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平成25年2月朝参りのお知らせ
2013年2月17日先月の朝詣りが始まる直前、私は転倒して頭を強く打ち、国立宇都宮病院に入院いたしました。
幸い、手術することなく院内での投薬による治療ですみました。
入院は私にとっては生まれて初めてのことでした。入院患者としていろいろと考えることがありました。
私も入院当初には肉体的な辛さがあったのですが、これは入院するほどの患者なら誰もが感じていることでしょう。
重症の人と比べれば実際に私程度は問題にもならないものでしょう。
肉体的、精神的辛さを乗り越えていくのは、忍耐力、希望、あきらめなど、それぞれの患者の意思や力によります。
しかし、それを支えてあげる人たちの力も大きなものです。
私の場合には、妻はもとより、遠くにいる子供たちが何度も来てくれました。
家族がそばにいる安心感はかけがえのないものだと実感しました。
また病院のスタッフの丁寧さに感心しました。
医師は信頼の中心です。
毎日来てくれて経過を話し合ってくれることが安心感となり、闘病の励みになります。
そして看護師さんたちの分け隔てない親身さには感心しました。
同室にはしょっちゅうナースコールをして怒鳴りまくっていた人もいました。
病状からやむを得ないかもしれません。
そういう人にたいしても、すぐにきて丁寧な看護をしていました。
母の最晩年、何度か老人ホームのショートステイを利用いたしました。
いくつかのホームに行ったのですが、その時に感じたのは、老人にとってありがたいのは、設備が新しくて見かけがよいことよりも介護スタッフの親身さであるということでした。
それは、今回の病棟でも感じたことです。
高齢社会が進んでいく中で、看護や介護は益々重要な社会問題になっていきます。
その中で一番大切なことは、人と人との結びつき、親身さ、いわば心を大切に考えることです。
平成25年2月15日 祥雲寺住職 安藤明之
この度のことでご心配いただいたことに感謝申し上げます。
今月18日に観音様の朝詣りは、勝手ながら午前9時からにさせていただきます。
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平成24年3月朝参りお知らせ
2012年3月18日参道梅園の梅
観世音 南無仏 与仏有因 与仏有縁 仏法僧縁 常楽我浄
朝念観世音 暮念観世音 念念従心起 念念不離心(延命十句観音経)
わずか42文字、延命十句観音経は一番短いお経です。
正式なお経ではありませんが、長大な観世音菩薩普門品(観音経)のエッセンスを、お経の形にまとめたものです。
意訳しますと
観音様。
心から信頼申し上げます。
私たちは仏様と同じ世界に生きております。
仏様との絆で結ばれている私たちは、いつも清らかでとらわれのない日暮らしができます。
朝にも、夕べにも観音様に祈ります。
この祈りは私たちに備わる清浄心から発せられるものであり、その心を離れることはありません。
観音様は、大悲闡堤(せんだい)といって、この世の衆生を救い続けるため、決して彼岸へと去ってしまわない菩薩様です。
成仏しない仏様と言ってよい。それで「南無仏」です。
この世は無常であるのに常と捉え、苦であるのに楽と捉え、定められないものを実体と捉え、不浄なるものを清浄と捉えることを、凡夫の常楽我浄というのですが、とらわれを離れた境地に立った時、否定されていたものが不滅なるものとして生き生きと立ち現れてくる、これが涅槃経などに説かれる常楽我浄です。
経の末尾二句の「心」とは、人間が本来備えている慈愛に満ちた清浄な心、すなわち仏心のことです。
観音様への願いは欲得からのものではなく仏心から発せられるものであり、そのように願い続けることを誓う言葉です。
衆生に対する観音様の慈悲済度の御心は無量であり、海にたとえられます。
このようなことから3月11日の大震災慰霊法要では、観音様への祈りの功徳を犠牲者の御霊に捧げるべくこの経の写経をしていただき霊前に捧げました。
平成24年3月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の観音様の朝詣りは午前6時から行います。
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平成23年10月朝参りのお知らせ
2011年10月17日秋晴れの空と祥雲寺本堂
曹洞宗はお釈迦様をご本尊とし、永平寺、総持寺を同格の大本山とする宗旨です。
そして永平寺開山道元禅師、総持寺開山瑩山(けいざん)禅師を両祖とします。
一般的に使われる宗祖という言葉を使わないのは、宗祖というとどうしてもお一人を指すと考えられてしまうからです。
瑩山禅師は道元禅師より懐弉禅師、義介禅師と次第して、日本曹洞宗では4代目に当たる方です。
その方がどうして道元禅師と並び称せられるのでしょうか。
それは宗派としての曹洞宗を確立した方だからです。
曹洞宗はお釈迦様の正しい教えを祖師から祖師へと代々伝えてきたことを信仰の核とします。
お釈迦様から直接に法を継承した迦葉尊者を第1祖として、道元禅師は第51祖に当たります。
代々の祖師は仏教で一番大事なこと、一大事を明らめる(それを悟りとも身心脱落ともいいます)ことによって法を伝えてきました。
瑩山禅師も義介禅師の印可証明を受けて54祖となりました。
そのことでいえば歴代の祖師はすべて同格です。
道元禅師に帰依した僧侶の中には平安末期に日本独自に興った達磨宗という僧団に属していた人たちがいました。
懐弉禅師や義介禅師がそうです。
さらには義介禅師の弟子として瑩山禅師もその流れを汲んでいるともいえます。
瑩山禅師は、釈尊から懐禅師に至る歴代祖師のそれぞれの悟りの契機を述べ、道元禅師の教えこそが曹洞宗の命脈であることを弟子たちに示しました。
これによって曹洞宗という教団が生まれ、その弟子である峨山禅師に始まる曹洞宗の大発展がありました。
具体的には、たくさんのお寺が建てられていったのです。
そのお寺の多くは、地方の小領主や農民によって建てられました。
寺を守り伝えたのもその人たちです。
先祖の御霊を守り民衆の心の拠り所となる寺院が建てられていく、その基(もとい)が瑩山禅師によって確立されたのです。
平成23年10月15日 祥雲寺住職 安藤明之
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平成23年9月朝参りお知らせ
2011年9月15日山門前の百日紅(さるすべり)、去年よりも開花が遅れた。
台風12号は、平成最大の台風被害をもたらしました。
激甚地となった紀伊半島は日本一の木どころ、林業地ですが、林業の衰退による過疎化或いは山林の荒廃とこの度の被害の大きさは、無関係ではないと思います。
昭和の最後のころ、森林資源の無駄遣いとして割り箸がやり玉に挙がりました。
その時に、奈良県の林業家からの新聞投書がありました。
その趣旨は、間伐材の貴重な需要先としての割り箸をなくさないでくださいというものでした。
私はそれを読んで、ものごとを単純に考えてはいけないことを思い知りました。
豊かな森林の恵みは、林業のみならず、農業、漁業に及びます。
さらには、良質の水を生み、空気を浄化するなど都市生活の基盤となっています。
日本は国土に占める森林の面積比率が世界で最も高い国の一つであり、それが日本の豊かな国土の源泉になっています。
そして、その森林のほとんどは人工林です。日本は森を作ってきた国です。その林業が行き詰っています。
原因は多岐にわたるのでしょうが、何といっても、日本産材木の需要が少ないのが一番の原因です。
そこで、祥雲寺では法事に用いる卒塔婆を3年前から間伐材に替えました。
卒塔婆の材料は、国産樅材が払底し外国産材が使われています。間伐できないことが山林荒廃の原因の一つなので、間伐材使用は意義あることと思います。
さらに今年からお施餓鬼の卒塔婆を、県内産の杉材に替えました。
戦後大量に植林した杉は、建築工法の変化とともに需要が大きく減りました。
荒れるに委せた杉山が全国に広がっています。
間伐材(これも杉材ですが)、杉材、ともに外国産材に比べて見た目が悪く、しかも割高ですが、ささやかでも林業振興の一助になればと思い、かようにさせていただきました。
お檀家の理解を乞うとともに、同様の試みをする御寺院があることを願っています。
平成23年9月15日 祥雲寺住職 安藤明之
18日の観音様の朝詣りは午前6時から行います。