ごあいさつ

宇都宮市の祥雲寺は歴史のある曹洞宗のお寺です。
栃木県庁のすぐ北にあり、自然林の中には西国三十三番の観音像が祀られています。
また、樹齢350年を超える枝垂れ桜の老樹は県天然記念物として有名です。
たくさんの方々に仏教を親しんでいただくことを願いとし、様々な信仰行事を催しています。

ようこそおまいり

お知らせ 栃木県宇都宮市の祥雲寺(曹洞宗) | 桜や祭りが名物の寺

地域や歴史についての記事

  • 平成30年3月 観音朝詣りのお知らせ

    2018年3月14日

     

    宇都宮の観光ボランティアガイドへの講習会

     

    宇都宮氏と戸祭を治めた戸祭氏の関係などをお話ししました。

     

    お寺の年中行事の中で、一番お詣りの多いのがお彼岸とお盆です。

    お彼岸は仏国土におわすご先祖に感謝の思いを捧げて祈る行事、お盆はご先祖をお迎えして供養する行事、意味は違いますが、どちらも先祖供養の行事です。

     

    お釈迦様がお説きになった人間の最も大切にしなければならないことは感謝です。

    ご先祖への供養は報恩感謝の行ですから、大切にしていかなければなりません。

     

    お寺は、仏様を祀って礼拝し、仏様の教えを実践し人々に伝えていく道場です。

    それと同時にお檀家のご先祖を供養する菩提寺という大事な側面を持っています。

    住職が葬儀に当たって新亡霊位を仏様の世界に導く引導作法を執行し、戒名を過去帳に記載して寺が存続する限り供養していくのです。

    このことは、毎朝の勤行(おつとめ)によく現れています。

    最初に本尊様への礼拝と祈りがなされ、次いで教えを伝えてこられた祖師方への報恩供養、そして最後に檀家のご先祖への供養のお経を読みます。

    宗派を問わずにどの寺でもなされていることです。

     

    住職は、仏様の道場を護っていく僧侶としての使命と、将来にわたって檀家のご先祖の御霊を祀っていく職務としての責任と義務を負っています。

     

    葬儀や法事に当たってお檀家からいただくお布施は、寺を守っていくため大切なものです。

    金額を決めることは出来ないけれども、お檀家のみなさまが普段になされている仕事や労働の対価に比べて多額の喜捨をしていいただいているのは本当にありがたいことです。

    これは寺と檀家が将来も共にあり続ける、たとえ絶えることがあっても寺は檀家の先祖を守り続けるという付託がされていることでもあります。

     

    世の中には、何百億円、何千億円という浄財を集めて大伽藍を建立している宗教団体があり、巨額の寄付をした人のことを聞くことがあります。

    寄付は志に基づくものですから、それを他人がとやかくはできないけれども、常の菩提寺の住職は、檀家の将来が危ぶまれるような寄付を自ら勧めることは決してないと思います。

     

    平成30年3月15日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    18日の朝詣りは午前6時から行います。

     

  • 平成30年2月 観音朝詣りのお知らせ

    2018年2月17日

     

    観音朝詣り

     

    西国三十三観音さまにお経を唱えお参りしていきます。

     

    80才になられたお釈迦様は、長らく止まって居られたガンジス川中流域のマカダ国の霊鷲山(りょうじゅせん)を出られて一路北に向かわれました。

    お供するものはアーナンダ(阿難尊者)一人、故郷シャカ族のカピラ城に帰ろうとした後の旅として南伝の涅槃(ねはん)経にその様子が詳細に記されています。

     

    その中で、途中病気になられた釈尊が、阿難尊者に与えた「自灯明、法灯明」と言われる言葉を紹介します。

     

    アーナンダよ、私はもう老い朽ち、齢を重ねて老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達して、わが齢は80となった。

    アーナンダよ、たとえば古ぼけた車が革紐の助けによってやっと動いて行くように、私の車体も革紐の助けによってもっているのだ。

    しかし、アーナンダよ、向上につとめた人が一切のとらわれを心にとどめることなく、あるがままをあるがままと受け止め、とらわれのない心の統一に入って止まるとき、そのとき、彼の身体は健全なのである。

    それ故に、アーナンダよ、この世で自らを灯火(ともしび)とし、自らを拠り所として、他人を拠り所とせず、法を灯火とし、法を拠り所として、他のものを拠り所とせずにあれ。

     

    老衰の身を古ぼけた車にたとえる心境について、齢70を迎える私にも少しずつ実感が湧いてきました。

    老い死んでいくのは避け難いことですが、そのあるがままをあるがままとし、しかも自分の生きる道を自分の意志で生きて行く。

    その道を照らす灯火となるのは自分自身であり、真理としての法です。

    釈尊のこの言葉には、老いを超えた力強さ、独り行くものの気高さがこもっています。

     

    祥雲寺住職 安藤明之

     

    まだまだ寒さ厳しい時ですので

    18日の朝詣りは午前9時から行います。

     

  • 平成30年1月 観音朝詣りのお知らせ

    2018年1月13日

     

    折り紙教室

     

    花祭りの飾り花

     

    釈迦牟尼仏 明星を見て悟道(ごどう)してのたまわく、

    我と大地有情(うじょう)と同時に成道す(瑩山禅師 伝光録)

     

    お釈迦様が悟られた御様子を伝える言葉です。

    王子の位を捨てて苦行すること六年、苦行のみでは悟れないと感じたお釈迦様は、修行の地、前正覚山を下り、村の娘スジャータから乳粥の供養を受けられた後、ブッダガヤの菩提樹の下で禅定に入られました。

    魔王たちはあらゆる誘惑と脅しと恐怖を以て悟りを妨げようとします。

    それらの全てを制して、暁の明星が燦然ときらめく中にお悟りを得られた、これが仏伝に記されるお悟りの様子です。

     

    我と大地有情と同時成道とは、悟りの世界に立たれた、その境地からは、天地万物、生きとし生けるもの全てが悟りの世界にある。という意味でしょうか。

     

    仏像では、お悟りを得られた時の姿は、禅定印を解いて、右手の指先を大地に付ける触地印(そくちいん)で表されます。

    経典には天魔の誘惑に対し大地の神がお釈迦さまを護っていることを示したとあります。

    私には天地万物悟りの世界で一体なるを大地の感触を確かめることで示されたように感じられます。

     

    梅花流御詠歌では

    明けの星 仰ぐ心は 人の世の 光となりて 天地(あめつち)にみつ

    とうたわれます。

     

    釈尊の成道(じょうどう)によって天地万物が悟りの光に輝いているよろこびを詠っています。

     

    皆様が仏の慈悲につつまれお幸せに、そして輝かしい年でありますことを、年頭に当たり、祈らせていただきます。

     

    平成30年1月13日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    今回の朝参りは午前9時から行います。

     

  • 平成29年12月 観音朝詣りのお知らせ

    2017年12月16日

     

    祥雲寺陶芸教室作品展示

     

    今上陛下が退位され、再来年の五月一日に新陛下が誕生します。

     

    即位の儀礼について、新しい時代に即したものにするという見出しが新聞に載っていました。

     

    儀礼の中で最も大切なものは大嘗祭です。

    皇居に大嘗宮が設けられて行われます。

    祭礼の次第は一応公表されていますが、詳細は伏せられているので秘儀とされるものです。

    そのため、戦前から現代まで多数の学者がその意味を考察しています。

    いろいろな説があるのですが、ともかく皇位を継承するに当たっての宗教的な儀礼であることは否定できないことでしょう。

     

    ここで問題が生まれます。

    それは、国がいかなる宗教的活動もしてはならないという憲法の規定があるので、大嘗祭のために国費(税金)を使えるかという疑問です。

     

    これについては、是とするにせよ、非とするにせよ、法律家を始め、識者からいろいろな意見が出ると思いますが、私は公費の出費はあってしかるべきであると思います。

     

    それは、全体として日本国民は象徴としての天皇を受け容れているという現実から来るものです。

     

    敗戦の時、天皇制が廃止される可能性はあったはずです。

    そうならなかったことにより歴史と文化の総体としての日本国が存続できたと私は思います。

    また、そこから生まれた安定した国情が戦後の復興と繁栄に大きく寄与したとも思います。

     

    天皇の権威がどこから来ているのかを理屈でもって示すことはできません。

    今日、天皇が神であると思っている人は殆どいないでしょう。

    私は昭和天皇に対しても今上天皇に対しても敬愛の念を持っていますが、お二人とも同じ人間です。

    しかしその人が国の象徴という特別な存在になるのは、何らかの儀式が必要であると思うのです。

    そしてその儀式は伝統を踏まえたものであり、宗教性を帯びることは自然なことと思うのです。

     

    人間は宗教性を持った生き物です。

    今日、さまざまの人が声高く叫ぶ、宗教性を排除することが正しいとする言説に納得することは出来ません。

     

    平成29年12月15日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    18日の朝詣りは午前6時半から行います。

     

  • 平成29年11月 観音朝詣りのお知らせ

    2017年11月15日

     

    境内の紅葉

     

    寺の屋根にとまるアオサギ。

     

    日本では仏壇と位牌をとても大事にします。

     

    仏壇の起源についてはいろいろな説があります。

     

    古代に帰属が仏像を屋敷内に祀った持仏堂が小型化したという説。

    家の中に祀られたであろう小さな仏像がインドやシルクロードの遺跡からもたくさん出土していますから、日本だけでない古い起源になります。

     

    お盆に先祖の御霊を供養するために設けた盆棚が家屋内に常設されるようになったという説。

    7月15日に川の畔で亡き人のために供養をするのは現在のヒンズー教でも行われていますので、盆供養はインドに由来しますが、棚を設けたかどうかは分かりません。

     

    鎌倉時代に先祖を祀るために室内に置かれた「押し板」という床の間の起源と同じものが変化したとする説もあります。

     

    位牌は中国のものです。

    死者の名前や官位を記して祭礼に用いたものですが、鎌倉時代以降に禅宗が伝え、戒名が記されて礼拝されるものとなりました。

     

    仏壇とお位牌の組み合わせが広く普及したのは江戸時代です。

    日本独自の信仰文化といっていいでしょう。

    そして、とても素晴らしいものです。

     

    何が素晴らしいのかというと、感謝を捧げるものが身近に会って、毎日少しの時間でも感謝のひとときを過ごすことができるからです。

     

    仏教徒として正しい生き方の根本にあるのは「感謝」です。

    お釈迦様は、人間がこの世の無限の恵みによって生かされていることを自覚し、生きとし生けるものと共に生きていることを喜びとすることが感謝であり、それが幸せへの道であるとお説きになりました。

     

    仏壇に祀られている父母は、直接に私たちに命を与え育ててくれた人であり、その先にはご先祖がいらっしゃいます。

    その前で感謝の思いは自然に湧き上がります。

    その感謝の思いを、さらに大きな天地万物への感謝へと導いてくださるのが仏壇の中心の本尊様です。

     

    毎朝、仏壇の香炉にお線香を立てて心を込めておまいりをすることは、私たちが正しく生きていくことができる支えとなります。

     

    平成29年11月15日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    18日の朝詣りは午前6時半から行います。

     

祥雲寺行事案内

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