ごあいさつ

宇都宮市の祥雲寺は歴史のある曹洞宗のお寺です。
栃木県庁のすぐ北にあり、自然林の中には西国三十三番の観音像が祀られています。
また、樹齢350年を超える枝垂れ桜の老樹は県天然記念物として有名です。
たくさんの方々に仏教を親しんでいただくことを願いとし、様々な信仰行事を催しています。

ようこそおまいり

お知らせ 栃木県宇都宮市の祥雲寺(曹洞宗) | 桜や祭りが名物の寺

お知らせの記事

  • 令和2年2月 観音朝詣りのお知らせ

    2020年2月14日
     けさ気づいたことです。本堂1階流しの向かいのテーブルの上の黒い花瓶に挿してある梅の枝が小さな白い花をたくさん付けていました。
     花瓶に梅の小枝が何本も挿してあるのは知っていました。祥雲寺の花の飾り付けは、寺を手伝ってくれている中川さんがほとんどをしてくれています。
    本尊様へのお正月の供花に用いた梅の枝を、更に切り分けて、ほかの飾り付けの足しにと、取って置いているのだと思っていました。ねじれたり曲がったりした、私には使いようもないと思える枝がほとんどです。
     ところが、花が付いてみると、曲がったたくさんの枝が花の渦となって上に伸び上がる火炎の形になり、ねじれた少し太い枝は、外に噴き出す炎のようです。まるで朝ドラ「スカーレット」のタイトル画面の粘土の炎を花にしたよう。
     中川さんはお花の先生ではありませんが、心得があるとはこんなことを言うのでしょう。恐れ入りました。
     
     お正月の庫院には、毎年、草月流の花が活けられていて参詣の人を楽しませてくれます。今年のお花は雄大にして豪華と形容したくなるものでした、毎年活けてくださるのは亀井さんです。亀井さんはお花屋さんにして草月流の師範。本職の作品です。
      以前には、長く観音朝詣りに参加されていた吉村さんが、お正月の花を活けてくださいました。私は恥ずかしいことにお茶、お花ともに不調法です。以前は特に生け花には関心がなかったのですが、吉村先生のお花を見て草月流が好きになりました。習わぬ勉強をさせてもらったのです。
     吉村先生亡き後、亀井さんが活けてくださっているのです。観音朝詣りのご縁ですが、ありがたい限りです。
     令和2年2月15日
                  宇都宮市東戸祭1-1  祥雲寺住職  安藤明之
      寒さ厳しい時ですので
    十八日の朝詣りは午前9時から行います。
  • 令和元年12月 観音朝詣りのお知らせ

    2019年12月18日

    成道会。12月8日はお釈迦様の道を達成された(悟りをひらかれた)日です。

    この日は写経会の人にお経を書き付けた石を本尊様の膝元から須弥壇に納めてもらっています。

     126日、大嘗宮を参観しました。大変な人出でした。
     大嘗祭は天皇即位の最も重要な儀式で、今回はその模様がテレビで中継されました。儀式の中心になる悠紀殿、主基殿での行事は秘事とされ見ることはできませんが、まことに厳かな儀式でした。悠紀殿の神饌に、高根沢町の米が選ばれたことから、大嘗祭に関心を寄せた栃木県民も多かったと思います。
     大嘗祭はまぎれもない宗教儀式であり、厳かさもそこに由来します。そのことから、憲法の規定に違反するのではとの批判がありました。条文に照らし合わせれば当然の批判ではあります。しかし、憲法が国民統合の象徴としての天皇から始まっていることを踏まえれば、即位儀礼を否定できないし、儀礼の宗教性を否定することもできないと思います。
     日本国憲法は、宗教のことについて大きな矛盾をはらんでいて、これを解決するには、天皇の条項を削除するしかありません。
      象徴天皇制に反対する人も多いでしょう。それはそれでいい。しかし、大嘗宮の参観者が18日間の期間中におよそ80万人と発表されたように、国民の多くが皇室に関心を持っているし、好意も持っていることも確かなことと思います。憲法改正の論議が進められようとしていますが、象徴天皇制を見直すことは検討の対象にさえならないと思います。
     私は、大嘗祭が宗教儀式であることをよしとしますが、今回残念に思ったことがあります。それは、神饌のその後に関することです。
     日本全国の食材を選りすぐった神饌は、平成の大嘗祭では地中に埋められましたが、今回は関係者がいただくことになったそうです。捨ててしまうのは勿体ないから、良いことだと好意的な報道がされていました。
      しかし地中に埋めるのは捨てることではありません。生命の源である大地に還(かえ)すことなのです。貴重なもの、選りすぐったものだからこそ、母なる大地に還してやるのです。
    日本の歴史と風土に適(かな)った大事なことだったと思うのですが…。
     
    令和元年1215
    宇都宮市東戸祭1-1  祥雲寺住職  安藤明之
    十八日の朝詣りは午前6時半から行います。
  • 令和元年11月 観音朝詣りのお知らせ

    2019年11月17日

    11月7日、祥雲寺で宇都宮仏教会主催 御詠歌各流大会が開かれました。

     

    こちらは叡山流の発表。宇都宮仏教会で数年に一度行っている各宗派のご詠歌の発表会、今年は祥雲寺で行いました。

     

    曹洞宗梅花流の発表。各宗派の様々な取り組みが伺え、また大勢で楽しくお唱えができた賑やかな日でした。

     先月はじめ、一団の女性たちの訪問を受けました。
    絵手紙の同好会の方たちで、境内を散策してスケッチしていいかとのご挨拶でした。
     もちろんかまいませんので、どうぞどうぞと言い、たまたま時間も空いていたので、少し案内をいたしました。
    秋の陽が爽やかに射す日でしたので、自然豊かな境内を楽しんでもらえたと思います。数日経って、来られた方々から絵手紙をいただきました。
    そのほとんどに五百羅漢の絵が描かれていました。
     平成九年から制作が始まった羅漢像は、羅漢渓と名付けた本堂の裏手に安置しています。
    現在430体になった像が、二手に分かれて並んでいる様は壮観です。いつの間にか、羅漢像群のある寺として知られるようになりました。
    先月には、下野新聞のコラムでも紹介されました。
     羅漢像群が映えるのは、祥雲寺が豊かな自然環境にあることが大きいと思います。
    12日の朝は、深い霧が立ちこめました。
    紅葉に包まれた境内も違った景色を見せます。
    今年は雨が多かったせいでしょうか、紅葉は黒ずんであまり鮮やかではないのですが、かえってそれが静寂のおもむきを深めます。
    霧に煙る松、ようやく鮮やかな黄色になった銀杏、黄色く色づいた萩の枝のたおやかなうねり、羅漢像群を霧が流れ、不思議な陰影を作り出していました。
     絵手紙の会の人たちが見た祥雲寺、霧の朝の祥雲寺、同じ処でも景色は刻一刻と変わり、同じものはありません。
    素晴らしいと思う時に心を止めて、それが絵になり、文になり、手紙になるのはなんと素晴らしいことでしょう。
     12月1日の無縁供養の日には、新たな羅漢像が10体開眼され、また少し景色が変わります。
     令和元年11月15日
                  宇都宮市東戸祭1-1  祥雲寺住職  安藤明之
    十八日の朝詣りは午前6時半から行います。
  • 令和元年10月 観音朝詣りのお知らせ

    2019年10月27日

    大本山總持寺に納めた法要の鐘。お父さんおじいちゃんの名前を探してみる

    私は、献体をされた方の葬儀を、何度か勤めました。
    ある方は、特攻兵として志願しながら、基地に向かう列車が空襲されて止まり、まもなく終戦を迎えた人でした。
    戦後、役所に勤めながら、匿名で福祉施設への寄付を生涯続けておられたと奥さんから伺いました。
    あるいは青年の日の滅私奉公の志を献体によって成し遂げたのかとも思いました。
    遺族、親族、知己の人々によってしめやかな葬儀が営まれた後、遺体は医大に運ばれました。
     
     献体をする人は増えているそうです。
    医学部や歯学部のある大学と献体篤志家団体が窓口で、およそ30万人が登録しているそうです。医学、科学の発展の役に立ちたいという篤志に因るのでしょうが、増えている理由には経済的な側面もあるそうです。
    霊柩車費用や献体後の火葬、棺桶代などがかからないのです。
     
     また、女性の登録者が増えているそうです。
    自分の葬儀が遺族の負担にならないようにとの考えの人もあり、中には夫と一緒の墓に入りたくないという希望から登録する人もいるそうです。
    ただし、家族がいる場合、大学の納骨堂には入れないというのが大部分の原則になっているそうですが。
     
    いずれにしても、心の宿るところ、人生の土台である自分の身の始末を、勧請や厭憎の観点から考えて欲しくはありません。
     
     献体された方の葬儀は、多くは遺体の無い葬儀です。
    宗門の定める引導作法においては、遺体、遺骨の有る無しに違いはなく、霊位への以心即通をもって務めます。
    かつて、このような葬儀が多く行われた時代がありました。
    戦死者の葬儀です。
     
    遺体のない葬儀は、形あるものとしての対象を欠いて、慎み、悲しみの心が定まらなくなってしまうことになりかねません。
    しかし、より純粋に故人との由縁(ゆかり)を偲び、人生を深く思い見る場ともなります。
    形が無に帰して、なおかつ残るものがあるのが人間なのですから。
     
     令和元年十月十五日
                         祥雲寺住職 安藤明之
  • 令和元年6月 観音朝詣りのお知らせ

    2019年6月16日
    5月26日 茶道教室のお茶会

    5月26日 茶道教室のお茶会

     

    椅子席でのお点前も

     

     5月に隠岐の島に行きました。世界ジオパークに指定された自然と、天皇、上皇が流された歴史を持つ島です。
     この島では、明治初年に徹底した廃仏毀釈がありました。隠岐騒動と呼ばれる松江藩と島民の争いの中で、島中の寺院すべてが破壊されました。島民は朝廷とつながって隠岐の独立を図ったのです。島の指導者たちには精神的な支えとなる人物がいました。隠岐出身の中沼了三という儒学者です。
      中沼了三は、孝明天皇、明治天皇の侍講を勤め、西郷従道、桐野利秋、中岡慎太郎などの勤王志士にも影響を与えた当時を代表する思想家です。孝明天皇の勅によって彼が奈良県の十津川村に開いた学校に学んだ村民は、十津川郷士と呼ばれて天皇家のために尽くしました。また、十津川郷士は奈良県の廃仏毀釈の中心ともなりました。
     廃仏毀釈は、日本全国の無数の寺院が破壊され、仏像や法具、文化財が壊されたり散逸したりした事件です。このような歴史的な蛮行がどうして起こったのでしょうか。
      大きな目で見ると、新しい時代が生まれようとする時に、寺院は古い幕藩時代を代表する象徴とされたのだと思います。僧侶は庶民の一番身近にいる文化人であり教師でした。寺子屋という言葉がそのことをよく表しています。同時に、寺請証文の発行など庶民支配の一端も担いました。
     天皇を中心とした世直しを図る志士たちにとって、武力を持たない寺院は格好の標的でした。寺院の横暴や僧侶の非行が喧伝されました。寺院の財産が狙われ、隠岐や十津川では破壊された寺院の後に学校が建てられました。
     中沼了三は大義名分を重んじ、行いの尊いことと卑しいことを厳しく区別して、自ら実践した人です。高潔な人の信奉者は、より過激になります。理想に違うものの存在を認めないのです。彼らに扇動された人々はさらに過激です。
      隠岐の島に残る仏菩薩の石像には、ほとんど全部に首が折られたりした損傷の跡が残ります。痛ましい限りですが、印象に残ることがありました。壇鏡の滝という落差40mの隠岐随一の滝の裏見の窟(いわや)に、お不動様、阿弥陀様、観音様と思える像が祀られていました。人々の信仰は、理念で押しつぶすことは出来なかったのです。
     令和元年615
    宇都宮市東戸祭1-1  祥雲寺住職  安藤明之
    十八日の朝詣りは午前6時から行います。
祥雲寺行事案内

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