ごあいさつ

宇都宮市の祥雲寺は歴史のある曹洞宗のお寺です。
栃木県庁のすぐ北にあり、自然林の中には西国三十三番の観音像が祀られています。
また、樹齢350年を超える枝垂れ桜の老樹は県天然記念物として有名です。
たくさんの方々に仏教を親しんでいただくことを願いとし、様々な信仰行事を催しています。

ようこそおまいり

曹洞宗 栃木県宇都宮市の祥雲寺(曹洞宗) | 桜や祭りが名物の寺

曹洞宗

  • 令和四年6月 観音朝詣りのお知らせ

    2022年6月22日

     

    愛語能く廻天の力あることを学すべきなり

    道元禅師

     ご法事で読む曹洞宗聖典「修証義」第22節の最後にある道元禅師の言葉です。

     22節を現代語訳します。

     愛語というのは世の人々に対して慈しみの心を持って、愛情のこもった言葉をかけていくことである。母親が赤子に対して抱くような思いで言葉をかけていくのである。素晴らしい点があれば心から褒め称えてやり、欠点があれば蔑むことなく思いやりの言葉をかけてあげなさい。生きていく中でどうしても生まれてしまう憎しみや対立の感情も愛情のこもった言葉によって解くことが出来る。直接に聞けば顔は自然にほころび心は楽しくなるであろうし、間接であっても人の心に、魂に、響いていくものである。愛情ある言葉は天をもめぐらす力があるのだということをよくよく体得しなさい。

     もともと経典にある、菩薩が衆生を救うための四つの知恵の二番目にあげられているものですが、道元禅師はたいへん分かりやすい言葉で述べられています。

     この文章が昔、中学生の国語の教科書に載っていました。昭和30年代のことです。中学3年だった私は、普段に読んでいる修証義の経文が教科書に載っているのに驚きました。もちろん鎌倉時代の、それも仏教用語が入ったものですから現代語に訳され、丁寧な説明がされたものだったのですが。

     時代背景を考えてみれば、当時中学を卒業する生徒の3分の1は就職しました。中学3年生は社会への入り口に立っていました。コミュニケーションの手段である言葉は、社会生活に欠かせないものです。教科書編集者の考えを忖度(そんたく)すれば、言葉がどんなに大切で力があるものなのかを知ってもらいたいという思いがあり、さらには、そのことについて深い思考をめぐらせたすぐれた先人がいることも知ってもらおうという思いもあったと思います。

    令和4年6月15日

    宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之

    十八日の朝詣りは午前6時から行います。

  • 令和4年5月 朝坐禅会「指月の会」案内(5月23日開催)

    2022年5月22日

    無常を観ずる時、吾我(自我)の心生ぜず、名利(名誉や富)の念起こらず。

    『学道用心集』

     

    皆さんはゴールデンウィークを如何お過ごしでしたでしょうか。

    各々様々予定を立てていたようで、坐禅会に参加されているある女性は、兵庫の安泰寺という禅寺に坐禅に行くと言われていました。

     

    この安泰寺、ネルケ無方というドイツ出身のお坊さんが住職をしていたお寺で、私はネルケ師の講演を二回お聞きしたことがあります。

    曰く

    高校生のころ学校の坐禅サークルで坐禅を経験して、初めて自分の頭の下に体があることが分かった。

    仏教を学びたいと思って大学の時に宇都宮に寄宿して修行できる寺を探し、兵庫の安泰寺に行き着いた。

    いざ修行に入ろうと言うときには住職から「おまえが安泰寺を作るのだ」と激励された。

    しかし入ってみると掃除炊事洗濯と、修行とは思えないことばかりやらされる。

    こんなはずは無かった、自分は修行をしたくて来たのだと住職に詰め寄ると

    「おまえのことなんか知るか」と言われてしまった。

    気落ちしたが、後日これこそが師の指導、叱咤激励であるとわかった。

    仏道の修行とは何であるか?

    それは俺が私が、という「我」の心を小さく少なくしていくことだ。

    修行の道場は大勢で運営されるものだ。

    大人数で生活するのだから役割分担がとても大切になる。

    その中で我を張っていては分担は成り立たない。

    だからこそ、法要や坐禅と言った修行らしい修行を支える掃除炊事洗濯といったこともまた大切な修行となる。

    吾我の心、我を張ることを捨てるまたとない修行の機会となるのだ。

     

    ネルケ師は6月に足利にて仏教会の講演会でお話をされるそうです。

    私もまたお聞きしにうかがえればと思っています。

    偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。

    欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。

    我を離れることの出来る閑かな時間、坐禅の時間を御一緒にいかがですか?

     

    祥雲寺副住職 安藤淳之
    当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。
    初めての方は15分前に来てください。
    次回は6月27日となります。
    また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています
  • 令和4年五月 観音朝詣り

    2022年5月22日

     5月2日の朝の天気は素晴らしいものでした。

    前日は冬のような寒い日で冷たい雨が降りました。

    朝にはすっかり上がって潤いを含んだ空気のなかに青空が広がりました。

     

     しずくを載せた木々の葉が朝日に照らされてキラキラと光ります。

    萌え出でたばかりの若葉もあれば、既に緑を濃くした葉もあって景色に深みが増していました。

     ウグイスが鳴き、地にはコジュケイやヒヨドリの群れも見えました。

     

     昭和62年夏、先代住職の本葬を済ませた後、新住職としての祥雲寺の運営方針を総代会に提出しました。

    そこに、祥雲寺は宇都宮市の中心部にありながら広い山林を持っているのでこれを大切にし、自然と一体となった境内を作っていきたいと記しました。豊かな自然環境は祥雲寺の財産であり、これを大切にして、檀家のみならず市民にも開いてゆくのは使命であると思ったのです。

     これについて、当時総代会の副会長だった黒川秀次さんが、「新住職はたいへん良いことを考えている。ぜひ皆さんに知らせておきたい」と言って、お施餓鬼の日の護持会総会で集まられた檀家さんに紹介してくれました。

     

     今日、5月10日の朝も美しい朝です。

    木々の緑はいよいよ濃くなりました。わずかな時にも天地自然の変化はやむことがありません。

    そして命の息吹を感じさせてくれます。

     こんなに素晴らしい祥雲寺を味わっていただくには、朝詣りが一番です。たくさんの人に参加していただきたいと思っています。

    令和4年5月15日

    宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之

    十八日の朝詣りは午前6時から行います。

  • 5月の諸行事

    2022年5月3日

    5月の諸行事 ご興味の方はお問い合わせ下さい。

    五月の本堂

    ■本山参拝旅行

     毎年行ってきた曹洞宗大本山への参拝旅行。本年は能登の總持寺祖院へ。5月16日から18日。

    ■雀宮善應院坐禅会(第四水曜日のみお休み)

     宇都宮南町1番36号「善應院」にて毎週水曜日(第四以外)夜6時から行っている坐禅会です。

     5月4日、11日、18日

    ■月例坐禅会「指月の会」

     祥雲寺本堂にて毎月第四月曜朝6時半から行っている坐禅会です。

    5月23日

    ■テラヨガ(ヨガ教室)

     阿久津先生指導の下第一第三金曜日10時半から。初心者クラスは第二第四金曜日10時半から

    5月6日、20日 初心者クラス5月13日、27日

    ■陶芸教室「祥陶会」

     駐車場下の作陶場にて毎週火、木午後1時から行っています。

    平常開催

    ■石彫会「羅漢の会」

     毎週土曜午後、駐車場作事場にて石仏の彫刻を行っています。指導は松原「金野石材店」

    平常開催

    ■茶道教室

     月二回火曜日午後2時から、裏千家鈴木宗陽先生のご指導の下行っています。

    5月10日、24日

    ■写経会

     写経会は5月から11月、第二日曜日午後2時から行っています。

    5月8日通常開催

    ■御詠歌

     祥雲寺住職、並びに栃木市豊栖院飯塚先生の指導の下月2回行っています。

    5月10日 飯塚先生ご指導講習

    5月13日 住職による講習

    ■フラワーアレンジメント教室

     南宇都宮駅前「フラワー花亀」亀井先生指導の下第四水曜日午後1時半より行っています。

    5月25日

    ■折り紙教室

     カルチャースクール講師長谷川京子先生指導のもと第3水曜日午前10時よりより行っています。

    5月18日

    ■クラフトペーパー教室

     同じくカルチャースクール講師長谷川先生指導のもと第2月曜日午前10時より行っています。

    5月9日

    ■観音朝詣り

     境内33観音霊場を18日朝にお参りするミニ巡礼会です。開始時間は季節により前後します。

     今月は午前 6 時 から

  • 令和4年4月 朝坐禅会「指月の会」案内(4月25日朝6時半より)

    2022年4月23日

    花祭り坐禅会

    花御堂(誕生仏を祀り甘茶を潅ぐ花飾りのお堂)を中央に皆さん坐禅を修行しました

    合間に黒羽大雄寺様の法話をお願いしました。

    この座禅会を始めて七周年となりました。

    大難の時であるからこそ、足下をしっかりと見定める時でもあろうかと思います。

    初心を思い返し、最初の文章を今年も再掲します。

     

    お前の苦しみを、じっと見つめてみよ。

    誰々にののしられた、誰々により損害を受けた、

    誰々に手ひどく負かされた、誰々に盗まれた、

    という思いを抱いてはいないか。

    その思いがすでに怨みであると知りなさい。

    怨みを抱いた人生は重いものだ、安らぎというものがなくなってしまう。

    いっさいの怨みを棄てよ。

    今まで抱いてきたあれこれの思いをさっぱりと棄てよ。

    棄てれば、必ず軽くなる。

    棄てて、かろやかに生きなさい。

    ― 『スッタニパータ』第一章 ―

     

     

    静かな所で何をするでもなく落ち着いて瞑想をすることで心身の調子が整う、という事は昔から広く知られ、行われてきました。

    近年では科学的分析により血圧が下がる、海馬の機能が促進され脳内の情報整理がされる、精神安定に重要な働きをするセロトニンの生成が促される、等の効果が確認されているそうです。

    しかし坐禅は、これらの効果を内包しながらも、何も求めないで只ひたすらに坐る事こそ最上のものである、と伝えられてきました。

     

    私はそれは、「軽くなる」からだと思います。

     

    人間生きていれば百人百様、様々な想いやしがらみを背負っているはずです。

    古人は人生を「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」と形容したそうですが、時には荷を下ろし、わが身を見つめ直す時間こそ忙しい現代人に必要な物だと思います。

     

    一人で行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。

     

    この朝座禅会はそのような場となる様発起しました。

    皆さんと行うこの坐禅の一時が、「軽やかな」時間となることを願います。

     

    祥雲寺副住職 安藤淳之

    当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。

    初めての方は15分前に来てください。

    次回は5月23日となります。

    また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています。

祥雲寺行事案内

祥雲寺で行ってる月例行事や年間行事、その他法要・祭りなどについてのご案内です。 行事カレンダーもご確認ください。