ごあいさつ

宇都宮市の祥雲寺は歴史のある曹洞宗のお寺です。
栃木県庁のすぐ北にあり、自然林の中には西国三十三番の観音像が祀られています。
また、樹齢350年を超える枝垂れ桜の老樹は県天然記念物として有名です。
たくさんの方々に仏教を親しんでいただくことを願いとし、様々な信仰行事を催しています。

ようこそおまいり

朝まいり 栃木県宇都宮市の祥雲寺(曹洞宗) | 桜や祭りが名物の寺

朝まいりの記事

  • 令和4年9月 観音朝詣りのお知らせ

    2022年9月17日

     平成30年9月のこの葉書で、檀家と菩提寺の関係は、先亡霊位の供養を通じて、未来に渉って共にあり、共に栄えることを前提にしているのだから、檀家の将来が危ぶまれるような過分な寄付を要求する住職はいないと記しました。

     いま旧統一教会が信徒に高額の寄付を求め続けてきたことが問題になっています。

    実際、宗教団体は寄付がなければ成り立ちませんから、寺にとってもこのことは他人事ではありません。

     祥雲寺でも、本堂再建を始め諸堂の整備は檀家の寄付に依りました。

    天蓋、大磬など高額の個人寄付によって調えられたものもたくさんあります。

    寺を預る住職として感謝の極みです。

     寄付について、仏教では布施、喜捨という言葉を使います。

    これについてお釈迦様の教えがあります。

     比丘たちに対する最後の説法(遺教経)で、「多く求めて、施す人の善心を壊してはならない」と戒められました。

     比丘すなわち僧侶は、道を求めて生産の場を離れた者です。

    古代において生産の場を離れれば日々の糧も施しに依るしかありません。

    遺教経ではそのことを「その身を降してしかも乞を行う」としています。

     身を降しても行わなければならないことは、自らの善心を高め、ひいては人間の善心を呼び起こし仏道へと導くことです。

    そのためのたゆまぬ精進を怠るなかれと戒めてお釈迦様は入滅されました。

     欲を持って施しを求めるならば、世の中で最も卑しい存在となる。僧侶にとって厳しい戒めです。

    令和4年9月15日

    宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之

    十八日の朝詣りは午前6時から行います。

  • 令和4年8月 観音朝詣りのお知らせ

    2022年8月20日

     

     高校1年生の初夏、市内の書店で、原理研究の講話を聴かないかと2人の女性に誘われました。

    中学生時代から宗教、哲学に関心を持っていたので、誘われるままについて行き、自宅とおぼしき家で講義を受けました。

    キリスト教と陰陽思想が混ざった教理だったと記憶しています。奇妙奇天烈に思えたので、数日後にもう一度質問に行きました。

    私が統一教会と接点を持った最初で最後のことでした。

     

     その後、1990年代の霊感商法や合同結婚式は、カルト宗教としての統一教会を有名にしました。

    霊感商法は、人間なら誰もが持つ不安を宗教的洗脳を通して増大させ、その状態からの救いを、法外な額の献金によって期待させる。

    その証しとなるものが壺や印鑑や多宝塔であるという仕組みです。

    要は、不安や恐怖をあおって金集めをする団体です。

    その結果、膨大な数の経済破綻者や崩壊家庭が生まれました。

     

     驚くべきは、これほどの問題を起こした団体が公的な規制を受けることなく、組織は存続し、活動はむしろ拡大してきたことです。

    今、元首相の殺害を契機に、実態が明らかになってきました。

     大物保守政治家と教団教祖が反共産主義の目的で結びつき、その流れを汲む政治家たちには選挙協力、教団には社会に害悪をもたらすほど過剰な集金活動の黙認という取引関係が継続してきたのです。

     

     人間は、本人が意識しなくても宗教心を持っています。

    人類に普遍的なものであると言ってもよい。

    ユダヤ人学者ユバル・ノア・ハラリは著書「サピエンス全史」に、宗教を持つことが現人類の繁栄を生んだと記しました。

    またもちろん、政治は人間社会に必要不可欠なものです。そして人間の営みにはプラスもマイナスもあります。

    統一教会をめぐる問題は、政治と宗教の醜悪な面の現れです。

     

     多くの宗教は、教義と実践の両面において、ともいき(共生)と感謝が柱となっています。

    そうあるべきで、そうでなければ、旗色をうかがって言論する人たちの標的になります。

    私に宗教人として自戒をうながす一ヶ月来の出来事です。

     令和4年8月15日

    宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之

    十八日の朝詣りは午前6時から行います。

  • 令和4年7月 観音朝詣りのお知らせ

    2022年7月17日

    べんてんまつり

     

    安貞元年(1227年)南宋から帰国した道元禅師は、最初京都で禅宗を布教しました。聞法者の中には女性もいました。

     禅師の教えを受けた女性の中に「明智」という法名を受けた人がいました。もしかすると最初の女性信者であったかも知れません。この人には愛娘がいましたが娘18歳の時に、明智は突然姿をくらましてしまいました。

     娘は行方知れずの母親を捜し続け、七、八年過ぎた時、清水寺の観音様に七日間の願掛け詣りをしました。六日目の道すがら十一面観世音菩薩の頭を見つけました。娘は「母を尋ねて観音様に祈願する途次にこの御頭を得たのは何かの因縁です。もし願いが叶うならば、御身を作り継いで御像とし、一生頂戴のご本尊とします。」との願掛けをしました。はたして七日目の参拝の往来で母親に巡り会ったのです。願いかなって、彼女は仏師の処に行き、御像を完成させました。

     この女性こそ、大本山総持寺開山瑩山禅師の母親です。

    彼女は生涯かけて観世音菩薩への深い信仰を持ち続けました。越前の国(福井県)の名族瓜生氏に嫁ぎ、身籠もった彼女がよき子を授かれと祈り、行生(ぎょうしょう)と名付けられた赤児が生まれたのも観音堂だったと伝わります。

     行生は幼い頃から仏縁深く、成長するにつれて出家を志しました。最初は反対であった母親もその意思が堅いことを知ってこれを許しました。11歳の時、祖母明智に案内されて永平寺に上山し、得度して名を紹瑾(じょうきん)と改めました。瑩山紹瑾禅師です。

     瑩山禅師は、祖母、母親への孝養の心あつく、後に能登国酒井に永光寺という一大修行道場を開いた時、境内に母親の念持仏の十一面観音像を本尊とする円通院という塔頭を建立しました。そして禅師が祖母明智の再来と言って称えた弟子祖忍尼にこの塔頭の護持を委託したのです。

     瑩山禅師は、女人救済を弘法の誓願とされました。禅師に関わる女性たちへの深い思いやりが根底にあったと思います。 再来年は瑩山禅師700回の大遠忌になります。

     令和4年7月15日

    宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之

    十八日の朝詣りは午前6時から行います。

  • 令和四年6月 観音朝詣りのお知らせ

    2022年6月22日

     

    愛語能く廻天の力あることを学すべきなり

    道元禅師

     ご法事で読む曹洞宗聖典「修証義」第22節の最後にある道元禅師の言葉です。

     22節を現代語訳します。

     愛語というのは世の人々に対して慈しみの心を持って、愛情のこもった言葉をかけていくことである。母親が赤子に対して抱くような思いで言葉をかけていくのである。素晴らしい点があれば心から褒め称えてやり、欠点があれば蔑むことなく思いやりの言葉をかけてあげなさい。生きていく中でどうしても生まれてしまう憎しみや対立の感情も愛情のこもった言葉によって解くことが出来る。直接に聞けば顔は自然にほころび心は楽しくなるであろうし、間接であっても人の心に、魂に、響いていくものである。愛情ある言葉は天をもめぐらす力があるのだということをよくよく体得しなさい。

     もともと経典にある、菩薩が衆生を救うための四つの知恵の二番目にあげられているものですが、道元禅師はたいへん分かりやすい言葉で述べられています。

     この文章が昔、中学生の国語の教科書に載っていました。昭和30年代のことです。中学3年だった私は、普段に読んでいる修証義の経文が教科書に載っているのに驚きました。もちろん鎌倉時代の、それも仏教用語が入ったものですから現代語に訳され、丁寧な説明がされたものだったのですが。

     時代背景を考えてみれば、当時中学を卒業する生徒の3分の1は就職しました。中学3年生は社会への入り口に立っていました。コミュニケーションの手段である言葉は、社会生活に欠かせないものです。教科書編集者の考えを忖度(そんたく)すれば、言葉がどんなに大切で力があるものなのかを知ってもらいたいという思いがあり、さらには、そのことについて深い思考をめぐらせたすぐれた先人がいることも知ってもらおうという思いもあったと思います。

    令和4年6月15日

    宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之

    十八日の朝詣りは午前6時から行います。

  • 令和4年五月 観音朝詣り

    2022年5月22日

     5月2日の朝の天気は素晴らしいものでした。

    前日は冬のような寒い日で冷たい雨が降りました。

    朝にはすっかり上がって潤いを含んだ空気のなかに青空が広がりました。

     

     しずくを載せた木々の葉が朝日に照らされてキラキラと光ります。

    萌え出でたばかりの若葉もあれば、既に緑を濃くした葉もあって景色に深みが増していました。

     ウグイスが鳴き、地にはコジュケイやヒヨドリの群れも見えました。

     

     昭和62年夏、先代住職の本葬を済ませた後、新住職としての祥雲寺の運営方針を総代会に提出しました。

    そこに、祥雲寺は宇都宮市の中心部にありながら広い山林を持っているのでこれを大切にし、自然と一体となった境内を作っていきたいと記しました。豊かな自然環境は祥雲寺の財産であり、これを大切にして、檀家のみならず市民にも開いてゆくのは使命であると思ったのです。

     これについて、当時総代会の副会長だった黒川秀次さんが、「新住職はたいへん良いことを考えている。ぜひ皆さんに知らせておきたい」と言って、お施餓鬼の日の護持会総会で集まられた檀家さんに紹介してくれました。

     

     今日、5月10日の朝も美しい朝です。

    木々の緑はいよいよ濃くなりました。わずかな時にも天地自然の変化はやむことがありません。

    そして命の息吹を感じさせてくれます。

     こんなに素晴らしい祥雲寺を味わっていただくには、朝詣りが一番です。たくさんの人に参加していただきたいと思っています。

    令和4年5月15日

    宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之

    十八日の朝詣りは午前6時から行います。

祥雲寺行事案内

祥雲寺で行ってる月例行事や年間行事、その他法要・祭りなどについてのご案内です。 行事カレンダーもご確認ください。