2021年6月20日
7月7日はべんてん祭り。去年は出来ませんでしたが今年は行えるよう準備を始めています。
今年は感染の懸念が無いよう対処して行いたいです。ご興味の方はお電話ください。
NHKの「チコちゃんに叱られる」で面白い話がありました。
にぎり寿司一人前はだいたい10個(10貫)と決まっているそうで、どうしてそうなのかという話でした。
戦後まだ統制経済だった時、寿司屋さんは営業が出来ませんでした。
配給制で営業用の米がないのですからどうしょうもありません。
その時、東京都内の老舗寿司屋さんたちが、お米を一合持ってきてくれば、10個のにぎり寿司にしてお出ししますという、法律で禁じられていない食品加工の方式を考え出したのだそうです。
それでも、店を開けるのには知事の認可が必要で、魚も統制されていたので許可されなかったのですが、野菜を代わりに使うということでようやく開店できたとのことです。
カッパ巻きがその産物だということでした。
果たして客が来てくれるか不安だった開店の日、お米を持って次から次と人が来て嬉しかった思い出を、老舗の老体が語っていました。
今も昔も寿司は贅沢品ですが、無理をしてでも美味しいものを食べたいという人間の本性は変わらないということでしょう。
おかげで江戸前寿司の伝統が守られたという結論でした。
この話を聞き、私は工夫という言葉を思い出しました。
工夫は、手間暇をかけて物作りの思案をするというのが元々の意味です。
たとえば、なにか物を作っているときに起きた問題を、培われた技術と発想を変えた考えで解決し、目的を達成したり、新しいものを作り出したりすることです。
寿司屋さんには修業を積んだ技術があります。
美味しいものを作って人の喜ぶ姿を見たいという意欲もあります。
ただ肝心の食材がないという大困難を、お米を持ってきてもらうという発想の転換で解決したのです。
商売が続けられるか?
江戸前の伝統が自分たちで終わってしまわないか?。
切羽詰まったからこそ生まれた解決法だったのでしょう。
禅も工夫を大切にします。
自己を見つめ、切羽詰まったときに、自己を捨てるという大転換がなされ、無心に坐禅に精進することを禅宗では工夫というのです。
令和3年6月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時から行います。