ごあいさつ

宇都宮市の祥雲寺は歴史のある曹洞宗のお寺です。
栃木県庁のすぐ北にあり、自然林の中には西国三十三番の観音像が祀られています。
また、樹齢350年を超える枝垂れ桜の老樹は県天然記念物として有名です。
たくさんの方々に仏教を親しんでいただくことを願いとし、様々な信仰行事を催しています。

ようこそおまいり

宇都宮 座禅 栃木県宇都宮市の祥雲寺(曹洞宗) | 桜や祭りが名物の寺

宇都宮 座禅

  • 令和4年11月 朝坐禅会「指月の会」案内(11月28日朝6時半より)

    2022年11月25日

    ミャンマーの仏様。海外の仏像は金色電飾できらびやかです。

     

    拈華微笑

     

     先日NHKでやっているチコちゃんに叱られる、という番組で国宝の定義とは?の問いかけがありました。

    チコちゃんの回答は「明治政府の暴走を止めた制度」でした。

    曰く、明治政府は天皇を中心とする国家神道を目指し、

    その為には一部混在していた仏教が邪魔になり、分ける目的で神仏分離令を出した。

    それが加熱して寺が壊され仏像が捨てられる廃仏毀釈となった。

    当時日本に赴任していたフェノロサら外国人達を皮切りに有志が美術品保護運動を起こし、保存法として国宝が誕生した、という流れだそうです。

    今日様々な仏教美術が国宝として保護され拝観できるのは、こうした制度による保護あってこそというお話でした。

     

     美術品というのは其れを見ることで感動を呼び起こす、何らかの情動を起こすものだそうです。

    では仏教美術とは何を引き起こすものなのでしょうか。

    私はそれは、安心(あんじん)や平常心と呼ばれる、心の有り様落ち着き平穏を見て取りまた受け取れるものだと思っています。

    お釈迦様は説法の際、花を拈じて微笑みと共に一番弟子に教えを伝えたと言います。

    爾来禅宗では以心伝心、心を以て心に伝えようと相対する、面授を尊んできたのです。

     

     少し話が変わりますが、昨今は技術の革新によって、機械測定によって人の感情の機微、好悪の程が測定できるそうです。

    その研究によると、顔の筋肉の微細な動きや全身のわずかな挙措で人はお互いに言葉を発さずとも多くの情報をやり取りしているとのことです。

    言葉を介さずとも、伝わるものは確かにある、という話です。

     

     それならば、言葉を介さずとも注釈が無かろうとも動きが無かろうとも、物言わぬ仏像から伝わるものは確かにあるのでしょう。

    そこに表されるもの、表そうとしてきたもの、其れを旨く伝えられるよう精進していきたいです。

    それこそが、心を以て心に伝えようとしてきた、ほとけごころというべきものだと思っています。

     

                              祥雲寺副住職 安藤淳之

    偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。

    欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。

    我を離れることの出来る閑かな時間、坐禅の時間を御一緒にいかがですか?

    当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。
    初めての方は15分前に来てください。
    12月は26日となります。
    また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています

     

  • 令和4年11月 観音朝詣りのお知らせ

    2022年11月23日

     

    ひとの生を うくるはかたく 
    やがて死すべきものの いま生命あるは ありがたし
                 法句経182 友松円諦 訳

     

     感謝の言葉「ありがとう」の語源になっている経文です。
    お釈迦様は、この世界で人間に生まれること、生まれ出でて命を保っていることがどんなに有ること難い縁に依っているものなのかを説かれています。

    別のお経では、人間に生まれることがありえないような確率であることを示す盲亀浮木というたとえ話もされています。

     ところで「感謝」という言葉について、何か私たちにためになること、利益になることをしてくれたことへのお返しの感情を表わすものと思うのが常であると思います。

    恩に報いる「報恩」という言葉がそれを表わしています。その考えは人間にとってとても大切なことなのですが、それだけではもらったものへのお返しにすぎないのではないのかという思いもぬぐいきれません。
     生きていることを当たり前と思うなかからは権利の意識は生まれても、この経文に説かれる感謝の感情は生まれません。

     

     お釈迦様は、人間が幸せに生きる道として慈悲喜捨の四無量心を説かれました。

    慈はいつくしみ、悲はおもいやりです。三番目の「喜」は、人の喜びを自分の喜びとできるような生き方をしなさいという意味です。

    そして四番目は分け隔てない心です。

     私たちはこの世界の天地万物と共に生きています。

    生きることには自分も他人も分け隔てはありません。

    そこにあるのは生きることそのものの喜びです。自分も他人も分け隔てることのない喜びを言葉で表わすとすればそれこそが「感謝」であると私は思います。

    意識できる恩を受けたということがなくても、生きている中で自然にわいてくる喜び、それをありがたい感じることが感謝の本質です。

     令和4年11月15日
    宇都宮市東戸祭1-1  祥雲寺住職 安藤明之
    十八日の朝詣りは午前6時半から行います。

  • 11月の諸行事 ご興味の方はお問い合わせ下さい

    2022年11月2日

    ■雀宮善應院坐禅会(第四水曜日のみお休み)

     宇都宮南町1番36号「善應院」にて毎週水曜日(第四以外)夜6時から行っている坐禅会です。

      11月2日、9日、16日、30日

    ■月例坐禅会「指月の会」

     祥雲寺本堂にて毎月第四月曜朝6時半から行っている坐禅会です。

      11月28日

    ■テラヨガ(ヨガ教室)

     阿久津先生指導の下第一第三金曜日10時半から。初心者クラスは第二第四金曜日10時半から

      11月4日、18日。初心者クラスは11日、25日

    ■陶芸教室「祥陶会」

     駐車場下の作陶場にて毎週火、木午後1時から行っています。

    ■石彫会「羅漢の会」

     毎週土曜午後、駐車場作事場にて石仏の彫刻を行っています。指導は松原「金野石材店」

    ■茶道教室

     月二回火曜日午後2時から、裏千家鈴木宗陽先生のご指導の下行っています。

      11月8日、22日

    ■写経会

     写経会は5月から11月、第二日曜日午後2時から行っています。

      11月13日

    ■御詠歌

     祥雲寺住職、並びに栃木市豊栖院飯塚先生の指導の下月2回行っています。

      11月1日  10時~12時 住職指導御詠歌

      11月15日 10時~12時 飯塚先生指導御詠歌

      11月24日 1時半~3時半 住職指導御詠歌(長岡公民館)

    ■フラワーアレンジメント教室

     南宇都宮駅前「フラワー花亀」亀井先生指導の下第四水曜日午後1時半より行っています。

      11月30日

    ■折り紙教室

     カルチャースクール講師長谷川京子先生指導のもと第3水曜日午前10時よりより行っています。

      11月16日

    ■クラフトペーパー教室

     同じくカルチャースクール講師長谷川先生指導のもと第2月曜日午前10時より行っています。

      11月14日

    ■観音朝詣り

     境内33観音霊場を18日朝にお参りするミニ巡礼会です。開始時間は季節により前後します。

     今月は午前 6 時 半  から

  • 令和4年10月 朝坐禅会「指月の会」案内(24日朝6時半より)

    2022年10月22日

    石彫会「羅漢の会」有志による撮影

    東武宇都宮百貨店で開催された仏師松本明慶展に行ってきました。

    展示される仏像も素晴らしいお姿ばかりでしたが、思った以上に多くの人が来られていたことに驚きました。

    年配の人が中心ではありましたが、今の時代もなお多くの人に興味関心、響き求められるものがあるのだと感じられて良かったです。

    祀られるお寺や展示される博物館と違い、見た人の直の感想が大声で交わされているのも新鮮でした。

    松本先生の仏様は清住町桂林寺の観音堂にお祀りされているので、市内でもお参りし拝観することができます。

     

     私は仏像に関して特別勉強した事は無く、今でも諸天鬼神諸仏諸菩薩の違いをわかっていません。

    理解できるようになりたくて、東京国立博物館でやっていた奈良聖林寺十一面観音像拝観の時には部屋の後ろ側で1時間ほどもお姿を眺めていたこともありました。

    今回たくさんの仏像を見ていて、現在放映されている大河ドラマ『鎌倉殿の十三人』のあるシーンを思い出しました。

    鎌倉殿は源平合戦から北条執権政治の成立までの時代、北条義時を主人公としたドラマです。

    源頼朝に権謀術数を学び、頼朝亡き後に権力闘争を行う義時に

    鎌倉仏師の運慶が一言

    「おまえ、悪い顔になったな」

    「だが、まだ救いはある。おまえの顔は、悩んでいる顔だ。己の生き方に、迷いがある。その迷いが救いなのさ。悪い顔だが、いい顔だ。ああ…いつか、おまえのために仏を彫ってやりたいな…。うん、いい仏ができそうだ」

     

     何度かここでも紹介しましたが、悪いことをせず良いことを行う、自らの心を清めていく、これが仏教であると七仏通誡偈で説かれています。

    悪いことをしない、良いことを行う。

    そうした方がいいということはきっと誰もがわかっていると思います。

    わかっているけれども、やれないやめられないやることができない。

    人間ってそういう者だと思います、私だってそうです。

    そしてやめるにやめられない、でもどうにかしたいと願うのも人間であるはずです。

    そうした為し得ない願いや祈り、それを届け受け止める救いとして仏像は彫られてきたのでしょう

    昔の仏像に素晴らしい作品が多いのは、そうした切実な想いが鑿に込められていたからなのかなぁ、と鎌倉殿を見ていて思いました。

     

                                      祥雲寺副住職 安藤淳之

    偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。

    欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。

    我を離れることの出来る閑かな時間、坐禅の時間を御一緒にいかがですか?

    当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。
    初めての方は15分前に来てください。
    次回は11月28日となります。
    また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています
  • 令和4年10月 観音朝詣りのお知らせ

    2022年10月18日

    ミャンマーの寺院空間

     

     ずいぶん昔のことになります。

    当時の鳩山由紀夫首相が沖縄の基地移転問題についての公約をひるがえすに当たって「あれは方便だった」と言って国民の怒りを買いました。

    「嘘も方便」と言う言葉がよく使われるので、方便とは嘘のことというのが世間的な常識になっているからです。

    そのことに思い至らない鳩山氏はずいぶんと世間離れした人だったと思います。

     

     ただ、実は「方便」という言葉は、仏教用語であり、大切な意味を持ちます。

    「善巧方便(ぜんぎょうほうべん)」とも言い、よき手立てと訳されます。

    すなわち仏様が人間の苦しみ悲しみを癒やし、悟りの世界へと導くよき手立てを意味するのです。

     

     お釈迦様は真理を悟られた方です。

    真理は、人間が考える時間とか空間とかを超越したものです。

    人間は眼耳鼻舌身の五官でものをとらえ、それを統合する意識で理解し、考え、想像してこの世界を組み立てています。

    しかしそこには限界があって、本当の世界のあり方は、悟った人すなわち仏陀以外にはとらえきれないのです。

     

     目に見えず、とらえきれず、思慮を絶していることを仏教では不思議と言うのです。

    「ふしぎ」は仏教の言葉です。この世は不思議に満ちています。

     

     不思議なこの世界に生きている私たちは、迷いから逃れることは難しいし、そのあり方も千差万別です。それに応じたほとけさまの柔軟な手立てを表わすのが方便という言葉です。

     

     「無縁」も世間一般では本来の仏教用語と違った意味に使われている言葉です。「縁がない」と読めるので、関わりのないこと、自分にとってどうでもよいことという意味で使われています。

    しかし万物が縁によって生成することを説く仏教では、一切の差別を離れとらわれのない境地から縁をとらえ、無限の縁として私たちに関わっていることをいうのです。

     

     分け隔てない慈しみ、思いやりの心から、全てのものに対して感謝の思いを捧げるのが無縁供養であり、12月1日の祥雲寺の恒例行事となっています。

     令和4年10月15日

    宇都宮市東戸祭1-1  祥雲寺住職  安藤明之

    十八日の朝詣りは午前6時から行います。

祥雲寺行事案内

祥雲寺で行ってる月例行事や年間行事、その他法要・祭りなどについてのご案内です。 行事カレンダーもご確認ください。