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令和元年10月 観音朝詣りのお知らせ
2019年10月27日私は、献体をされた方の葬儀を、何度か勤めました。ある方は、特攻兵として志願しながら、基地に向かう列車が空襲されて止まり、まもなく終戦を迎えた人でした。戦後、役所に勤めながら、匿名で福祉施設への寄付を生涯続けておられたと奥さんから伺いました。あるいは青年の日の滅私奉公の志を献体によって成し遂げたのかとも思いました。遺族、親族、知己の人々によってしめやかな葬儀が営まれた後、遺体は医大に運ばれました。献体をする人は増えているそうです。医学部や歯学部のある大学と献体篤志家団体が窓口で、およそ30万人が登録しているそうです。医学、科学の発展の役に立ちたいという篤志に因るのでしょうが、増えている理由には経済的な側面もあるそうです。霊柩車費用や献体後の火葬、棺桶代などがかからないのです。また、女性の登録者が増えているそうです。自分の葬儀が遺族の負担にならないようにとの考えの人もあり、中には夫と一緒の墓に入りたくないという希望から登録する人もいるそうです。ただし、家族がいる場合、大学の納骨堂には入れないというのが大部分の原則になっているそうですが。いずれにしても、心の宿るところ、人生の土台である自分の身の始末を、勧請や厭憎の観点から考えて欲しくはありません。献体された方の葬儀は、多くは遺体の無い葬儀です。宗門の定める引導作法においては、遺体、遺骨の有る無しに違いはなく、霊位への以心即通をもって務めます。かつて、このような葬儀が多く行われた時代がありました。戦死者の葬儀です。遺体のない葬儀は、形あるものとしての対象を欠いて、慎み、悲しみの心が定まらなくなってしまうことになりかねません。しかし、より純粋に故人との由縁(ゆかり)を偲び、人生を深く思い見る場ともなります。形が無に帰して、なおかつ残るものがあるのが人間なのですから。令和元年十月十五日祥雲寺住職 安藤明之 -
令和元年6月 観音朝詣りのお知らせ
2019年6月16日5月に隠岐の島に行きました。世界ジオパークに指定された自然と、天皇、上皇が流された歴史を持つ島です。この島では、明治初年に徹底した廃仏毀釈がありました。隠岐騒動と呼ばれる松江藩と島民の争いの中で、島中の寺院すべてが破壊されました。島民は朝廷とつながって隠岐の独立を図ったのです。島の指導者たちには精神的な支えとなる人物がいました。隠岐出身の中沼了三という儒学者です。中沼了三は、孝明天皇、明治天皇の侍講を勤め、西郷従道、桐野利秋、中岡慎太郎などの勤王志士にも影響を与えた当時を代表する思想家です。孝明天皇の勅によって彼が奈良県の十津川村に開いた学校に学んだ村民は、十津川郷士と呼ばれて天皇家のために尽くしました。また、十津川郷士は奈良県の廃仏毀釈の中心ともなりました。廃仏毀釈は、日本全国の無数の寺院が破壊され、仏像や法具、文化財が壊されたり散逸したりした事件です。このような歴史的な蛮行がどうして起こったのでしょうか。大きな目で見ると、新しい時代が生まれようとする時に、寺院は古い幕藩時代を代表する象徴とされたのだと思います。僧侶は庶民の一番身近にいる文化人であり教師でした。寺子屋という言葉がそのことをよく表しています。同時に、寺請証文の発行など庶民支配の一端も担いました。天皇を中心とした世直しを図る志士たちにとって、武力を持たない寺院は格好の標的でした。寺院の横暴や僧侶の非行が喧伝されました。寺院の財産が狙われ、隠岐や十津川では破壊された寺院の後に学校が建てられました。中沼了三は大義名分を重んじ、行いの尊いことと卑しいことを厳しく区別して、自ら実践した人です。高潔な人の信奉者は、より過激になります。理想に違うものの存在を認めないのです。彼らに扇動された人々はさらに過激です。隠岐の島に残る仏菩薩の石像には、ほとんど全部に首が折られたりした損傷の跡が残ります。痛ましい限りですが、印象に残ることがありました。壇鏡の滝という落差40mの隠岐随一の滝の裏見の窟(いわや)に、お不動様、阿弥陀様、観音様と思える像が祀られていました。人々の信仰は、理念で押しつぶすことは出来なかったのです。令和元年6月15日宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之十八日の朝詣りは午前6時から行います。 -
写経会の案内
2019年5月11日心の体操 写経会のお誘い毎年恒例の花祭り写経会は無事開催することができました。祥雲寺では5月から11月 まで、毎月第2日曜日の午後2時から写経会を開催しています。写経された経文は経筒に納めて傳燈閣に保存されています。写経は法華経や般若経に功徳無量の仏行として仏教徒が勤めるべきものであると説かれています。近年では精神の安定と充実をもたらす心の体操であるとブームにもなっています。経文の一字一字を心を込めて書写するうちに、そのような効果が生まれるのは納得できるものです。どうぞお気軽にご参加ください。記令和元年度第1回 5月12日(日)午後2時より年間開催予定日 5/12,6/9,7/14,8/12,9/8,10/13,11/10(8月はお盆行事の都合により20日に開催します)納経会 12月8日納経料(任意)は納経会の日に納めて下さい。* 筆、墨、硯など必要なものは寺で用意しています。* 般若心経だけでなく短い経文の写経もしています。* 都合のつく日にご参加ください。 -
平成31年4月 観音朝詣りのお知らせ
2019年4月16日18日は平成最後の朝詣りになります。境内に西国三十三番観音霊場を建立するために三十余人の方々と巡礼を始めたのが平成元年です。4年がかりの巡礼で各霊場からいただいてきた土を台座の中に埋め込み、平成5年5月に祥雲寺霊場は完成しました。そして朝詣りが始まったのは、その年の10月18日です。朝詣り行事は、祥雲寺主催の観音霊場巡礼の基(もとい)ともなりました。西国、板東、秩父、最上の霊場巡礼は合わせて20次にもなります。平成時代の祥雲寺の行事は観音様信仰に貫かれていたといっても過言ではありません。観音経には、観世音菩薩は三十三の姿に身を変えて衆生を救い続けると説かれています。仏様、神様、国王、善男善女、子供、鬼神などが挙げられていますが、これは無限の象徴です。人の心の苦悩が無限であることに対応して、観音様も無限の現れ方をされると説かれているのです。自性清浄心といって、人は本来けがれなき清浄な心をそなえているとするのは、大乗仏教の基本です。仏心ともいいます。私には、神仏に祈る人々の心に観音様が宿っているように思えます。家族を思う父親にも、子を思う母親にも、戯れる子供の中にも観音様は宿っています。私は、昭和の時代に人となり、僧となり、平成の時代を住職としてつとめました。なすべきことをなさねばならない時を、皆様の信心と共に歩めたことを、ありがたく思います。平成31年4月15日宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之十八日の朝詣りは午前6時から行います。








