ごあいさつ

宇都宮市の祥雲寺は歴史のある曹洞宗のお寺です。
栃木県庁のすぐ北にあり、自然林の中には西国三十三番の観音像が祀られています。
また、樹齢350年を超える枝垂れ桜の老樹は県天然記念物として有名です。
たくさんの方々に仏教を親しんでいただくことを願いとし、様々な信仰行事を催しています。

ようこそおまいり

お祭り 栃木県宇都宮市の祥雲寺(曹洞宗) | 桜や祭りが名物の寺

お祭り

  • 7月の行事案内

    2021年6月30日

    もうじき6月も終わり、夏の到来と同じく蓮の季節です

    例年は7月上旬には咲いていました。

    7月の諸行事 ご興味の方は電話にてお問い合わせ下さい。
    ■宇賀耶べんてん祭り
     7710時より、境内べんてん堂にて例祭を行います。祈祷札1,500円申し込みはお電話にて。
    ■雀宮善應院坐禅会(第四水曜日のみお休み)
     宇都宮南町136号「善應院」にて毎週水曜日(第四以外)夜6時から行っている坐禅会です。
      77日、14日、21
    ■月例坐禅会「指月の会」
     祥雲寺本堂にて毎月第四月曜朝6時半から行っている坐禅会です。
      7月26日
    ■テラヨガ(ヨガ教室)
     この春からの新企画。阿久津先生指導の下第一第三金曜日午前10時半から行っています。(今月は第三第五)
      716日、30
     新たに初心者クラスを設けました。第二第四金曜日午前10時半から行います。
      79
    ■陶芸教室「祥陶会」
     駐車場下の作陶場にて毎週火、木午後1時から行っています。
      平常開催
    ■石彫会「羅漢の会」
     毎週土曜午後、駐車場作事場にて石仏の彫刻を行っています。指導は松原「金野石材店」
      平常開催
    ■茶道教室
     月二回火曜日午後2時から、裏千家鈴木宗陽先生のご指導の下行っています。
      76日、20
    ■写経会
     写経会は5月から11月、第二日曜日午後2時から行っています。
      7月11日午後2時 本堂一階
    ■御詠歌
     祥雲寺住職、並びに栃木市豊栖院飯塚先生の指導の下月2回行っています。
      祥雲寺御詠歌会 71日(住職)   午前10時~正午 受付二階
              722日(飯塚先生) 午前10時~正午
      長岡地区御詠歌会712日(住職)  午後1時半~   長岡公民館
    ■フラワーアレンジメント教室
     南宇都宮駅前「フラワー花亀」亀井先生指導の下第四水曜日午後1時半より行っています。
      728日(水)
    ■折り紙教室
     カルチャースクール講師長谷川京子先生指導のもと第3水曜日午前10時よりより行っています。
      721日(水)
    ■クラフトペーパー教室
     同じくカルチャースクール講師長谷川先生指導のもと第2月曜日午前10時より行っています。
      712日(月)
    ■観音朝詣り
     境内33観音霊場を18日朝にお参りするミニ巡礼会です。開始時間は季節により前後します。
     今月は午前 6 時から
  • 令和3年7月 朝坐禅会「指月の会」案内

    2021年6月27日

    7月7日はべんてん祭り。去年は出来ませんでしたが今年は注意しながら開催準備を進めています。

    正思しょうしゆい  八正道
    5月に引き続き、八正道2番目の正思惟をテーマにします。
     先月の案内で八正道の説明を取り上げました。
    世にある迷い悩み苦しみを滅する事の出来る術がある、それには八つの正しい行い、道を歩みなさいというものです。
    私の大学時代の先生は、仏教とは業すなわち習慣の宗教と説かれていました。
    ある講義で、こんな交通標語で説明をされていました。
    「交通マナー、守るあなたが守られる」
    交通マナーを守ることによって、道路で起こりうる交通事故から身を守ることが出来る。
    守ろうとする意識や習慣が、様々な害からむしろ身を守ってくれるようになる。
    仏教における戒、盗まない殺さない犯さないなどの、しないことを誓うのもこれと同じです。
    悪いことをせず、良いことを心がけ、習慣としていく。
    繰り返し身に付き習慣となったそれが、自ずと善きを選び悪しきから遠ざかる自分にしてくれる。
    業、すなわち習慣の功徳こそ肝心と教わりました。
     正思惟、正しい考え方。
    正しいとは何であるのか。
    先月仏教における正しいとは「中道」、極端によらず適正で中正な行為を模索し歩むことと書きました。
    道の人、道を学ぶ者が実践してはならない二つの極端がある。
     その二つとは何か。
     一つはもろもろの欲望のままに快楽にふけり、下劣、野卑で、愚かな行いであり、高尚でなく、為にならないものである。
     他は自ら身体を苛むことに耽り、苦しみであり、高尚でなく、為にならないものである。
     人格を完成した人はこの両極端に近づかないで中道をはっきりさとった。
     それは見る眼を生じ、理解を生じ、心の安らぎ、すぐれた智慧、正しいさとり、涅槃に向かうものである。
                                            『相応部経典』
     欲に流されず、さりとて無欲にこだわるのではない、物事を片側から見るのでなく、中心から、偏りのないところから見ようとする姿勢です。
    偏りから、こだわりから離れた、つまり二辺から遠離した道を歩むことが中道です。
     ではこの中道を踏まえた上で、正思惟ただしい考え方とは何であるのか。
    我が曹洞宗の高祖道元禅師はこの古語を引用して正思惟を説かれました。
    「不思量をどのようにして思量する? 非思量」
    意訳するならば 考えるのでないことをどのように考えるか?答えは考えないことだ。
    頭で考えようとすると難解この上ない文ですが、坐禅をしてみるとそのまますとんと腑に落ちます。
    偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。
    欲から離れた、我を起点としない時間。
    これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。
    我を離れることの出来る閑かな時間を、御一緒にいかがですか?
                    祥雲寺副住職 安藤淳之
    当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。
    初めての方は15分前に来てください。
    次回は7月26日となります。
    また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています。
  • 令和三年6月 観音朝詣り

    2021年6月20日

    7月7日はべんてん祭り。去年は出来ませんでしたが今年は行えるよう準備を始めています。

    今年は感染の懸念が無いよう対処して行いたいです。ご興味の方はお電話ください。

     

     NHKの「チコちゃんに叱られる」で面白い話がありました。
    にぎり寿司一人前はだいたい10個(10)と決まっているそうで、どうしてそうなのかという話でした。
     戦後まだ統制経済だった時、寿司屋さんは営業が出来ませんでした。
    配給制で営業用の米がないのですからどうしょうもありません。
    その時、東京都内の老舗寿司屋さんたちが、お米を一合持ってきてくれば、10個のにぎり寿司にしてお出ししますという、法律で禁じられていない食品加工の方式を考え出したのだそうです。
     それでも、店を開けるのには知事の認可が必要で、魚も統制されていたので許可されなかったのですが、野菜を代わりに使うということでようやく開店できたとのことです。
    カッパ巻きがその産物だということでした。
     果たして客が来てくれるか不安だった開店の日、お米を持って次から次と人が来て嬉しかった思い出を、老舗の老体が語っていました。
     今も昔も寿司は贅沢品ですが、無理をしてでも美味しいものを食べたいという人間の本性は変わらないということでしょう。
    おかげで江戸前寿司の伝統が守られたという結論でした。
     この話を聞き、私は工夫という言葉を思い出しました。
    工夫は、手間暇をかけて物作りの思案をするというのが元々の意味です。
    たとえば、なにか物を作っているときに起きた問題を、培われた技術と発想を変えた考えで解決し、目的を達成したり、新しいものを作り出したりすることです。
     寿司屋さんには修業を積んだ技術があります。
    美味しいものを作って人の喜ぶ姿を見たいという意欲もあります。
    ただ肝心の食材がないという大困難を、お米を持ってきてもらうという発想の転換で解決したのです。
    商売が続けられるか?
    江戸前の伝統が自分たちで終わってしまわないか?。
    切羽詰まったからこそ生まれた解決法だったのでしょう。
     禅も工夫を大切にします。
    自己を見つめ、切羽詰まったときに、自己を捨てるという大転換がなされ、無心に坐禅に精進することを禅宗では工夫というのです。
     令和3年6月15
    宇都宮市東戸祭1-1  祥雲寺住職  安藤明之
    十八日の朝詣りは午前6時から行います。
  • 令和3年四月 観音朝詣り

    2021年4月14日

    宇都宮仏教会の花まつり法要を四月六日祥雲寺にて行いました。 例年なら大通りでパレードをし、文化センターで法要公演となるのですが、コロナ禍の為縮小して行っています。

    宇都宮保育園園児による礼賛の舞い。この日の為に一生懸命練習してお披露目しています。

     

     先代住職裕之は「曹洞土民」とよく言っていました。
    また弊師と同年代以上の宗門の老僧方もよく「曹洞土民じゃから」という言い方をしていました。
     いつの時代からか分かりませんが「臨済殿様、曹洞土民」という言葉が使われました。
    これは、同じ禅宗でも、臨済宗は将軍家や守護などの大大名が建立し、大伽藍とそれを維持する広い領地をもっていた寺院が多いのに対し、曹洞宗は百姓に支えられた田舎寺が大部分だったことからきたのだと思います。
    そしておそらくは曹洞宗を蔑む言葉だったのでしょう。土民も農民を蔑む言葉です。
     しかし私の聞いた限り、裕之や老僧方は卑下してこの言葉を使ったようには思えません。
    そうではなく、曹洞宗は民衆と共にあるのだという自負を感じました。
     「土」は、農耕社会では生産の基(もとい)です。
    生命の母であり、死ねば等しく帰って行くところとされました
     「百姓」も、近年では農民に対する差別語としてのみ使われるようになりました。
    かつて檀家の農家の親父さんたちが「俺は百姓だから」と言うとき、土に塗(まみ)れて耕し、命の基(もとい)を生産している者としての誇りを感じたものです。
    権力を握る側からは差別語であったかも知れないが、民衆には民衆の誇りがあったのです。
    それは労働する者の誇りです。
     情報化社会と言われて久しい現在では、汚れる仕事、肉体的にきつい仕事は嫌われるだけでなく価値もおかれなくなりました。
    コンピュータを駆使する仕事の方がはるかに高い労働生産性を持ち、従って給与もよい。
    いわゆる3Kに分類される仕事に進んで就こうとする人は少なくなり、外国人に頼る状況です。
    将来はロボットに任せるという話もあります。
    果たしてそれでよいのでしょうか。
      人間は本来、額に汗して働き技術や知識を身につけてゆく、そんな労働に喜びと幸せを感じる生き物です。
    肉体的な労働から解放されることが、実は人間の喜びを奪ってゆく。
    現代文明は人間の幸せと反対の方向に向かっている。
    そうでなければいいのですが。
     令和3年4月15日
                  宇都宮市東戸祭1-1  祥雲寺住職  安藤明之
    十八日の朝詣りは午前6時から行います。
  • 7月7日、べんてんまつり

    2018年7月8日

    7月7日、七夕の日に祥雲寺では境内のべんてんさまのお祭りを行っています。

    今年は雨天が心配されましたが、どうにか雨も上がってくれて盛大に行うことが出来ました。

    また、去年からピアニストの原先生を始めとして錚々たる音楽家方の協力で

    立派な音楽祭を合わせて行えています。

    本堂にて100人を超える人たちと楽しいひとときを過ごすことが出来ました。

    べんてん堂にてお祭りの準備中

    べんてん様と祈祷札

    参詣者と御詠歌講のお唱え

    お昼は皆で

    午前中から本堂ではセッションの準備

    演奏、合唱、踊り

    当日か翌日かで、取材に来ていたとちぎテレビで流すかもしれないとの事でした。

     

祥雲寺行事案内

祥雲寺で行ってる月例行事や年間行事、その他法要・祭りなどについてのご案内です。 行事カレンダーもご確認ください。