ごあいさつ

宇都宮市の祥雲寺は歴史のある曹洞宗のお寺です。
栃木県庁のすぐ北にあり、自然林の中には西国三十三番の観音像が祀られています。
また、樹齢350年を超える枝垂れ桜の老樹は県天然記念物として有名です。
たくさんの方々に仏教を親しんでいただくことを願いとし、様々な信仰行事を催しています。

ようこそおまいり

お知らせ 栃木県宇都宮市の祥雲寺(曹洞宗) | 桜や祭りが名物の寺

お知らせの記事

  • 平成23年10月朝参りのお知らせ

    2011年10月17日

     

    秋晴れの空と祥雲寺本堂

     

    曹洞宗はお釈迦様をご本尊とし、永平寺、総持寺を同格の大本山とする宗旨です。

    そして永平寺開山道元禅師、総持寺開山瑩山(けいざん)禅師を両祖とします。

    一般的に使われる宗祖という言葉を使わないのは、宗祖というとどうしてもお一人を指すと考えられてしまうからです。

     

    瑩山禅師は道元禅師より懐弉禅師、義介禅師と次第して、日本曹洞宗では4代目に当たる方です。

    その方がどうして道元禅師と並び称せられるのでしょうか。

    それは宗派としての曹洞宗を確立した方だからです。

     

    曹洞宗はお釈迦様の正しい教えを祖師から祖師へと代々伝えてきたことを信仰の核とします。

    お釈迦様から直接に法を継承した迦葉尊者を第1祖として、道元禅師は第51祖に当たります。

    代々の祖師は仏教で一番大事なこと、一大事を明らめる(それを悟りとも身心脱落ともいいます)ことによって法を伝えてきました。

     

    瑩山禅師も義介禅師の印可証明を受けて54祖となりました。

    そのことでいえば歴代の祖師はすべて同格です。

     

    道元禅師に帰依した僧侶の中には平安末期に日本独自に興った達磨宗という僧団に属していた人たちがいました。

    懐弉禅師や義介禅師がそうです。

    さらには義介禅師の弟子として瑩山禅師もその流れを汲んでいるともいえます。

     

    瑩山禅師は、釈尊から懐禅師に至る歴代祖師のそれぞれの悟りの契機を述べ、道元禅師の教えこそが曹洞宗の命脈であることを弟子たちに示しました。

    これによって曹洞宗という教団が生まれ、その弟子である峨山禅師に始まる曹洞宗の大発展がありました。

     

    具体的には、たくさんのお寺が建てられていったのです。

    そのお寺の多くは、地方の小領主や農民によって建てられました。

    寺を守り伝えたのもその人たちです。

    先祖の御霊を守り民衆の心の拠り所となる寺院が建てられていく、その基(もとい)が瑩山禅師によって確立されたのです。

     

    平成23年10月15日  祥雲寺住職 安藤明之

     

  • 平成23年9月朝参りお知らせ

    2011年9月15日

     

    山門前の百日紅(さるすべり)、去年よりも開花が遅れた。

     

    台風12号は、平成最大の台風被害をもたらしました。

    激甚地となった紀伊半島は日本一の木どころ、林業地ですが、林業の衰退による過疎化或いは山林の荒廃とこの度の被害の大きさは、無関係ではないと思います。

     

    昭和の最後のころ、森林資源の無駄遣いとして割り箸がやり玉に挙がりました。

    その時に、奈良県の林業家からの新聞投書がありました。

    その趣旨は、間伐材の貴重な需要先としての割り箸をなくさないでくださいというものでした。

    私はそれを読んで、ものごとを単純に考えてはいけないことを思い知りました。

     

    豊かな森林の恵みは、林業のみならず、農業、漁業に及びます。

    さらには、良質の水を生み、空気を浄化するなど都市生活の基盤となっています。

    日本は国土に占める森林の面積比率が世界で最も高い国の一つであり、それが日本の豊かな国土の源泉になっています。

    そして、その森林のほとんどは人工林です。日本は森を作ってきた国です。その林業が行き詰っています。

    原因は多岐にわたるのでしょうが、何といっても、日本産材木の需要が少ないのが一番の原因です。

     

    そこで、祥雲寺では法事に用いる卒塔婆を3年前から間伐材に替えました。

    卒塔婆の材料は、国産樅材が払底し外国産材が使われています。間伐できないことが山林荒廃の原因の一つなので、間伐材使用は意義あることと思います。

     

    さらに今年からお施餓鬼の卒塔婆を、県内産の杉材に替えました。

    戦後大量に植林した杉は、建築工法の変化とともに需要が大きく減りました。

    荒れるに委せた杉山が全国に広がっています。

     

    間伐材(これも杉材ですが)、杉材、ともに外国産材に比べて見た目が悪く、しかも割高ですが、ささやかでも林業振興の一助になればと思い、かようにさせていただきました。

    お檀家の理解を乞うとともに、同様の試みをする御寺院があることを願っています。

     

    平成23年9月15日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    18日の観音様の朝詣りは午前6時から行います。

     

  • 平成23年8月朝参りお知らせ

    2011年8月17日

     

    8月13日10時より、本堂前にて迎え火

     

    東日本大震災から早くも5ヶ月が経ちました。

    テレビを付けると、被災地ではボランティアの人たちの手を借りて倒れた石塔を起し、お盆を迎える為の準備をしていました。

    今年は、2万名余の人々の初盆になります。

    被災地の人にとってあの惨禍の記憶はあまりに生々しく、涙つきないことでしょう。

    心から同情し、お慰めを申し上げます。

     

    あの地震が起こった時、私たちはこれは日本の大きな転換点になると感じました。

    1990年代からの経済の停滞があり、リストラ、失業率の上昇など明るさの見えない社会状況が続いています。

    政治では、55年体制といわれる自民党中心の政治が、国民のニーズに対応できなくなりました。

    そして変革の期待を担って登場した民主党政権ではひどい失望を味わっています。

     

    戦後社会への行き詰まり感があり、私たちの心の中に醸成されていた変革への思いが、未曾有の天災に直面し、より強く意識されたのだと思います。

    行き詰まり感は、これから先は国が衰退し国民も窮乏に向かっていくのではないかという不安感であり、変革を願いつつも先行きがいっこうに見えてこない焦燥感です。

     

    しかし、ここに来て、私たちがなすべきことがはっきりしてきたのではないでしょうか。

    それは、勤勉、忍耐、協調、団結、信頼、思いやりなど、昔から培われてきた価値観に基づく行動です。

    困難に耐えて頑張っている被災地の人たち、全国各地から駆けつけたボランティア、あるいは不遇をものともせずに団結して世界一になったなでしこジャパン、これらの人々の姿の奥には昔からの美徳が息づいているし、私たちはそのことに共感し感動しています。

     

    8月15日の何もかも失った時から出発した日本、、原点に還って再出発していく勇気を持とうではありませんか。

     

    平成23年8月15日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    18日の観音様の朝詣りは午前6時から行います。

     

  • 平成23年7月朝参りお知らせ

    2011年7月14日

     

    境内の池に咲く蓮の花。昨年より3日遅く7月10日開花。

     

    7月12日、宇都宮仏教会主催の戦災犠牲者追悼法要が、市内宝蔵寺を道場として執り行われました。

    昭和21年以来毎年、遺族をはじめとして関係諸団体の代表も参列して続けられているもので、昭和40年代までは宇都宮市との共催の行事でした。

     

    太平洋戦争では、日本の多くの都市がアメリカによる空襲を受けました。

    八万数千人が死亡した昭和20年3月9日の東京大空襲、広島、長崎、の原爆では一瞬にしてそれぞれ十五万人近い人が亡くなりました。

    7月12日の宇都宮空襲は面積当たりで東京空襲の倍以上の爆弾が落とされ、600人余りの人が死にました。

    田川の川面には火を逃れようとして水死したたくさんの遺体が浮かびました。

    戦争はどんな場合でも悲惨なものですが、無差別爆撃の犠牲になった人々にたいし、深い哀悼の意を抱きます。

     

    法要終了後は、参加の仏教会寺院は二手に分かれ、黒崎会長以下は市北山霊園の戦災犠牲者の慰霊塔に詣で、若手は市内で東日本大震災義援の托鉢を行いました。

    遠く66年前の無辜の犠牲者を悼み、今また、新たなる災禍に対しては、立ち直っていかなければならない人々へ少しなりとも手を差し伸べたいとの思いによるものでした。

     

    8月6日に予定されている恒例の川施餓鬼灯篭流しも、今年は御霊(みたま)祭り精霊供養に加えて、震災犠牲者追悼の行事として行います。

    もともと灯篭流しは、昭和21年に空襲犠牲者の初盆供養として行われた万燈会の灯篭の一部を釜川に流したことに始まります。

    戦災と震災、ともに非業に倒れた人々への追悼の祈りをささげる行事ともなりますので、たくさんの方が参加されることを願っております。

     

    平成23年7月15日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    18日の観音様の朝詣りは午前6時から行います。

     

  • 平成23年6月朝参りお知らせ

    2011年6月17日

     

    5月末、本堂前広場

     

    明治元年3月から発布された一連の神仏分離令によって、大規模な廃仏毀釈運動が起こりました。

    地域差がありますが、全国ではほぼ半分の寺が廃寺となりました。

     

    奈良の興福寺では、僧侶全員が春日大社の神職となり、堂塔は荒れるに委せる状態になりました。

    中には当時奈良県で法隆寺と並ぶ大寺院であった永久寺のように、還俗した寺僧たち自らが破壊してしまった寺もありました。

     

    神社から仏像、仏具を排除せよとの太政官令のもと、神社のみならず、廃寺となった全国の寺々から仏像、仏画、法器、荘厳具が流出し、美術品として海外に渡ったものも数多くあります。

    明治15年以降のフェノロサと岡倉天心による文化財保護への尽力がなかったら、興福寺の阿修羅像も外国の美術館に展示されていたかもしれません。

     

    廃仏毀釈は、わが国の歴史が培ってきた文化を否定し破壊してしまったという点で、中国の文化大革命にも匹敵する愚行、蛮行です。

    政治が運動の火を付け、民衆が応じた点も似ています。

    背景には、徳川幕府の仏教保護政策にあぐらをかき、幕府行政の出先機関と化した寺院や、修行と教化を怠った僧侶への不信も確かにあったと思います。

     

    しかし本質は、天皇を中心とした強力な中央集権国家を造ろうとした明治政府の思想統制、宗教統制でした。

    天皇を現人神(あらひとがみ)とする国家神道を打ち立てるためには、神道の基盤である神社に人間の存在を超えた「ほとけさま」がいては、はなはだ都合が悪かったのです。

     

    私は、神仏習合は仏教の日本的な展開だと思っています。

    非常に豊かな文化を生み出してきたし、それによって仏教の本質がゆがめられたということもありません。

    もとより政治は大きな力を持っていますが、それが人間の精神の営みまでも支配しようとし、貴重な文化と伝統が失われてしまったことを残念に思うものです。

     

    平成23年6月15日  祥雲寺住職 安藤明之

     

    18日の観音様の朝詣りは午前6時から行います。

    ☆梅☆ 朝詣りの後、梅落としをいたしますので、一緒に採ってお持ち帰りください

     

祥雲寺行事案内

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