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祥雲寺第2回お遍路参拝旅行(10月18日~21日、3日目)
2009年11月1日3日目に入りましたが皆元気で天気も快晴、絶好の参拝日和です。
今日は41番龍光寺から44、45番を翌日に飛ばして51番石手寺まで一日最多の9ヶ寺回ることになります。
宇和島のホテルを出てバスで東側山間部に移動し、その間にバス車内で朝のお勤めをすませました。
お遍路の札所は概ね朝8時から夕方5時の時間で納経所が開けられます。
寺によっては時間外でも山門を開け放し、何時でもお参りできるようにしている所もありますが、御朱印を頂く参拝の場合はこの時間の間に回れる様調整する必要が出てきます。
朝の空気の清々しさ、初秋のカラッとした気候も手伝ってか
気持ちの良いお参りが出来ました。
午前のお参りが終わって、46番浄瑠璃寺前の旅館長珍屋でお昼を頂きました。
この時行き会った別団体の方達は岡山県の島から来たそうです。
そういえば昨日は歩き遍路らしい重装備の欧米人4人組と札所で行き会いました。
4人肩を寄せ合い、ローマ字でルビの振られた般若心経を大きな声で読んでいて、やはりお遍路というのは懐の深い修行なのだなぁ、との感慨をさらに強く感じ入りました。
午後は47番八坂寺から51番まで回り切る予定です。
平野部の札所はその多くが住居の密集地に建てられているため駐車場が若干離れた所に用意される場合がままあります。
歩く時間が増えるのは骨ですが、その分四国の空気と風情に触れられる時間もまた多くなります。
この時は道端の無人販売でみかんの大袋が100円で売られているのを見て、さすが四国と皆で笑い合っていました。
48番西林寺大師堂前にて。
ここで行き会った参拝団は九州は福岡からだそうです。
この場合は同好の士ならぬ同行の士となるのでしょうか、同じお遍路を行じる者同士、行きずりの人同士でも話がはずみます。
3日目最後のお参り、松山市中心部の51番札所石手寺の出店通りにて。
松山市は四国で1、2を争う市街地ですが石手寺は松山城に次ぐ松山有数の観光名所でもあります。
行楽シーズンということも手伝い大変多くの人でにぎわっていて活気がありました。
お参りが済んで境内を散策していた所、500羅漢が見られる洞窟があると聞いて入ってみたら方向を間違えて裏山を突き抜けてしまいました。
全員足元に注意しながら引き返し、ようやく洞窟を抜けたらすっかり夕暮れ時になってしまいましたが、怪我の功名とでもいうべきか集合写真を誰はばかることなく取ることが出来ました。
お参りが終わって今日は道後温泉に宿泊になります。
椿館という明治期のモダン建築を模した大きなホテルに荷物を置いて、希望者と一緒に道後温泉本館に入ってきました。
この本館は映画「千と千尋の神隠し」の舞台参考にもなった古い建築で、一階が浴場、二階が大部屋の休憩所、三階が個室の休憩所になっています。
湯あみも了ってライトアップされた道後本館を後ろに記念の一枚。
丁度真上に見える三階の部屋が、夏目漱石の著書に準えた「ぼっちゃんの部屋」にあたります。
今日は四国最後の夜ということで宴会を全員で楽しみました。
9時からロビーで村上水軍太鼓の出し物があったので見に行きましたが、やはり直に聞く上手の太鼓はよく響きます。楽しい夜を過ごさせてもらいました。
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祥雲寺第2回お遍路参拝旅行(10月18日~21日、2日目)
2009年10月28日2日目も快晴、今日は高知市郊外から足摺岬を経由して宇和島市まで北上する
今回最長の行程になります。
三陽荘から撮った朝焼けの岬。
この宿は36番札所のすぐ前に建てられていて、
何でも近年お大師様の掲示を受けてお遍路さんのお手伝いに取り組める場所として経営されるにいたったそうです。
施設も食事もよく気を使っていただき、皆ゆっくり休むことができました。
宿を出て朝日がまぶしい中、最初の36番札所青龍寺に到着しました。
ここは何でも相撲の朝青竜関の名前の由来になったお寺だそうです。
過去朝青竜関も上り下りした170段の石段をみんな元気に昇っていきます。
お参り了って駐車場前にあるお接待所で一休み。
ここは珊瑚細工工房に併設されていますが
四国では至る所にお遍路さんを接待してくれる休憩所があります。
こちらの言葉では善根を示す、といった表現になりますが、
土地の人たちが無償で旅のお遍路さんをもてなしてくれる習慣が根付いており、
一人で行動する歩き遍路等には特にありがたいものになります。
お遍路の旅路を「同行二人」という言葉で表現します。
弘法大師ゆかりの霊跡を巡る難行を、大師の名とともに行くことからくる言葉ですが
それは同時に、
個人の力、一人のみではこの難行をなしえないことから
「お蔭様で」という言葉を実感する修行なのだという意味を持っていると思いました。
お参りが済んで次は足摺岬方面に向かいます。
同中渡った四万十川の川沿いにある食堂でお昼を頂きました。
土産物屋も併設されていたので見て回っていたらこんなキーホルダーを見つけました。
昔懐かしロボットのパロディキーホルダーのようですが
見たときには店の中でしたが大笑いしてしまいました。
昼過ぎに足摺岬の札所、38番金剛福寺に到着。
ここは昔補陀落渡海という行が行われた場所としても有名で、
その為なのか本堂前に大きな池が整備され、一風変わった境内になっています。
補陀落渡海というのは南の海に向かって浄土を求め、帰らない旅に出る行のことです。
華厳経というお経にある南の浄土を補陀落と言い、チベットのポタラ宮の名もこれに由来します。
昔の人は南の海の向こうに浄土を夢見て、最も近くなる四国最南端の足摺岬をその信仰の地としたのかもしれません。
私はこの話を聞くたびに今昔物語の源太夫の話を思い出します。
お参り了って足摺岬の展望台に来ました。
太平洋を遥かに見渡して潮風に吹かれていると、今いる場所が四国なのだとより強く実感します。
空は秋らしくあまり奥行きがない青色です。
上空では風の流れが強いせいか、速い速度で雲が流れて行きました。
良い景色を堪能できましたが、ここで時間を取りすぎたため宇和島到着が7時近くになってしまいました。
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祥雲寺第2回お遍路参拝旅行(10月18日~21日、初日)
2009年10月26日4月に行われた第1回お遍路参拝に続いて
10月18日~21日の旅程で、第2回四国88札所巡礼参拝旅行にいって参りました。
今回は高知市内にある31番札所から松山北の53番札所までお参りする行程になります。
羽田空港から高知竜馬空港に1時間ほどで到着。
ここ数日で大分冷え込んですっかり秋めいてきましたが
四国は暑いくらいに暖かく、少し夏に返ってきた心持ちになりました。
空港で第一回にもお世話になった大川バスの運転手さんガイドさんと半年ぶりに再開。
その熟練の腕前にお世話になっていたことも手伝って、皆再会を懐かしんでいました。
32番札所の参道。
四国のお遍路というと昔は困難の代名詞ともなるような旅でしたが
近年は道路も整備され参道にも手すりが設置される等、大分お参りがしやすいようになっています。
本堂前で経文を全員でお唱えし、お参りします。
88札所巡礼は、各寺の本堂と弘法大師を祀る大師堂にお参りをしてお札を納め、納経所で御朱印を貰うのが通例となっています。
お参りがすむと少しの時間ですが境内を散策し、四国の空気を楽しみます。
32番禅師峰寺の展望台からは桂浜方面がよく望めます。
大分冷え込んできた宇都宮から暖かい南の海に出てきたこともあって
皆眩しく見入っていました。
時間に余裕が出来たので桂浜に立ち寄ることが出来ました。
思いのほか観光地として開発されていて土産物屋街が大分賑わっていましたが、
浜辺に下りると空の青と浜辺の松とのコントラストが往時の桂浜の風情を教えてくれて
味のある一時を楽しめます。
そもそもが海無し県人であるだけに、海というだけでも皆心が沸き立つ様で、老若の別無く皆大いにはしゃいでいました。
初日は31番から35番をお参りし、高知市外の36番札所前の三陽荘に宿泊しました。
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平成21年10月朝参りお知らせ
2009年10月14日ーーー確かに、夢の中で母たちは
「復讐しにきてほしい」とはいいませんでした。それは
「はやくここから救い出して」という切実な叫びでした。
だから私は、行かないではいられなかったのです。
それは母たちと私の破ることのできない約束でした。
ーーー許すことは簡単なことではありません。
でも、憎むのではない方法を私は探したかったのです。
久郷ポンナレット『虹色の空(2009年出版)』より
1975年にカンボジアの首都プノンペンを制圧したポルポト派は、政権にあった4年間に150万人以上を殺したと言われます。
彼らは知識階級を憎み、官吏、教師、僧侶等を殺害しました。
都市住民を農村部に移動させて権利を剥奪し強制労働による農業生産に従事させました。
久郷ポンナレットさんは1964年、プノンペンで生まれました。
父親は国立図書館長、母親は教師という知識階級で、それ故にポルポト政権下で死線をさまよった人です。
父は早くに殺され、母親も農村部で殺されました。
奇跡的に助かった彼女は、姉を頼って1980年に来日しました。
日本人と結婚し、2001年にカンボジアでの体験を記した「色のない空」という本を出版しました。
過酷な集団労働、栄養失調で労働に耐えられなくなると姿を消す人達、その人達は農民たちによって殺されたのです。
多くはポルポトの共産主義に洗脳された少年たちでした。
優しいご主人との間に子供も授かり、幸せを得た彼女でしたが、ある晩、恐ろしい夢を見ます。
それはカンボジアで殺された家族が救いを求めている夢でした。
彼女は、自分が死に直面した地を再び訪れて、そこで命を落とした7000人のみ霊への供養を行いました。
供養には、その土地の人を招待し、布施をします。
かつて彼女たちを苦しめ、沢山の人を殺した人達です。
それでもポンナレットさんは喜捨をし、ともに冥福を祈りました。
冒頭の言葉は、この時の、ゆれ動く彼女の心を記したものです。仏教徒としての敬虔さに満ちていて、胸を打たれます。
平成21年10月14日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の観音様の朝参りは午前6時から行います。
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平成21年本山参拝(後)
2009年10月3日本山参拝2日目の朝は少し雲がかかっていましたが晴れてくれました。
朝6時に玄関に集合し、建物の外を回って本堂で朝のお勤めに参加します。
山の中腹にあるだけに清澄な朝の空気が新鮮でした。
本堂に入って朝のお勤めの始まりを待ちます。
殿行(法要の裏方役)の進退が大雄山独特のものだったので興味深く随喜できました。
奥の院階段前で撮影。
大雄山を守護する道了尊は御開山の了庵禅師が亡くなられて後に
「以後山中にあって大雄山を守り多くの人を利済する」と誓いを立てて山中に身を隠されたそうです。
奥の院までの階段。
道了尊、すなわち天狗さまをお祀りする場所だからか
お寺の山門で寺を守護する仁王様のように
道の両側に天狗さまの像がいかめしく立っています。
下から数えて300段超の階段を越えた山頂近くに奥の院がひっそりとしたたたずまいを見せていました。
大雄山を出て次は目黒のお不動さんに向かいました。
毎月28日は縁日の日ということで午前中から多くの人がお参りしており、外国の観光客も多いそうです。
普通の祭りでよく見るやきそばやかき氷等の屋台だけでなく
少し珍しい食材やお惣菜を売るデパ地下で見るような商品のお店も多く、
なるほど生活に密着した場でもあるのだな、と感心しました。
お昼は東京タワー真下の豆腐料理屋うかいでお食事を頂きました。
ここは豆腐中心の懐石を楽しめる場所としても有名で
来たことのある人は皆「あそこは凄い」と口をそろえていたこともあり楽しみにしていましたが、期待以上に素晴らしい料理と時間を皆さんとそろって楽しめました。
最後はちょっと腹ごなしも兼ねて東京タワーに昇りました。
一頃には東京タワーの解体、なんて話もあったそうですが
今でも多くの家族連れや観光客で大賑わいを見せています。
旅行参加者の殆どは過去東京タワー創立時分に来たことがあるそうで
それぞれ色々な感慨を聞かせてくれました。
東京タワーを出て夕方6時前に宇都宮祥雲寺に帰着。
途中若干のハプニングもありましたがほぼ予定通りに移動でき、皆さんにとって良い参拝が出来、楽しい旅行になったと思います。