ごあいさつ

宇都宮市の祥雲寺は歴史のある曹洞宗のお寺です。
栃木県庁のすぐ北にあり、自然林の中には西国三十三番の観音像が祀られています。
また、樹齢350年を超える枝垂れ桜の老樹は県天然記念物として有名です。
たくさんの方々に仏教を親しんでいただくことを願いとし、様々な信仰行事を催しています。

ようこそおまいり

地域や歴史について 栃木県宇都宮市の祥雲寺(曹洞宗) | 桜や祭りが名物の寺

地域や歴史についての記事

  • 平成29年8月 観音朝詣りのお知らせ

    2017年8月26日

     

    8月13日、お盆の迎え火祭壇前での読経

     

    NHKで「東京空襲が生んだ悲劇の傑作”噫(ああ)横川国民学校”」という番組を見ました。

     

    前衛書道家井上有一畢生の書です。

    小学校教師であった彼は東京本所の横川国民学校に勤務していて、ちょうど宿直の晩に東京大空襲に遭いました。

    避難してきた人たちが入った鉄筋造りの校舎に火が入り、千人余りの人たちが黒焦げになって焼け死んだ惨事に遭遇したのです。

    奇跡的に生き長らえた彼は、その時目の当たりにした光景を、30年後に400字ほどの仮名口語まじりの漢文に記し、書として発表し、世に大きな衝撃を与えました。

     

    文章に綴られている惨劇のすさまじさに戦慄を覚えます。

    それと同時に、背負い続けた思いを一文字一文字に託し、その総体として出来上がった作品に対して、もはや芸術とさえ言うこともできない、渾身をこめた魂の現れであると感じました。

     

    番組の出席者が、これは芸術ではない、供養だと言っていましたが、同感でした。

    作品全体が経文に見えました。

     

    仏教会主催の宇都宮空襲犠牲者追悼法要は7月12日に営まれていますが、毎年この日には必ず東京から来て参列しているという方に今年お会いしました。

    家が直撃を受け、隣の部屋にいた妹さんが亡くなられたということです。

    生死は紙一重、空襲を受けるその時まで、一家には団欒があり、幸せが詰まっていた。

    それが一瞬に打ち砕かれた。

    人生には起こることであり、あきらめざるをえないことであるが、生きている限り忘れない。

    その思いがあって、それが供養というものです。

     

    戦災法要の終了後、取材のNHK記者から、この法要は今後も続けていくつもりですがと聞かれました。

    私は、もちろん続けますと答えました。

    たとえ、直接の被災者が死に絶えても、その悲しみは永く受けとめていかなければならない。

    それをなし得るのは仏様であり、仏様に仕え、経を読んで供養するのが私のつとめなのですから。

     

    平成29年8月15日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    18日の朝詣りは午前6時から行います。

     

  • 平成29年7月 観音朝詣りのお知らせ

    2017年7月15日

     

    しだれ桜下の紫陽花

     

    たまたま乗ったタクシーの運転手さんとのお話です。

     

    奥さんのお母さんの一周忌の法事に、お母さんの実家の当主を呼ばなかったことに憤慨していました。

    運転手さんは、身内、親族を大切にし、また義理を重んじる人のようです。

     

    最近、年回忌供養だけでなく、葬儀さえも家族葬という名前で、ごく限られた人だけで営む例が増えてきました。

    葬儀の中心は亡くなった人なのですから、故人と縁のあるひとに知らせるのは遺族の務めだと思うのですが。

     

    私がそんな考えを話したら、運転手さんはさらにこんな話をし出しました。

     

    一人暮らしで亡くなった親戚の女性を、その人の実家のお墓に埋葬させてもらおうとしたら断られたということです。

    お兄さんは承知したが、奥さんが反対したということです。

    このようなことは実はたくさん例があります。

    現在では、断る方が多いかもしれません。

     

    墓地の本来のあり方では、このような場合には受け入れるものとされます。

    墓地は「土」であり、土はあらゆる差別を融和してともに安らぐ所、公界(くがい)だからです。

    「母なる大地」とは、そこから作物がとれ、人類を養ってくれた所というだけの意味ではなく、人間の命の濫觴(らんしょう・始まり・源)という意味であり、死はその世界に帰るという人間の本源的な感覚がありました。

    「草葉の陰から見守る」という言葉は、死後の世界に対するこのような感覚に基づいています。

    これは、古の日本人が自然と一体となって生きてきたと云われる一つの表れです。

     

    現代では、生きている人を中心に考えることを当然とします。

    この考え方では、日本の風土の中で培われた古来からの感覚は薄れていくのは明らかです。

    葬儀・法事や埋葬についての考え方も大きく変わらざるをえません。

     

    60代とおぼしき鹿沼出身の運転手さんは、言ってみれば昔の感覚を持っている人です。

    こういう人は少なくなっていくのかもしれないが、貴重な人です。

    このような人は、きっと人の世話を親身にしてくれることでしょう。

     

    平成29年7月15日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    18日の朝詣りは午前6時から行います。

     

  • 平成29年6月 観音朝詣りのお知らせ

    2017年6月17日

     

    石割の桜の木

     

    観音様の台座から十年かけて成長したので台座を調えなおしました。

     

    私は「忖度(そんたく)」という言葉が好きで、昔から使ってきました。

    人の心を推し量るという意味ですが、相手の立場を思いやって尊重するという語感があります。

    相手への敬意と、自分の志も保たねばならないという自戒を含んでいて、凛(りん)とした言葉だと思っています。

     

    ところが、現在かまびすしい学校開設認可をめぐる疑惑事件の報道で、一部の政治家や官僚の「忖度」は私のイメージとは違った使い方であることを知りました。

     

    テレビ番組で、政策決定のゆがみを告発した前文部科学省事務次官のインタビューを見ました。

    印象としてこの人の言うことに嘘はないと思いました。

     

    そこで気になったことがあります。

    それは、内閣府の高官が、文科省の担当者に対し

    「これは官邸最高レベルの考えである」

    というような言葉で許認可の変更を迫っていることです。

    これは、権力を持つ者が、命令ではなく、より大きな権力を持つ人の意向を伝えて、下の者に推し量らせて目的を達成しようとしているのです。

    上にいる人間の都合のよいように推し量ることができない、すなわち忖度することができなければ、不利益になるぞと脅しているのです。

     

    命令は責任が伴います。

    しかし、下の者が上の意向を忖度してそれに従った決定をするならば、言質を取られることもなく、責任を取らされる証拠も残さないで事が運べるのです。

    これがどんなに危険なことか。

    決して忘れてはならない前例があります。

     

    かつて日本が戦争へと突き進んだ時に、政界や軍や官僚機構で同じようなことが行われました。

    責任の所在が曖昧になり、結局「一億総懺悔」という言葉で、一番悲惨な目に遭った国民全体の責任にしてしまいました。

     

    そんな結果を生み出しかねない政治の手法として「忖度」が使われるのならまっぴらです。

    どんなよい言葉でも、使う人間の心根によって薄汚れていってしまう、そんなやりきれなさを感じています。

     

    平成29年6月15日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    18日の朝詣りは午前6時から行います。

     

  • 平成29年5月 観音朝詣りのお知らせ

    2017年5月14日

     

    本堂前のツツジ

     

    今年は例年以上に色鮮やかに咲きました。

     

    名古屋市の熱田神宮の少し南よりを流れる精進川に裁断橋という小さな橋が掛けられています(今はもう流れはなく橋だけになってしまいました)。

    古くから神域に入る禊(みそ)ぎの橋であったものですが、江戸時代のはじめにこの橋を豊臣秀吉の北条攻め(小田原の陣)で息子を亡くした母親が33回忌の供養に全財産をなげうって架け替えました。

    その母親の筆になる願文が橋の擬宝珠(ぎぼし)に残されています。

     

    「天正十八年二月十八日に小田原の御陣、堀尾金助と申す十八になりたる子を立たせてより、またふためとも見ざる悲しさのあまりに今この橋を掛けたるなり。

    母の身には落涙ともなり即身成仏し給え。

    (戒名)逸岩世俊と後の世のまた後まで、この書きつけを見る人は念仏申し給へや。

    三十三年の供養也」

     

    子を失った母の悲しみと、故人の後生を願う心の痛切さが惻々として心に沁みる文章です。

    戦いに死ぬのが武士の常であった戦国の世といえど人の心に変わりはないことがよくわかります。

     

    死んだ子の供養に橋を架け替えたのには訳があります。

    橋は渡すものを選びません。

    堀尾金助は戦いに死にましたが、橋は敵も味方もともに渡します。

    人であろうと動物であろうと物であろうとわけへだてなく渡してその為になります。

    この母親は橋を掛けることによって金助が争いと恨みの岸を離れて成仏することを願ったのです。

     

    平成29年5月15日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    18日の朝詣りは午前6時から行います。

     

  • 平成29年4月 観音朝詣りのお知らせ

    2017年4月15日

     

    今年のしだれ桜

     

    例年より開花は遅めでした。

     

    銀(しろがね)も 金(くがね)も 玉も何せむに

    まされる宝 子に如(し)かめやも

    万葉集巻の五 山上憶良 子を思う長歌の反歌

     

    有名な歌ですからご存知の方も多いと思います。

    「世に宝といわれる銀も金も玉も何ほどのことがあろうか、子に勝る宝はない」という意味もどなたにもわかりやすく受け取れると思います。

     

    私には6才と2才の孫がいます。

    やんちゃな男の子ですがこれがかわいい。

    東京から来るたびに成長の早さに驚かされます。

    上の子がお兄ちゃんらしく弟を思いやっているのはほほえましく、弟は一挙手一投足がすべてかわいい。

    まさに座敷の花です。

     

    そんな孫たちを見ていると、この子たちの生きる時代が幸せなものであって欲しいとつくづく思います。

    この子たちは、これから21世紀を生き、22世紀まで生きるかもしれない。

    私には知ることのできない世界です。

    でも、その世界がコンピューターに支配されていて、人間が創造性を持って生き生きと生きることのできない世界になってしまうかもしれない。

    それよりも前に、愚かな指導者によって世界戦争や、内乱の相次ぐ世界になってしまったら、と心配は尽きません。

     

    幼い子供たちを通して、世界の未来の平安を願う気持ちは、現実的に、そして深く強いものとなってきます。

     

    冒頭にあげた山上憶良の歌の前には序文があります。

     

    釈迦如来、金口に正に説きたまはく、衆生を等しなみに思うこと、羅睺羅のごとし。

    又説きたまはく、愛しみは子に過ぎたるは無しとのたまへり。

    至極の大き聖すら、尚し子を愛しむ心あり。

    況んや、世間の蒼生、誰か子を愛しまざらむ。

    (註)羅睺羅とはお釈迦様の実子の名前です

     

    私に残された時間は少なく、たいした力もありませんが、それでも世の幸せを願う祈りだけは絶やせません。

     

    平成29年4月15日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    18日の朝詣りは午前6時から行います。

     

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