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5月観音朝詣り
2023年5月21日我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋痴
従身口意之所生 一切我今皆懺悔(華厳経普賢菩薩行願品)私が昔より造りし諸々の悪業は、みな何時とも始まりが知れぬ貪瞋痴に由来して私の身と口と心から生まれたものです。
今、私は一切を懺悔します。(懺悔はサンゲと読みます)およそ、悪いことをしたことのない人はいないでしょう。
小さな罪から取り返しのつかない大罪となる大悪もあり、それらはすべて私たちの持つ邪(よこしま)さに由来します。
仏教ではこれを無明(むみょう)といい、人知では計ることもできず幻にもたとえられる本源的な暗きもの、迷いの根本です。そこから生まれた無数の罪が消えることはあるのでしょうか。
道元禅師は、どんな悪業を犯した人も誠心誠意仏さまの前で懺悔した時、その罪は消えると説かれています。
仏前に懺悔することの功徳の力が、その人を清浄にし、仏の教えに身を任せ仏の道に精進する人に生まれ変わらせると示されています。
ここに説かれているのは、宗教的な回心です。世俗的な考えで懺悔すれば罪が消える、苦しみから解放されると思うならば、そんなことはありえません。
罪は罪であり、消滅することもありません。
もし死刑に当たるほどの罪を犯し、それに対する罰として法律が死刑を相当としているならば、それに従わねばなりません。
仏道に入って得られるのは、罰を受け容れて、なおも人としての尊厳をそこなわず、生ききる境地です。
人間を生まれ変わらせるほどの力を持つ懺悔はどうして可能なのか。
それは、いま人としてあり、この世の万物と共に生きていることのありがたさを感じることがなければできません。
さらになおかつ、悔恨と内省がいかに深くとも自分の力だけでは成し遂げられず、仏の教えに身心をなげうつしかないのです。人間は弱いのです。
令和5年5月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時から行います。 -
4月観音朝詣り(18日朝六時より)
2023年4月14日先月のワールドベースボールクラシックでの日本優勝は国民を熱狂させました。
それで霞んでしまった感はありますが、
昨年暮れに行われたサッカーのワールドカップカタール大会も、日本チームの大活躍で大いに盛り上がりました。ドイツ、スペインという世界の強豪国と同じ予選組となり、予選敗退は確実と言われていたのが、あろうことかその二カ国を破って決勝トーナメントに進出したのですから盛り上がらないはずはありません。
そのスペイン戦では奇跡的なゴールがありました。誰もがゴールラインを割ったと思われたボールを三苫選手がゴール前に蹴り返し、田中選手がゴールを決めました。
ビデオ判定の結果、ボールはゴールラインに数ミリ残っておりゴールが認められたのです。
サッカー試合の判定に審判の補助としてビデオ映像が取り入れられた結果の逆転ゴールでした。
このゴールについて面白い意見がありました。
これまで、ビデオによる判定を取り入れるべきだと主張してきたイギリスの元サッカー選手のものです。
誰もが外に出たと思ったことが覆るようならビデオ判定はやめるべきだというのです。
これに対しては、ヨーロッパのチームが負けたから意見を変えたのだろうとの批判がありましたが、私は傾聴すべきことだと思いました。それは、本来人間が責任を持って為すべきことである審判や判断を、機械に頼ってはならないということです。
だれもが出ていると思ったボールが実は残っていた。機械がなければ誤ったであろう審判を正しいものに導いた。
良いことのように思えますが、その行き着く先は、審判は機械に任せるということになってしまわないでしょうか。
さらに進んで将来、裁判でさえ高度化した機械に頼って判決が下されることもありうるとは妄想でしょうか。
機械が神(カミ)化することはあってはならない。
まちがいを覚悟しても判断は人間がするべきです。
令和5年4月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時から行います。 -
3月観音朝詣りのお知らせ(3月18日6時半より)
2023年3月17日3月11日、東日本大震災発生の日を迎え、新聞、テレビなど多くのメディアで特集が組まれています。
震災が起こってから満十二年、犠牲の霊位の十三回忌に当たります。十三回忌という忌日が設けられているのは、十二支が一巡りし同じ歳になるからです。
震災の時、津波が町を、海岸を、襲う映像は忘れることができません。
あの中でどれだけ多くの人が死んでいったのか、思い出しても胸が詰まります。
NHKでは、迫り来る南海トラフの大地震についての特集番組が放映されていました。
東日本大震災を越える20メートル、30メートルの津波が来るかも知れないこと、犠牲者も二十万人を超すかも知れないこと、経済的損失は日本没落まで考えられること。
被災者であったかないかに関わらず国民全体が震災の恐ろしさを知っているだけに、どうにかならないのかとも思います。
必ず来ると言われ、できるだけの対策をしていても、いざその時が来たら残念ながら大災害は避けられません。
津波が来るところに住まなければならない人はたくさんいるし、工場でも、道路でも、鉄道でも万全の対策は取りきれません。
震災の時、家族を助けようとしてなくなった人がたくさんいました。
津波では自分の身を守ることを考えて、家族であってもその運命は天に委せなさいとの教訓が昔からあることが紹介されていました。
私たちは、人間の力ではどうすることもできない自然の脅威にさらされている国土に住んでいるのだという覚悟を持たなければならないと思います。
それは、世に言うあきらめではない。
皆が無事でいられるための備えを怠らず、それでもだめならそれは運命とし、いのちあれば復興に身を尽し、犠牲者を悼み、未来あるものに希望を託していく。
それは、お釈迦様がお説きになった、諸行無常の世に生きることそのものです。
令和5年3月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時から行います。
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2月観音朝詣りのお知らせ
2023年2月14日かつて世界一と言われた日本の国際競争力が現在は34位だそうです。
ずいぶん低くなったものですが、その理由について非正規雇用労働者の増加と関係があるという識者の解説が紹介されていました。
バブル経済の崩壊後、たびたび起こった経済危機により企業の資金繰りが悪化しました。
経営者側は人件費をコストと考えており、コスト削減ためリストラが行われ、さらに就職氷河期と言われるほどに社員の新規採用を抑えました。
この結果足りなくなった人員は、主婦のパートや派遣社員、それに外国人労働者に求めました。
非正規雇用労働者に対しては賃金だけでなく厚生費や雇用保障に関する決定についても雇用側の力が大きくなり、安価に抑えられますから。
これに対して、組合を持つ労働者側も、自分たちの雇用が守られることを優先して、非正規雇用労働者の増大を是認しました。このような環境からは、新しい物を創り出したり、労働生産性を高める企画など出てこないというのです。
そもそも、人材をコストと考えるのが間違っているという指摘でした。人材は将来を生み出す資源であり、現場に即し、将来性を見越した育成が行われて会社は発展するのだと。
この解説は納得のいくものでした。確かに企業の置かれた危機的状況は深刻であったでしょうが、経営者も、労働者も、政府の政策も、無難に収まることを優先し、将来を担う若者を犠牲にして安易な方向に走ってしまった。
言ってみれば、困難に直面した時の勇気のなさの結果が国際競争力の低下となって現れたのです。
日本国民が直面する困難はこれからもたくさんあるはずです。
予期せぬものもあるでしょうが、少子高齢化に伴う問題はずっと昔から予想されています。
あるいは、食糧危機は地球規模で必ず起こるはずです。
分かっているのに手を打たなかった、手を打とうとしない、改革への勇気のない精神風土は改めなければなりません。令和5年2月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之
十八日の朝詣りは午前9時から行います。 -
1月観音朝詣りのお知らせ
2023年1月21日明けましておめでとうございます。
祥雲寺の歴史は文明二年(1470年)から始まります。
宇都宮氏の一族戸祭高定公とその夫人の発願により、雪江良訓禅師を開山に拝請して祥雲寺が生まれました。
室町時代は曹洞宗が大発展をした時で、在地領主の武士が曹洞宗の高僧を拝請して寺が建てられ、そこから弟子たちが近在の農民に教えを広めました。
戦国時代を舞台にした時代劇に出てくる寺院の多くが曹洞宗です。
雪江禅師は日本洞上聯燈録という代表的な高僧伝にその行跡が記される大徳です。
また、たいへん長生きした方と伝えられ、遷化した(亡くなられた)のは大永五年(1525年)一月五日のことです。
墓石は祥雲寺境内にありますが、埋葬された所と伝えられるのは、現在の戸祭小学校西側の和尚塚です。
昭和八年に発掘され、そこから第二代から第八代までの歴代住職が御開山の年忌の折に建立した供養石が出土しました。
江戸時代は、宇都宮城下町の北側に位置する戸祭村、大曽村の菩提寺とされました。
明暦年間には当時約七十戸の檀家によって旧本堂が建てられました。幕末には大きな庫院が建てられ、戊辰戦争で城が焼かれてしまった宇都宮城主の一時的な住居となりました。
明治時代になり、廃仏毀釈によって菩提寺を失った長岡村、山本村が檀家に加わり、また市街地の檀家も増えて檀家数の多い寺になっていきました。
昭和二十三年、市営住宅の一角で火災が起こり、山を越えた火の粉が茅葺き屋根の本堂の軒付けに入り、全伽藍が焼け落ちてしまいました。現在の諸堂伽藍は現在のお檀家の協力の下に建てられたものです。
以上、祥雲寺の550余年の歴史の概観ですが、来年一月五日が御開山禅師の五百回忌になります。本年秋に遠忌法要を勤めて報恩の誠を献げます。それは祥雲寺の護持に関わった多くの人々への感謝でもあるのです。
令和5年1月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之
十八日の朝詣りは午前9時から行います。