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令和3年12月 朝坐禅会「指月の会」案内
2021年12月26日正定 八正道
5月に引き続き、八正道8番目の正念をテーマにします。
5月の案内で八正道の説明を取り上げました。
世に生きる迷い悩み苦しみを滅する事の出来る術がある、それには八つの正しい行い、道を歩みなさいというものです。
私の大学時代の先生は、仏教とは業すなわち習慣の宗教と説かれていました。
ある講義で、こんな交通標語で説明をされていました。
「交通マナー、守るあなたが守られる」
交通マナーを守ることによって、道路で起こりうる交通事故から身を遠ざけてくれる。
守ろうとする意識や習慣が、様々な害からむしろ身を守ってくれるようになる。
仏教における戒、盗まない殺さない犯さないなどの、しないことを誓うのもこれと同じです。
悪いことをせず、良いことを心がけ、習慣としていく。
繰り返し身に付き習慣となったそれが、自ずと善きを選び悪しきから遠ざかる自分にしてくれる。
業、すなわち習慣の功徳こそ肝心と教わりました。
今回の正定とは、我執を離れて心が平静になることと訳されます。
この実現のためには心を静めること(止)が勧められ、これは真理を明らかに観ること(観)です。
坐禅はこの止と観を行う修行と言われます。
妄念を静めありのままに観ることが出来る自分へと整える。
例えば波立つ水面では映る対象も乱れたものですが、
静かな湖面なら山も月もありのままに美しく映えるように。
坐禅の時に感じられる静けさ、清々しさというのはここからくるのでしょう。
先日亡くなられた瀬戸内寂聴師。
私はお話を聞く機会にはついぞ恵まれませんでしたが、以前から師は大変素晴らしいお名前だなぁと思っていたものです。
寂、しずか、しずけさを聴く。
それは外界からの音のみならず内から生まれる雑念が止み静まった心地の表現なのでしょう。
人生の悩みから出家を志された師に送られるに素晴らしい表現があったものだ、といまでも感心します。
坐禅とは、このようなしずけさを聴く時間、と私は表現したいです。
仏教とは仏道とは、このしずかな心地で人生を歩もうとする事であると思っています。
偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。
欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。
我を離れることの出来る閑かな時間を、御一緒にいかがですか?
祥雲寺副住職 安藤淳之当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。初めての方は15分前に来てください。次回は1月24日となります。また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています -
令和3年12月 観音朝詣りのお知らせ
2021年12月26日木材が値上がりしています。
輸入木材の高騰が原因です。
細かい経過は私には分かりませんが、ともかくコロナ禍の影響でアメリカを始め世界の国々で一戸建て住宅の需要が増し、木材が足らなくなったそうです。
12月9日朝のニュースでは、日本の会社がロシアの会社を買収して、九州と同じくらいの面積のシベリヤの森林の伐採事業権を手に入れたことが報じられていました。
シベリヤから木材が大量に輸入されることが期待されるとのことです。
私は、一連の木材をめぐる動きを残念に思います。
なぜ国産の木材が使われないのか。
日本は世界有数の森林国です。
それは歴史的に木を大切にし森を造ってきた結果です。
その伝統は縄文時代まで遡るでしょう。
もともと森林の形成に適した国土ですが、殆どが人工林です。
用途に合わせた木を育て、森を造り、自然を守ってきたのです。
それが、高度経済成長以来の政策では隅に押しやられ、林業は衰退の一途をたどりました。
効率重視の経済至上主義から安価な外材を輸入し続けた結果は、林業従事者の減少を招き、国産材の伐採、運搬もままならなくなりました。
現在の木材不足を機会として、政府は林業再生を計るべきです。
日本には豊富な森林資源があり、それを育て、管理し、活用する技術も伝統も世界一なのですから。
タイガと呼ばれるシベリヤの寒帯林の木は、基本的には切るべきではありません。
シベリヤの野生動物の写真を撮り続けている友人から聞いた話ですが、タイガの木は数万年に及ぶ時を経て形成されたもので、皆伐した森の再生は同じ時間がかかるということです。
森が無くなれば動物の住むところも無くなります。
もしロシアに森林保護の考えがないとすれば、日本の企業が権利を手にしたのを幸いに、日本の林業技術を駆使して、伐採しながらも、森が守られ、再生されていくような森林管理をしてほしいものです。
令和3年12月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時半から行います。
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祥雲寺蝋八摂心坐禅会の案内(再掲載 12月7日夜6時より
2021年12月4日祥雲寺蝋八摂心坐禅会のご案内
12月8日はお釈迦様が悟りを開かれた日です。
仏典では、1日から菩提樹の下で1週間坐禅を続け、8日目の朝明けの明星と共に成道されたと伝えられています。
禅寺ではこれにならい、この時期に摂心という特別な坐禅を行ってきました。
この度、1日のみですが夜に坐禅会を修行します。
興味を持たれた方はどうぞお問い合わせください。
記
時間:12月7日(火)夜6時から8時半まで
18時 開場(初めての人への坐禅指導は15分より)
18時30分 ~ 19時10分 坐禅
19時20分 ~ 19時40分 法話
19時50分 ~ 20時30分 坐禅
場所:祥雲寺 本堂二階
申込:電話(028-622-5719)もしくは祥雲寺庫裡にて
費用:参加料一千円(当日受付にてお支払いください)
疫禍の最中での修行となります。感染状況に応じて中止の場合もあることをご了承ください。
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令和3年11月 朝坐禅会「指月の会」案内(22日朝6時半より)
2021年11月21日正念 八正道5月に引き続き、八正道7番目の正念をテーマにします。5月の案内で八正道の説明を取り上げました。世に生きる迷い悩み苦しみを滅する事の出来る術がある、それには八つの正しい行い、道を歩みなさいというものです。私の大学時代の先生は、仏教とは業すなわち習慣の宗教と説かれていました。ある講義で、こんな交通標語で説明をされていました。「交通マナー、守るあなたが守られる」交通マナーを守ることによって、道路で起こりうる交通事故から身を遠ざけてくれる。守ろうとする意識や習慣が、様々な害からむしろ身を守ってくれるようになる。仏教における戒、盗まない殺さない犯さないなどの、しないことを誓うのもこれと同じです。悪いことをせず、良いことを心がけ、習慣としていく。繰り返し身に付き習慣となったそれが、自ずと善きを選び悪しきから遠ざかる自分にしてくれる。業、すなわち習慣の功徳こそ肝心と教わりました。今回の正念とは、正道を憶念し、邪念がないことと訳されます。さとりへの道を歩む目的意識を心にとどめて忘れない、と言えるでしょう。個人的には、正した心がけを忘れない、と受け取るのがわかりやすいです。古い仏典では、この心がけを身受心法の言葉で表現しています。身は不浄なると観察し、感受は苦なると観察し、心は無常なると観察し、存在(法)は無我なると観察する。身体はそも清らかなるものでは無く、五感は快いものばかりとはならず、定まることの無い心をよく見定め、全てはあるがままにあるのだと受け止める。我が高祖道元禅師はこの四つの心がけを歴代仏祖の安住のところにして生まれ出でる場所と説かれました。諸々の執着から離れる道が、この心がけにはあるのです。偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。我を離れることの出来る閑かな時間を、御一緒にいかがですか?祥雲寺副住職 安藤淳之当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。初めての方は15分前に来てください。次回は12月27日となります。また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています -
令和3年11月 観音朝詣り
2021年11月21日12月1日には伝統の無縁供養の法要が勤められます。「無縁供養」という言葉から、無縁仏への供養と受け取られて、どうしてそんなことをする必要があるのかと思う人も多いと思います。しかし祥雲寺の歴代住職はこの行事をとても大切にしてきました。無縁供養は万物への感謝の供養です。私たちが生きてゆく一日一日が、実は意識することもできない無限の縁から生まれた恩に支えられているのだということを知って、感謝の誠を捧げる供養です。例えば、食べ物について考えてみればよい。食べ物がなければ私たちは生きていけません。その食べ物は他のものの命です。私たちは他のものの命を糧として自らの命を養っています。食べ物となるには、まず命を生み出す天地の恵みがあり、それを育て刈る人、運ぶ人、調理する人、多くの人と物との関わりがあります。食べ物に限らず、生きてゆく全てが他のものによって支えられていることを理解するのはたやすいでしょう。大切なのは、そのことを恩と思い、感謝へとつなげてゆくことです。 「恩」という漢字は、自分の利益になったことの原因を心に留めるという成り立ちだそうです。経典のインドの原語も同じ意味です。そして、その思いを慈悲の心でもってお返ししてゆくのが感謝であり供養なのです。報恩感謝からは、人を傷つけるような行ないは出てきません。他のためになる行ないをし、共に生き、共に喜ぶ行ないが生まれてくるのです。報恩感謝は人倫道徳の基(もとい)であり源(みなもと)なのです。供養について付け加えることがあります。供養は慈悲の心からなされるものですが、慈悲哀愍(じひあいみん)と言って、あわれみの心をともないます。供養の施主が、知る人に対しても、知らざる人に対しても、自分と同じくこの世を生きたことを共感するのがあわれみです。無縁供養塔には、明治の箒川列車転覆事故、大正の関東大震災の供養塔がそれぞれ納められ、平成25年には東日本大震災の犠牲者への供養塔も建てられました。令和3年11月15日宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之十八日の朝詣りは午前6時半から行います。