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令和2年3月 朝坐禅会「指月の会」案内
2020年3月22日諸行無常新型コロナの世界的蔓延で、世の中の色々なところに支障が出ています。祥雲寺でも地域の観音堂例祭や御詠歌講、花祭り写経会が中止になりました。私には医学の心得はありませんが、感染症の話題になる度に、学生時代に読みふけっていた村上龍の『ヒュウガウィルス』をいつも思い出します。この本は簡潔に言えば、九州で酷い病気がはやり、細菌戦の部隊が処置に赴く話です。作中の架空の病気ヒュウガウィルスは未知の病気で、エボラ出血熱を更に酷くした空気感染するウィルスが一帯を変わり果てた死体の山にします。その様子を見て、なんで人間はそんなに弱いんだ、と嘆いた人に、老科学者が返した言葉が印象深く、今でも良く憶えています。「弱くて脆い部品が精密に作動するから生物は進化した。われわれのからだを構成する分子は脆くて壊れやすいつながり方でつながっている。だから化学反応が可能で、全体として信じられないような生体のシステムが生まれた。強い結合で結ばれれば鉱物になってしまう。鉱物は何億年経ってもほとんど変化がない。人間は柔らかい生き物だ。その柔らかさ、脆さ、危うさが人間を人間たらしめている」あまりにも繰り返し読んでいて、私の人間観の基ともなっていますが、これって言葉が変われば、そのまま「無常」を表現しているものだと思っています。私たちは無常(変化)だから生まれ育ち、変化するから老い病み死んでいく。無常には良いも悪いもない、変化するから私たちはこうして在ることが出来る。だから無常は厭うものではなく、受け入れその都度真摯に対応するのが最も良い身と心の処し方と言えるのでしょう。残念なことに、新型コロナとの付き合いはもうしばらく長引きそうです。私たちが成すべきは、こういうこともあるさと腰を据えて向き合って、日々対処して自分と周りを整えていくことなのでしょう。それこそ疲れないようじっくりと。祥雲寺副住職 安藤淳之一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?日時:3月23日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)
6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
7時20分~8時 (二回目の坐禅)
場所:祥雲寺本堂一階
用意:身一つで大丈夫です。
足の組めない方は椅子での坐禅もできます。
注意:初めての方は最初に指導を行います。
その為可能ならば一回目の坐禅から参加されてください。
また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています
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令和2年3月 観音朝詣りのお知らせ
2020年3月17日コロナウィルスの蔓延で、重苦しい日々が続いています。9年前の大震災の後にも匹敵する感があります。放射能もコロナウィルスも見えないものです。しっかりした情報がない状態では不安がつのります。伝染病の場合には自分が罹(かか)ることによって、まわりの人に移す加害者の立場になりかねないという不安も起こります。小学生だった昭和30年代、学校でも、大人たちからも、伝染病の恐ろしさをくり返し教えられました。当時の人たちは、結核や赤痢の恐ろしさを身近に経験していました。しかし、戦後生まれの私たちは、身に迫って伝染病の恐怖を感じたことはなかったように思えます。治療薬が次々と開発されました。医学の進歩は著しく、信頼も厚かった。衛生環境も格段によくなった。もう、伝染病の大流行などあり得ないとなんとなく考えていました。今回はウィルスの蔓延を防ぎきれないように思えるため、信頼が崩れ、国民全体が浮き足立ってしまいました。いま大切なことは、専門家の指針をきちんと守って一人一人が対処するとともに、必要以上に恐れないことです。もし蔓延してしまったら、このウィルスと付き合っていくしかない。今までのインフルエンザと同じように。新型コロナウィルスに対しても、きっと近いうちに治療薬ができるでしょう。現在は従来のインフルエンザよりは恐ろしいけれど、国民全体の適切な対処の積み重ねで、2020年にこんな大騒ぎがあったと、記録されるだけのことになるでしょう。恐れるべきでないと言いましたが、人間を恐怖に陥れることはこれからも繰り返し起こってくると思います。そしていつの日か、本当に対処しきれないような危機が訪れるかもしれません。実際、震災では自然に対する人間の無力を感じました。原発事故では、人間の生み出した技術を自らがコントロールできませんでした。抗生物質の多用によってどんな薬も効かない細菌が生まれるかもしれません。しかし、そんな中でも人間は生き続けるしかないのです。無常にして弱いものであることを自覚して。勇気を持って。令和2年3月15日宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之十八日の朝詣りは午前6時から行います。 -
令和2年2月 朝坐禅会「指月の会」案内
2020年2月23日利行は一法なり、普く自他を利するなり修証義第四章 四摂法(ししょうぼう)先日テレビをつけてみて、NHKで昨年行ってきたミャンマーの映像が流れていたので懐かしく視聴しました。世界ふれあい街歩き、黄金輝く仏教の街マンダレ–、という番組です。マンダレ–というのはミャンマーの旧首都です。日本で言えば京都のような場所で、王宮を中心に碁盤の目のように整然と建物が並ぶミャンマーの古都です。冒頭に東南アジアの都市で見かける、街の広場で早朝に大勢集まって太極拳や健康体操をしている人たちが映されて、その中でヒップホップを踊っていた中年のご婦人が、大変印象深い受け答えをされていました。撮影者が「この町はどんな街ですか?」と尋ねると女性は「困っている人を助ける街よ」と答えたのです。これは、中々出てくる言葉ではないでしょう。なんとも素敵な受け答えではないでしょうか。ですが、女性もその周りも、なんてことはない当たり前の認識として答えていたのです。番組の中では様々な人が映されて、多くの人が良いことをする、功徳を積むことで幸せになれると話されて、他者への施しをして手を合わせ、また種々の形で徳行を実践していました。我が宗祖道元禅師の著書に「利行は一法なり、普く自他を利するなり」という言葉があります。人のためになる行いとは決して一方的な、損をするだけのものではない。他者の為の行いとは翻って自分の為の行いともなるのだ。損得ではかれるものではない尊い淨行なのだ。意訳するとこのような意味となるでしょうか。ミャンマーの人々は、他者の為に心を配り分け与える事こそが「普く自他を利する」、他人と自分をそして世界を幸せにする道なのだと理解しているからこそ、世間的には損をしていても皆笑顔で幸せそうにされているのでしょう。頭の下がる光景でした。手を合わせたくなる尊さのある光景でした。いずれまた、お参りの企画を立てて訪ねたいとの思いを新たにしました。祥雲寺副住職 安藤淳之一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?日時:2月24日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)
6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
7時20分~8時 (二回目の坐禅)
場所:祥雲寺本堂一階
用意:身一つで大丈夫です。
足の組めない方は椅子での坐禅もできます。
注意:初めての方は最初に指導を行います。
その為可能ならば一回目の坐禅から参加されてください。
また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています
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令和2年2月 観音朝詣りのお知らせ
2020年2月14日けさ気づいたことです。本堂1階流しの向かいのテーブルの上の黒い花瓶に挿してある梅の枝が小さな白い花をたくさん付けていました。花瓶に梅の小枝が何本も挿してあるのは知っていました。祥雲寺の花の飾り付けは、寺を手伝ってくれている中川さんがほとんどをしてくれています。本尊様へのお正月の供花に用いた梅の枝を、更に切り分けて、ほかの飾り付けの足しにと、取って置いているのだと思っていました。ねじれたり曲がったりした、私には使いようもないと思える枝がほとんどです。ところが、花が付いてみると、曲がったたくさんの枝が花の渦となって上に伸び上がる火炎の形になり、ねじれた少し太い枝は、外に噴き出す炎のようです。まるで朝ドラ「スカーレット」のタイトル画面の粘土の炎を花にしたよう。中川さんはお花の先生ではありませんが、心得があるとはこんなことを言うのでしょう。恐れ入りました。お正月の庫院には、毎年、草月流の花が活けられていて参詣の人を楽しませてくれます。今年のお花は雄大にして豪華と形容したくなるものでした、毎年活けてくださるのは亀井さんです。亀井さんはお花屋さんにして草月流の師範。本職の作品です。以前には、長く観音朝詣りに参加されていた吉村さんが、お正月の花を活けてくださいました。私は恥ずかしいことにお茶、お花ともに不調法です。以前は特に生け花には関心がなかったのですが、吉村先生のお花を見て草月流が好きになりました。習わぬ勉強をさせてもらったのです。吉村先生亡き後、亀井さんが活けてくださっているのです。観音朝詣りのご縁ですが、ありがたい限りです。令和2年2月15日宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之寒さ厳しい時ですので十八日の朝詣りは午前9時から行います。 -
令和2年1月 朝坐禅会「指月の会」案内
2020年1月25日今年もどうぞよろしくお願いします。四大分離して甚れの処に向かってか去る。 『無門関』お話しする機会があった方からリクエストをいただいたので以前の話ながら再掲します。しばらく前に「千の風になって」という歌が大変流行しました。私のお墓の前で泣かないで下さい、私はそこに居ません。千の風になって、あの大きな空を吹き渡っています。この曲の特別なところは、死者からのメッセージであるという所です。死という断絶。それを超えて語りかけてくれる「向こうからの言葉」うちひしがれている人にとって何よりの慰めとなる、この歌にはそうした力があるのだと思います。この歌詞は一説にはネイティブアメリカンの言葉が元になってアメリカで広まり、それを新井満氏が翻訳して歌にしたそうです。私たちは縁あってこの世に生を受け、様々な結びつきの仲で育ちやがて枯れていきます。縁によって生まれいでた私たちは、死ねば何処に行くのでしょうか。何処に行くのでもありません。世界から結びつきによって生まれた私たちは、ほどければまた世界に帰っていくのです。私たちの命は、すがたかたちを変えてまたこの世界を巡る大きなはたらきへと立ち返っていく。だからこそ、悲しみに萎れた顔を上げて耳を澄まして見たならば、木漏れ日の煌めきや風のそよめき、土の臭いや水の流れにあの人の命のはたらき、面影を見ることも出来るのでしょう。ですが、お墓こそが故人を思い返す、偲ぶのにこの世で最も適した所であることも間違いないはずです。故人を弔い、文字通りその名残を石の永遠性に託して刻み、この世にあったのだという証拠を立たせているのですから。どうかお墓参りの時にはたくさん声をかけてあげて下さい。故人には出来なくなった掃除をして届けたい物や思いをお供えしてあげて下さい。そうして合わせた手の向こう側に、きっと喜ぶ顔を感じることが出来るはずです。祥雲寺副住職 安藤淳之一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?日時:1月27日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)
6時30分~7時10分(一回目の坐禅)
7時20分~8時 (二回目の坐禅)
場所:祥雲寺本堂一階
用意:身一つで大丈夫です。
足の組めない方は椅子での坐禅もできます。
注意:初めての方は最初に指導を行います。
その為可能ならば一回目の坐禅から参加されてください。
また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています





