師は、お経の中にも救いがたいと記されている人々をも救っていこうという誓いをなされました。
それは、常にこの世に在ってあらゆる人を救おうとする観世音菩薩の誓いと同じです。
能登の地に道場を築き、多くの修行者を育て、その僧達が全国に散らばって、日本最大の宗派が生まれました。
曹洞宗は民衆に向かって教えが説かれた宗派です。
道元禅師を淵源とし、瑩山禅師の誓いによって民衆宗教となった曹洞宗の歴史のなかで、画期的な出来事が、總持寺の横浜鶴見への移転です。
鎖国が解かれ、日本が世界に開かれた明治時代に、曹洞宗もその教えを新時代に適応して弘め、さらには世界にも広めようとしました。
そこには、廃仏毀釈の荒波を乗り越えた僧侶達の、自ら信ずる教えの正しさへの確信と、世界に向かい、また未来に向かって人々が幸せであれという祈りがあったと思います。
私もその祈りを受け継ぎたいと思います。
令和6年9月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺東堂 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時から行います。
-
8月 朝詣りのお知らせ
2024年8月17日パリオリンピックの男子重量挙げの中継を見ました。
私はオリンピックを見るのが好きで、毎回テレビで熱心に見ています。
出発点は1964年の東京オリンピックです。
実は、開催に向けてのお祭りムードに反発していました。
政府が主導し、新聞、テレビが追随して国民を浮かれ上げさせていると思ったのです。三波春夫のオリンピック音頭はその代表で、なんと軽薄な歌だろうと思っていました。
中学三年生から高校一年生にかけてのことで、哲学書に興味を持ちだした小生意気な少年だったのです。
それで、10月10日の開会式のテレビは見ませんでした。
ところが誰もが話題にしていることへの関心は捨てきれず、最初に見たのが三宅選手出場の重量挙げだったのです。
そこで見たのは、選手が、呼吸を調え、精神を集中して自分の限界に挑んでいる姿でした。
鍛え抜かれた身体には凄まじい鍛錬が見てとれました。
人間の限界に挑んでいる人たち、その姿は、崇高でさえありました。
三宅選手を応援していたには違いないのですが、テレビ画面に映る姿を見ていると、この挑戦はぜひ成功してもらいたいと、どの選手に対しても感じました。
スポーツ観戦の素晴らしさを感じたのはこの時です。
それからは、テレビに釘漬けになりました。
女子バレーボールの決勝戦、アベベ独走のマラソン、その時の円谷とヒートリーの二位争い。
時代の感動を共にすることが出来ました。
今回、重量挙げは久しぶりに見たのですが、最初に見たときと変わらない良さを感じました。
日本選手だけでなく参加選手全てを応援する気持ちになりました。
パリオリンピックでは、運営面や審判の判定についてなど、いろいろな面で批判が出ているようです。
実際、大切にされていたアマチュアリズムが変質し、商業主義に陥った弊害が現れているように思えます。
しかし、それでも人間の限界に挑む選手達の姿には感動を覚えます。生命の讃歌といってもよい。スポーツの純粋さを保ち続けてもらいたいものです。
令和6年8月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺東堂 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時から行います。
-
7月 朝詣りの会お知らせ
2024年7月29日石山寺は源氏物語ゆかりの寺として知られています。紫式部はこの寺に参籠していた時に「須磨」「明石」の巻を構想したといわれています。
平安時代、貴族の女性や女官が多くお参りした寺の代表がこの石山寺と大和の長谷寺です。
彼女たちは深い悩み、苦しみを抱えていました。後世ほど女性の地位が低かったわけではありません。
親の家に娘が住みました。おそらくは古墳時代からあった妻問婚が平安中期まで続いていて、子供は母親の家で育てられました。
子供の出世を願うのは、母親として当然のことであり、かなえば母親の栄誉でもありました。
しかし、それは夫、即ち子の父親の実力に依っていました。良き殿御が通ってくれるかどうかに懸かっていたのです。
女性の知性、教養が男性に劣らないことは万葉集以来の古典に明らかです。
さらにおのれの心の闇を見据える深みある精神も持っていました。
それは蜻蛉日記や和泉式部の和歌からも読み取ることが出来ます。
教養も思考力もプライドもあった彼女たちが、浮気性な男達の気まぐれに人生を翻弄されて、どれほどかその心を傷つけられたことか。
常に現世にあって人の悩み苦しみを救い続ける菩薩として信仰されたのが観世音菩薩です。
観音経には、ありとあらゆるものに身を変えて悲惱の衆生を救い続けることを釈迦世尊から委嘱された観世音菩薩が説かれています。
後生ではなく現実の苦しみを救う菩薩なのです。
石山寺の御本尊は、聖徳太子の念持仏であった六寸の像を中に納めた如意輪観音です。
都のすぐ近くにあって風光明媚なこの寺に、多くの女性が参詣したのは当然だったと思います。
境内からは、琵琶湖とそこから流れ出る瀬田川、有名な瀬田の唐橋も眺められます。
国宝の本堂や多宝塔は国の天然記念物である珪灰石という巨大な岩盤の上に建っています。
本年秋から、西国三十三番観音霊場の巡礼を再開します。石山寺も今年の巡礼地になります。
令和6年7月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺東堂 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時から行います。
-
6月 朝詣りの会お知らせ
2024年6月22日諸行無常 諸法無我 涅槃寂静 (三法印)
諸行無常という言葉がお釈迦様の教えの第一番目の真理であることはよく知られています。
しかしこの教えは仏教だけのものではありません。
全てのものは移ろい変わりゆくという意味ですから、誰もが知っている、いわば当たり前のことです。
一般に、真理といわれるものには、たゆまぬ研究、研鑽に依ってたどり着くと思われています。
しかし、仏教は目の前にある現実そのものを真理としているのです。
人間の苦しみは、人間が自分(自己)というものを持ち、それに囚われていることから生まれます。
諸行無常の現実は、自分がかくありたいと願うことを次から次へと壊してしまいます。
結局自分の思い通りになるものは何も無いのです。
ですからお釈迦様は、苦しみから解放されて生きていくために、自己への囚われを無くすことを説かれたのです。
仏教は人間が幸せに生きるための教えです。
ところで生きるためのエネルギーは欲です。
欲が無ければ生きることは出来ません。
欲を否定することは出来ないのですが、欲は囚われの素となり煩悩ともなります。
仏教は欲を否定するのではなく、それをよくコントロールしていく道を示しているのです。
お釈迦様は遺言の教え「遺教経」で無欲ではなく少欲を説いていらっしゃいます。
自己中心で欲を抱えた人間が、千変万化の諸行無常の世界との関わりの中で生まれてくるおのれへの囚われには無限のケースがあります。
経論にたくさんの教えが説かれているのはそのためです。
忘れてならないのは、常に現実に即している教えであり導きであるということです。
諸行無常の教えとは、世の無常を観じて諦(あきら)めることだと思われがちですが、徹底的に現実に即し、その変化に応じ、生きる道を明らかにしていくことでもあるのです。
諦(あきら)めは、ものごとを投げ出すことではなく、明らかにして積極的に生きることなのです。
令和6年6月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺東堂 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時から行います。