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平成30年6月 観音朝詣りのお知らせ
2018年6月18日本年の本山参拝、永平寺参拝の帰りに、滋賀県長浜市渡岸寺の十一面観世音菩薩を拝んできました。
平安時代初期、貞観年間の頃制作されたと推測される国宝の観音像で、日本彫刻史上最高傑作であるという人もいます。
それは、この観音様がただ美しいだけではなく、人間の持っている様々な心性に対応して仏様の世界に導く力を像の中に秘めているからです。
頭上に戴く渋面のうち七面が、怒りをあらわす表情で、人間の悪心を滅することを表しています。
とくに真後ろにある暴悪大笑面は、悪を笑って仏の道に入らしめるはたらきを示すものですが薄気味悪く、まるで悪魔の表情です。
白洲正子さんは、名著『十一面観音巡礼』の中で、これらの表情は、この仏像の製作者が自ら体験したものから生まれたのだと想像しています。
この時代の仏師は仏像を造ることが修行であり信仰の証しであって、仏像は、仏法という共通の目的をめざして、一人一人が造りあげた精神の結晶だというのです。
傾聴すべき言葉と思います。
芸術家によるものであれ、職人によるものであれ、才能と修練の技を持って精魂を傾けて造りあげられたものは人の心を打ちます。
仏像がそれらの芸術品、美術品とちがうのは、それが俗世間を超越したものであるという信仰によって拝まれるものであるということです。
私は、東京国立博物館で仏像の展覧会があると、必ずといっていいほど見に行きます。
そのときにどうしても感じてしまうことがあります。
それは、これらの仏様が、美術品鑑賞の眼にさらされるものではないということです。
正面だけでなくあらゆる角度から見ることが出来るように展示された御像は、美術品の鑑賞としてうってつけです。
私も鑑賞の眼になってしまいます。
しかし、仏様は拝むものです。
渡岸寺の観音像は、姉川の合戦の時には、村人によって地中に埋められて破壊を免れました。
信仰を伝えて来た地で拝むことが出来てよかったと思います。
平成30年6月15日
祥雲寺住職 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時から行います。