ごあいさつ

宇都宮市の祥雲寺は歴史のある曹洞宗のお寺です。
栃木県庁のすぐ北にあり、自然林の中には西国三十三番の観音像が祀られています。
また、樹齢350年を超える枝垂れ桜の老樹は県天然記念物として有名です。
たくさんの方々に仏教を親しんでいただくことを願いとし、様々な信仰行事を催しています。

ようこそおまいり

お知らせ 栃木県宇都宮市の祥雲寺(曹洞宗) | 桜や祭りが名物の寺

座禅会の記事

  • 2020年4月26日

    4月7日 宇都宮仏教会花まつり法要を祥雲寺で行いました。写真は宇都宮保育園稚児の舞です。

    例年は大通りでパレードを行い、文化センターで舞を披露するのですが、今年は自粛し会員のみで法要を行いました。

    この坐禅会を始めて五周年となりました。
    大難の時であるからこそ、足下をしっかりと見定める時でもあろうかと思います。
    初心を思い返し、最初の文章を今年も再掲します。
    お前の苦しみを、じっと見つめてみよ。
    誰々にののしられた、誰々により損害を受けた、
    誰々に手ひどく負かされた、誰々に盗まれた、
    という思いを抱いてはいないか。
    その思いがすでに怨みであると知りなさい。
    怨みを抱いた人生は重いものだ、安らぎというものがなくなってしまう。
    いっさいの怨みを棄てよ。
    今まで抱いてきたあれこれの思いをさっぱりと棄てよ。
    棄てれば、必ず軽くなる。
    棄てて、かろやかに生きなさい。
                        ― 『スッタニパータ』第一章 ―
    静かな所で何をするでもなく落ち着いて瞑想をすることで心身の調子が整う、という事は昔から広く知られ、行われてきました。
    近年では科学的分析により血圧が下がる、海馬の機能が促進され脳内の情報整理がされる、精神安定に重要な働きをするセロトニンの生成が促される、等の効果が確認されているそうです。
    しかし坐禅は、これらの効果を内包しながらも、何も求めないで只ひたすらに坐る事こそ最上のものである、と伝えられてきました。
    私はそれは、「軽くなる」からだと思います。
    人間生きていれば百人百様、様々な想いやしがらみを背負っているはずです。
    古人は人生を「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」と形容したそうですが、時には荷を下ろし、わが身を見つめ直す時間こそ忙しい現代人に必要な物だと思います。
    一人で行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
    この朝座禅会はそのような場となる様発起しました。
    明日4月27日の朝坐禅会は、6時半から開催しますが、短縮し広い空間でばらけて行います。
    その為参加される方は厚着でお越しください。
  • 令和2年3月 観音朝詣りのお知らせ

    2020年3月17日

    春を迎えた祥雲寺

    梅園の咲き誇る梅と羅漢さん

     コロナウィルスの蔓延で、重苦しい日々が続いています。9年前の大震災の後にも匹敵する感があります。
     
    放射能もコロナウィルスも見えないものです。
    しっかりした情報がない状態では不安がつのります。
    伝染病の場合には自分が罹(かか)ることによって、まわりの人に移す加害者の立場になりかねないという不安も起こります。
     小学生だった昭和30年代、学校でも、大人たちからも、伝染病の恐ろしさをくり返し教えられました。
    当時の人たちは、結核や赤痢の恐ろしさを身近に経験していました。
     しかし、戦後生まれの私たちは、身に迫って伝染病の恐怖を感じたことはなかったように思えます。
    治療薬が次々と開発されました。
    医学の進歩は著しく、信頼も厚かった。
    衛生環境も格段によくなった。
    もう、伝染病の大流行などあり得ないとなんとなく考えていました。
     今回はウィルスの蔓延を防ぎきれないように思えるため、信頼が崩れ、国民全体が浮き足立ってしまいました。
    いま大切なことは、専門家の指針をきちんと守って一人一人が対処するとともに、必要以上に恐れないことです。
    もし蔓延してしまったら、このウィルスと付き合っていくしかない。
    今までのインフルエンザと同じように。
     新型コロナウィルスに対しても、きっと近いうちに治療薬ができるでしょう。
    現在は従来のインフルエンザよりは恐ろしいけれど、国民全体の適切な対処の積み重ねで、2020年にこんな大騒ぎがあったと、記録されるだけのことになるでしょう。
     恐れるべきでないと言いましたが、人間を恐怖に陥れることはこれからも繰り返し起こってくると思います。
    そしていつの日か、本当に対処しきれないような危機が訪れるかもしれません。
     実際、震災では自然に対する人間の無力を感じました。
    原発事故では、人間の生み出した技術を自らがコントロールできませんでした。
    抗生物質の多用によってどんな薬も効かない細菌が生まれるかもしれません。
     しかし、そんな中でも人間は生き続けるしかないのです。
    無常にして弱いものであることを自覚して。
    勇気を持って。
     令和2年3月15日
                  宇都宮市東戸祭1-1  祥雲寺住職  安藤明之
    十八日の朝詣りは午前6時から行います。
  • 令和2年2月 観音朝詣りのお知らせ

    2020年2月14日
     けさ気づいたことです。本堂1階流しの向かいのテーブルの上の黒い花瓶に挿してある梅の枝が小さな白い花をたくさん付けていました。
     花瓶に梅の小枝が何本も挿してあるのは知っていました。祥雲寺の花の飾り付けは、寺を手伝ってくれている中川さんがほとんどをしてくれています。
    本尊様へのお正月の供花に用いた梅の枝を、更に切り分けて、ほかの飾り付けの足しにと、取って置いているのだと思っていました。ねじれたり曲がったりした、私には使いようもないと思える枝がほとんどです。
     ところが、花が付いてみると、曲がったたくさんの枝が花の渦となって上に伸び上がる火炎の形になり、ねじれた少し太い枝は、外に噴き出す炎のようです。まるで朝ドラ「スカーレット」のタイトル画面の粘土の炎を花にしたよう。
     中川さんはお花の先生ではありませんが、心得があるとはこんなことを言うのでしょう。恐れ入りました。
     
     お正月の庫院には、毎年、草月流の花が活けられていて参詣の人を楽しませてくれます。今年のお花は雄大にして豪華と形容したくなるものでした、毎年活けてくださるのは亀井さんです。亀井さんはお花屋さんにして草月流の師範。本職の作品です。
      以前には、長く観音朝詣りに参加されていた吉村さんが、お正月の花を活けてくださいました。私は恥ずかしいことにお茶、お花ともに不調法です。以前は特に生け花には関心がなかったのですが、吉村先生のお花を見て草月流が好きになりました。習わぬ勉強をさせてもらったのです。
     吉村先生亡き後、亀井さんが活けてくださっているのです。観音朝詣りのご縁ですが、ありがたい限りです。
     令和2年2月15日
                  宇都宮市東戸祭1-1  祥雲寺住職  安藤明之
      寒さ厳しい時ですので
    十八日の朝詣りは午前9時から行います。
  • 令和元年12月 観音朝詣りのお知らせ

    2019年12月18日

    成道会。12月8日はお釈迦様の道を達成された(悟りをひらかれた)日です。

    この日は写経会の人にお経を書き付けた石を本尊様の膝元から須弥壇に納めてもらっています。

     126日、大嘗宮を参観しました。大変な人出でした。
     大嘗祭は天皇即位の最も重要な儀式で、今回はその模様がテレビで中継されました。儀式の中心になる悠紀殿、主基殿での行事は秘事とされ見ることはできませんが、まことに厳かな儀式でした。悠紀殿の神饌に、高根沢町の米が選ばれたことから、大嘗祭に関心を寄せた栃木県民も多かったと思います。
     大嘗祭はまぎれもない宗教儀式であり、厳かさもそこに由来します。そのことから、憲法の規定に違反するのではとの批判がありました。条文に照らし合わせれば当然の批判ではあります。しかし、憲法が国民統合の象徴としての天皇から始まっていることを踏まえれば、即位儀礼を否定できないし、儀礼の宗教性を否定することもできないと思います。
     日本国憲法は、宗教のことについて大きな矛盾をはらんでいて、これを解決するには、天皇の条項を削除するしかありません。
      象徴天皇制に反対する人も多いでしょう。それはそれでいい。しかし、大嘗宮の参観者が18日間の期間中におよそ80万人と発表されたように、国民の多くが皇室に関心を持っているし、好意も持っていることも確かなことと思います。憲法改正の論議が進められようとしていますが、象徴天皇制を見直すことは検討の対象にさえならないと思います。
     私は、大嘗祭が宗教儀式であることをよしとしますが、今回残念に思ったことがあります。それは、神饌のその後に関することです。
     日本全国の食材を選りすぐった神饌は、平成の大嘗祭では地中に埋められましたが、今回は関係者がいただくことになったそうです。捨ててしまうのは勿体ないから、良いことだと好意的な報道がされていました。
      しかし地中に埋めるのは捨てることではありません。生命の源である大地に還(かえ)すことなのです。貴重なもの、選りすぐったものだからこそ、母なる大地に還してやるのです。
    日本の歴史と風土に適(かな)った大事なことだったと思うのですが…。
     
    令和元年1215
    宇都宮市東戸祭1-1  祥雲寺住職  安藤明之
    十八日の朝詣りは午前6時半から行います。
  • 令和元年11月 観音朝詣りのお知らせ

    2019年11月17日

    11月7日、祥雲寺で宇都宮仏教会主催 御詠歌各流大会が開かれました。

     

    こちらは叡山流の発表。宇都宮仏教会で数年に一度行っている各宗派のご詠歌の発表会、今年は祥雲寺で行いました。

     

    曹洞宗梅花流の発表。各宗派の様々な取り組みが伺え、また大勢で楽しくお唱えができた賑やかな日でした。

     先月はじめ、一団の女性たちの訪問を受けました。
    絵手紙の同好会の方たちで、境内を散策してスケッチしていいかとのご挨拶でした。
     もちろんかまいませんので、どうぞどうぞと言い、たまたま時間も空いていたので、少し案内をいたしました。
    秋の陽が爽やかに射す日でしたので、自然豊かな境内を楽しんでもらえたと思います。数日経って、来られた方々から絵手紙をいただきました。
    そのほとんどに五百羅漢の絵が描かれていました。
     平成九年から制作が始まった羅漢像は、羅漢渓と名付けた本堂の裏手に安置しています。
    現在430体になった像が、二手に分かれて並んでいる様は壮観です。いつの間にか、羅漢像群のある寺として知られるようになりました。
    先月には、下野新聞のコラムでも紹介されました。
     羅漢像群が映えるのは、祥雲寺が豊かな自然環境にあることが大きいと思います。
    12日の朝は、深い霧が立ちこめました。
    紅葉に包まれた境内も違った景色を見せます。
    今年は雨が多かったせいでしょうか、紅葉は黒ずんであまり鮮やかではないのですが、かえってそれが静寂のおもむきを深めます。
    霧に煙る松、ようやく鮮やかな黄色になった銀杏、黄色く色づいた萩の枝のたおやかなうねり、羅漢像群を霧が流れ、不思議な陰影を作り出していました。
     絵手紙の会の人たちが見た祥雲寺、霧の朝の祥雲寺、同じ処でも景色は刻一刻と変わり、同じものはありません。
    素晴らしいと思う時に心を止めて、それが絵になり、文になり、手紙になるのはなんと素晴らしいことでしょう。
     12月1日の無縁供養の日には、新たな羅漢像が10体開眼され、また少し景色が変わります。
     令和元年11月15日
                  宇都宮市東戸祭1-1  祥雲寺住職  安藤明之
    十八日の朝詣りは午前6時半から行います。
祥雲寺行事案内

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