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平成31年1月 観音朝詣りのお知らせ
2019年1月26日新年おめでとうございます。
来月2月15日に、宇都宮仏教会主催の涅槃会の会場を引き受けました。
曹洞宗のお寺では、毎年2月になると涅槃図を掛けて14日までの2週間、毎夕お釈迦様の最後の説法である遺教経を読誦して15日の涅槃会を迎えます。涅槃会は降誕会(花祭り・4月8日)、成道会(12月8日)と並んで仏教徒の聖日ですので、15日にはどの宗派のお寺もそれぞれに行っているのですが、仏教会主催の涅槃会も修行されるのです。
祥雲寺はこのほど、本堂内陣の天上絵を描かれた杉山寒月先生にお願いして新たな涅槃図を造立しましたので、それを記念して会場に立候補したのです。
涅槃図は、お釈迦様が入滅された有様を描いたものです。80才になられたお釈迦様は、霊鷲山を発たれて、北方へと向かわれました。伴う弟子はアーナンダ(阿難尊者)のみ。困難な最後の旅でした。そして、クシナガラという町の郊外の沙羅樹の林の中で身を横たえられたのです。
急を聞いて集まった弟子たちに最後の説法をされ、2月15日満月の夜に入滅されました。
涅槃図には、諸行無常の理(ことわり)を重々承知しながら、それでも悲しまざるをえない弟子たちの姿が描かれます。涅槃図の多くには、いろいろな動物たちも集まって悲しむ姿も描かれて、釈尊の入滅が生きとし生けるものの悲しみであることを表しています。ただ、この度新しく成った涅槃図に描かれている動物は獅子のみです。杉山画伯に、日本最古の高野山金剛峯寺所伝の涅槃図を手本としていただきたいとお願いしたからです。どうぞ、2月15日午後2時からですのでお参りされて拝んでください。
人は必ず死すべきもの。それなら一切のとらわれから解脱して釈尊の入滅のようにありたいもの。そんな願いをこめた歌があります。西行法師の歌です。
願わくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ
平成31年1月15日
宇都宮市東戸祭1-1-16 祥雲寺住職 安藤明之
寒さきわめて厳しい時ですので
十八日の朝詣りは午前9時から行います。
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平成30年12月 観音朝詣りのお知らせ
2018年12月16日コンピュータを造ったのは人間です。ハード、ソフトといわれる、機械と処理技術の開発も人間の意思と創造力によってもたらされたものです。そこには開発者の個性が投影されています。
アップル社の創業者であるスティーブ・ジョブスは誰もが認める最先端のコンピュータ開発者です。彼はまた、曹洞宗の禅僧を師と仰ぐ仏教徒でもありました。
11月26日に聴講した駒澤大学の石井清純先生の「禅の教えをいまに活かす」という題の講演で、ジョブズについて触れていた内容の一部を紹介します。
彼が開発に当たって常にシンプルなものを目指しました。自分が開発し積み上げてきた機械や機能でも惜しみなく捨て去りました。
その基準は、禅で大切にされる「初心 」でした。
「もし今日が人生最後の日だとしたら今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか」
本当に今すべきこと、どうしてもやらなければならないことの役にたつコンピュータを造ることが彼にとっての初心であったのでしょう。一期一会にも通じる言葉です。
会社宣伝のポスターは、真ん中にリンゴ、上に「シンプルが究極の宣伝」とだけがあるまことにシンプルなものでした。石井先生は禅僧の描く一円相を思わせると評されました。
また、ジョブズは、古いものをただ捨てたのではありません。先人への感謝を失いませんでした。
「クリエティブな人というのは、先人たちの残してきたものに感謝しているものだ。それに何かを付け加えたい、そう思って僕は歩いてきた」
正 しい教えを伝え遺(のこ)す、そして、師の徳を超えなければ徳は半減してしまう。禅宗で嫡嫡相承(てきてきそうじょう)という言葉で表される思想に通じています。
ジョブズは、青年時代ヒッピーの生活を送ったこともあるそうです。放浪は精神遍歴でもあったのでしょう。才能あるものが遍歴の末に現代文明を花開かせた。その契機の一つに日本の禅との出会いがあったことは、禅のみならず日本文化の人類社会への可能性を示すものでもあります。
平成30年12月15日
宇都宮市東戸祭1-1-16 祥雲寺住職 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時半から行います。 -
平成30年11月 観音朝詣りのお知らせ
2018年11月14日10月の末はハロウィンが話題になりました。
この行事はもともと古代ケルト人の収穫祭だそうです。
ケルト人は10月31日を秋の終わりとし、冬の始まりから新しい年としました。
この日には死者の霊が家族を訪ねてくると信じられました。
古い記録では、祭司たちがかがり火を焚いて作物と犠牲を献げ火の回りで踊ります。
各家庭はこの火を持ち帰って家を温め、悪霊が入らないようにします。
子供たちは、仮面をかぶって悪魔や魔女に変装し、家々からお菓子をねだります。
お菓子をくれないと家にはいたずらをしてもよいということになっていたそうです。
私は、日本の宗教行事と共通するものが多いことに驚きました。
お盆は先祖を迎える行事です。
迎え火を焚き盆棚に火を灯します。
夜には村中総出で盆踊りとをしました。
秋田のなまはげは、仮面をつけ、神(鬼)となって家々を訪ねる行事です。
十五夜に子供たちがはやしながら家々からお供え物をねだるボージボという行事もありました。
お供えをくれない家の月見団子は盗んでもよいとされました。
ケルト人は、青銅器時代に中央アジアの草原からヨーロッパにやってきた民族だそうです。
日本も含めてアジア各地の民族や文化とつながりを持っていたのでしょうか。
元々のハロウィンも含めて、いろいろな祭りに共通するのは、先祖への感謝祭であることです。
先祖に感謝し、さらにはその霊に子孫たちが護ってもらうことを願う祭りです。
全知全能の神ではなく、血のつながりを感じることの出来るご先祖に感謝を献げるのは、人間の心のはたらきとして自然な感じがします。
一神教といわれる宗教が生まれる以前の、人間の一番素直な宗教感情だったのではないでしょうか。
仏教は、この世界の真理を悟られたお釈迦様が、悟りの境地から人間の生きる道を説かれた宗教です。
先祖崇拝は、ともすれば狭い地域や集団、一民族に限定された排他的な感情を生み出しかねません。
しかし、悟りの光に照らされた時、すべての人間にとっての幸せの基(もとい)である普遍的な感謝の精神へと高められている、そのようにお盆行事をはじめとする日本の先祖供養について私は思っています。
平成30年11月15日
祥雲寺住職 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時半から行います。
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平成30年10月 観音朝詣りのお知らせ
2018年10月17日かつて電子計算機といわれたコンピュータは、進化してAI(人工知能)になりました。
今朝(10月11日)のNHKテレビでAIを使った就職面接試験が紹介されていました。アメリカでNHKの記者が試しに受験した様子が写されました。評価は数値で表され、80数%の値が出ました。記者の感想には、機械に評価されることへの戸惑いが感じられました。このシステムの開発者は、人間による評価は先入観や好みなど個人的な指向に左右されやすいので、企業や組織が必要な人材を採るにはAIを導入するのがよいと話していました。ただ、開発者もAIのどのような判定の過程によって評価数値を出すのかは分からないそうです。
人間を評価するという、本来人間によってのみなされなければな らないとされていたもの、最も人間的な分野にAIが入り込んできたのです。そして、残念ながら、このようなことはこれからどんどん増えていくと思います。
かつて、コンピュータが人間に勝つことは不可能と言われた囲碁で、AIが世界最強棋士を破ったのは一昨年のことです。いまではAIが勝つのは当たり前と思われるようになりました。
億、兆のさらに上の位の数の情報を処理する能力を持ち、人間の感情や価値観などもデータ化して処理します。
AIは既に小説を書き、絵を描いています。医療診断にも導入され始めたそうですが、近い将来にAIの診断の方が医師の診断より信用されることになるでしょう。家事や、介護もAIで動くロボットがやります。
人間より優れた能力を持ち正確で間違いが ない、そのように人間がAIを信用し、さらに言うことを聞いてくれて便利に使えると思い、AIの導入はますます進みます。
しかし、本当にそれでいいのでしょうか。AIを使っているつもりで、実は使われ、支配されて行くのではないでしょうか。
文学や美術は、人間の感性や価値観で捉えなければなりません。人間は死に、壊(こわ)れ行く生き物です。それだからこそ喜びも悲しみも意味があるのです。データ処理の機械とは決して馴染むことのない一線があるのです。
平成30年10月15日
宇都宮市東戸祭1-1-16 祥雲寺住職 安藤明之十八日の朝詣りは午前6時から行います。
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平成30年9月 観音朝詣りのお知らせ
2018年9月17日今年は災害の多い年です。
7月の西日本豪雨、9月に台風21号の猛威、すぐ続いて北海道の地震です。
9月6日のテレビには、空から撮った震源地の映像が映されました。
山々の斜面が至る所で崩れ落ちているのを見て、アナウンサーが「これ全部けさ崩れたんですか」と問いかけていました。
私もにわかには信じられませんでした。
日本列島は、自然の恵みに満ちています。
山は森に覆われ動物も植物も多種多様、海は世界四大漁場といわれて魚をはじめ海産物が豊か、野も長年の丹精によって造られた耕作地が広がります。
世界でもまれな豊かな島々です。
日本人はこの恵みを受けて命を繋いできました。
しかし時至れば、山は火を噴き、地は震い、海からは大波が押し寄せてくる。
本年のように天災が続くと、人間は自然には逆らえないことを実感します。
カミ(神様)とは、自然の奥に人間を超えた力があると日本人が感じ、それを神聖なものとして表した言葉です。
カミ(神様)に対しては、恐れ敬い畏(かしこ)み謹んで、幸せをもたらしたまえと祈ってきました。
日本に生まれた神道は、まさしく自然崇拝の宗教です。
このような宗教を持つことは、人間の心のはたらきとして自然なことではないでしょうか。
人間は自然の中から生まれたものなのですから。
自然が美しく、四季折々の変化に富み、恵みも災いももたらす、そんな風土にいのちを営んできた日本人にふさわしい宗教のあり方だと思います。
仏教が日本に伝わり、神道と争うことなく、一体となった歴史を刻んできたのは、基本となる生命観、自然観がそれほど離れたものでなかったからです。
仏教は、我々を取りまく自然を、仏様の被造物とするような考えを持ちません。
私達は自然の一部であり、一体のものです。
お釈迦様は、私達が目にする世界だけでなく、人間には捉えられない世界も含めてそれを貫く真理を悟られて、その悟りの境地から人間の生き方を説かれました。
自然と調和して生きることは仏教の教えでもあるのです。
平成30年9月15日
祥雲寺住職 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時から行います。







