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4月5~8日 花祭り行事のご案内(写経坐禅ヨガ)
2025年3月22日4月8日はお釈迦様の誕生日です。
この日のお祝いに4月上旬を花祭り特別行事期間として様々催しを行います。
多くの方にご参加いただければ幸いです。
花祭り写経会:4月5日(土)午後1時半から
お釈迦様の誕生を甘茶をそそいでお祝いし、ご法話を聞いて大勢で写経を行います。
1時開場、1時半法話、2時写経 参加費用1500円(後程ご本山に納経し証書を発送します)
花祭り坐禅会:4月6日(日)10時から12時まで
9時半 開場(初めての人への坐禅指導は10時より)
10時半坐禅、11時法話、11時半坐禅
場所:祥雲寺 本堂二階
申込:電話(028-622-5719)もしくは祥雲寺庫裡にて
費用:参加料一千円(当日受付にてお支払いください)
花祭りヨガの集い:4月7日(月)10時半~11時半
🌸ほくして緩めてのびのびと 軽やかになる春ヨガ🌸
場所 :祥雲寺本堂二階 電話(090-5826-0061)インストラクター阿久津先生
費用 :参加料1,500円(寺ヨガとの共有割引有り)
定員 :40名
持ち物:ヨガマットorバスタオル、お水
4月8日 花祭り
日中客殿に花御堂をお祀りします。どうぞお参りください。
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令和七年三月 朝坐禅会「指月の会」案内(3月17日朝6時半より)
2025年3月16日諸行無常 「四法印」
月の頭から大分暖かくなって、でも翌週には雪マークが着くくらいに気温が下がって、三寒四温といっても大分極端な気温変化が続いています。
しかしこの寒さからの暖かさ、私は実はちょっと前に熱い地域に行っていたので少し身に覚えが残っているのです。
私は先月下旬、タイに行ってきました。
栃木の曹洞宗青年会、お寺の若手の集まりで、会長職に就いていた人のお疲れ様旅行に久しぶりに海外に出ようと盛り上がり、二泊三日の弾丸スケジュールでバンコク研修旅行をしてきました。
タイは東南アジアの中でも指折りの仏教国で、眺めた観光ガイドでは国民の九割以上が仏教徒の国だそうです。
バンコクでも礼拝のための仏様をお祀りしたお堂がそこかしこにあって、道行く車のフロントには小さな仏様が備えられていたりもしました。
日本と違って石造りの寺院や仏像が多いのは、産出され加工しやすい以上に地震が少ないからなのでしょう。
いつもお墓を新しくする石塔開眼の際にお話ししているのですが、私は石造りの墓や仏像というのは、何年経っても変わることのない石の不変性、長い時を超える永遠性に願いや祈りを託したいという想いから産まれるものだと思っています。
お墓であるなら石の変わり様の無さに故人の存在やご縁を託すことが出来る様に、仏像であるなら尊い方の姿や教えの素晴らしさ有り難さが表され、遠い未来までも変わりなく伝わるように、といった想いから文化や人種の違いなく世界共通に人々が行っていることなのでしょう。
石のような鉱物に対して私達は、あっという間に変化していく有機物の、肉の体に生きています。
私たちは皆、何某かの縁によって結ばれ連なり、生まれ育って、やがて老い枯れ朽ちていきます。
全ては変化していく、留まることはない、ならばそんな変わりゆき捉えることの出来ないものに心縛られ囚われる必要なんて何処にも無い、無いんだ。
仏教ではこれを諸行無常と呼んでいます。
私には、この諸行無常を違う視点で教えてくれた、ある小説を今もはっきりと憶えています。
学生時代の頃に読んだ作家村上龍の小説の中で、ウィルスの猛威に無力を感じる人に老生物学者が静かに語ります。
「我々の体を構成する分子は脆くて壊れやすい繋がり方で繋がっている。
だから化学反応が可能で、全体として信じられないような生体のシステムが生まれた。
強い結合で結ばれれば鉱物になってしまう、鉱物は何億年経っても殆ど変化がない。
人間は柔らかい生き物だ、その柔らかさ、脆さ、危うさが人間を人間たらしめている。」
私たちは変化するからこそ何事かを成すことが出来る。
変わるものと変わらないものの違い。
変わらないものには成し得ないことを私たちは成せる、無常という道理はこんな受け取り方も出来るのかと、多面的な捉え方や受け取り方の大切さを今でも考えさせてくれます。
今祥雲寺ではまさに石造りの仏様方である五百羅漢が彫り上げられ、今年五百体完成が目されているところです。
良い形で未来へ伝えてゆけるように年末の完成開眼法要に向けて準備をしていきたいと思います。
祥雲寺 安藤淳之
偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。
欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。
我を離れることの出来る閑かな時間、坐禅の時間を御一緒にいかがですか?
当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。初めての方は15分前に来てください。来月の開催は4月28日となります。また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています -
三月 観音朝詣りのお知らせ
2025年3月12日忖度(そんたく)という言葉をご存じの方も多いと思います。
もともと中国の古典「詩経」にある言葉で、人は心を持っているのだからそれを推しはかるという意味です。
誰でも心を持っているという平等感と、それを尊重するという礼節を兼ね備えたよい言葉だと思います。
ところが現在では、権力者、エライ人の意向を推しはかって、いちいち指示を受けなくても上に立つ者の思い通りにものごとを運ぶという意味になっていて、おべっか、追従を表わす卑しい言葉として扱われています。
言葉は人の心から発せられるものです。
よい心から生まれた言葉は人の心を動かします。
そういう言葉はたくさんあり人生の道しるべともなります。
しかしそこに自分の損得を図ったよこしまな心が入ると、よい言葉ほど嫌らしいもの、卑しいものになってしまうのです。
それだけでなく、場合によっては世の中の害になることさえあります。
滅私奉公という言葉があります。
おのれの欲得を離れて世のため人のために生きるという意味です。
私は葬儀に当たって故人の生前の姿を周りの人たちから聞くようにしているのですが、まさにこの言葉が当てはまる生き方をした人が少なからずいます。
社会的地位や男女にかかわりません。
本当に立派だと思える人は、庶民の中にたくさんいるのです。
しかし滅私奉公という言葉が目的化されるとどうなるか。
戦争中は国民を戦争に駆り立てるスローガンとなりました。
この言葉は、戦前、戦後を通じて国民はこうあるべき、公のため、大きな目的のためにと称して、個を犠牲にするための理由づけに使われはしなかったでしょうか。
誰もが反対できないような内容を表わす素晴らしい言葉は、それだからこそ大きな害悪をもたらすこともあるのです。
素晴らしい言葉は、自らへの戒め、誓いとされたときに、人生の指針となります。
令和7年3月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺東堂 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時から行います。
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三月の諸行事
2025年3月5日3月の諸行事 ご興味のある方はお問い合わせ下さい。
■西国三十三番観音霊場巡礼第二回(3月24日~26日)
西国巡礼第二回。今回は第1番の那智寺から5番、24番から26番を巡ります。
■春彼岸会 3月17日~23日(3月20日中日、建牌式)
■山本観音堂御開帳(3月17日11時~13時)
祥雲寺北の山本地区で、古くから信仰されている秘仏である観音様のご開帳。
■雀宮善應院坐禅会(第四水曜日のみお休み)
宇都宮南町1番36号「善應院」にて毎週水曜日(第四以外)夜6時から行っている坐禅会です。
3月5日、12日、19日
■月例坐禅会「指月の会」(3月17日)
祥雲寺本堂にて毎月第四月曜朝6時半から行っている坐禅会です。
今月は西国巡礼第二回出発日とかぶるため、第三月曜17日朝に行います。
■テラヨガ(ヨガ教室)
阿久津先生指導の下第一第三金曜日10時半から。初心者クラスは第二第四金曜日10時半から
■陶芸教室「祥陶会」
駐車場下の作陶場にて毎週火、木午後1時から行っています。
■石彫会「羅漢の会」
毎週土曜午後、駐車場作事場にて石仏の彫刻を行っています。指導は松原「金野石材店」
屋外なので冬場は休止もある為お問い合わせ下さい。
■茶道教室
月二回火曜日午後1時半から、裏千家平山尚子先生のご指導の下行っています。
11日、18日 おけいこ日
■写経会
写経会は5月から11月、第二日曜日午後2時から行っています。
昨年12月8日納経会を納めの会とし、次は本年4月花祭り写経会まで休止となります。
■御詠歌
3月6日 10時~12時 飯塚先生指導御詠歌
3月13日10時~12時 東堂指導御詠歌
3月18日13時半~15時半 長岡公民館御詠歌
■フラワーアレンジメント教室
南宇都宮駅前「フラワー花亀」亀井先生指導の下第四水曜日午後1時半より行っています。
お休み
■折り紙教室
カルチャースクール講師長谷川京子先生指導のもと第3水曜日午前10時よりより行っています。
12日 しだれ桜風紙飾り 組み合わせ
■クラフトペーパー教室
同じくカルチャースクール講師長谷川先生指導のもと第2月曜日午前10時より行っています。
10日
■観音朝詣り
境内33観音霊場を18日朝にお参りするミニ巡礼会です。開始時間は季節により前後します。
今月は午前 6 時 半 から 祥雲寺℡(028)622-5719
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令和7年2月 朝坐禅会「指月の会」案内(2月24日朝6時半より)
2025年2月23日おんみら知るべし。求むるところ少なきものは心安らぎて
うれいおそるることなく、事にふれて足らざることなきを。
もし悩み苦しみをのがれんには、足るを知るにしくはなく、
さとりの安楽を求めんには、ひとり静かに慮(おも)うべし。
『宇都宮仏教会伝道部訳 遺教経・小欲知足』
二月十五日はお釈迦様の命日であり、涅槃会と呼ばれています。
仏伝には、お釈迦様は御年80歳の旅の中、クシナガラという地の2本の沙羅の木、沙羅双樹の元に身を横たえられ、満月の夜に沢山のお弟子達に囲まれて涅槃に入られたと書かれています。
この場面を描いた仏画を涅槃図といって、多くのお寺が二月十五日に掲げてお勤めを行います。
またこの亡くなられる時、お釈迦様はご自身の教えが弟子達に間違いなく伝えられ、自分の死後も惑うことがないようにと、これまでご自身の説かれてきた教えを纏めて説いて示されました。
この時説かれた教えは遺言の教えのお経、遺教経という名前で残されて、お葬式で読まれたり涅槃会の際に読誦されています。
ただこのお経、ゆっくり読むと小一時間ほどもかかる少し長い経典になります。
この遺教経を一般の方にも手に取りやすくしようと、私の祖父にあたる安藤裕之和尚と、宇都宮駅すぐ南の林松寺先々代阿部住職が共同で略訳を行い、宇都宮仏教会伝道部訳・略訳遺教経として同仏教会や市内寺院で用いられています。
略訳遺教経は完訳版から要点を抜き出して作られたお経です。
教えを道しるべとする持戒、心を定める禅定、精進や智慧等を説いていますが、上記は仏教の言葉として一際有名な「小欲知足」を主に説いている箇所です。
意外に思われる方も居るでしょうが、仏教では無欲、欲を無くせとは説いてはいません。
元来欲は生存に必要なものを満たすために求めるはたらきであり、肉体的な欲、心的な欲がありますが、ただそれだけでは特に悪いものではありません。
しかしこの欲が、求めたものに過剰に愛着し妄執したら、それが煩いを生み出すから愛着するべきではない、と説いているのです。
欲が過剰になれば自身を束縛する煩い即ち煩悩となる、だからこその小欲知足、欲少なく足ることを知る、ということが大切になってくるのです。
仏教とは欲望を自制し、自身でコントロールできるようにしていく道を説いている教えなのです。
欲が少なく出来る様にしていく為に必要となるのが足るを知る、事です。
完訳版の遺教経にはこのようにも説かれています。
足ることを知っている者は地べたに寝るような生活であっても心穏やかにある。しかし足ることを知らない者は天の宮殿のような所に住んでいても満足することはできない。足ることを知らない者はどれだけ裕福であっても心は貧しい。足るを知るのに必要なのは、見定めることです。
それが自分に必要なのか、過ぎたものでないのか、実は足りている、十分持っているのではないのか、身を落ち着け静かな心持ちでよく見定めることが必要です。
小欲知足で何が成されるのか、さとりの安楽と表現されているように、欲や自意識といった重く煩わしい煩悩から離れ解放されて、囚われがなくなります。
坐禅における三昧の境地、私はそれを仏心と呼んでいます。
祥雲寺 安藤淳之
偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。
欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。
我を離れることの出来る閑かな時間、坐禅の時間を御一緒にいかがですか?
当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。初めての方は15分前に来てください。来月の開催は第二回西国巡礼と第四月曜日が重なってしまう為1週間繰り上がり3月17日となります。また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています