ごあいさつ

宇都宮市の祥雲寺は歴史のある曹洞宗のお寺です。
栃木県庁のすぐ北にあり、自然林の中には西国三十三番の観音像が祀られています。
また、樹齢350年を超える枝垂れ桜の老樹は県天然記念物として有名です。
たくさんの方々に仏教を親しんでいただくことを願いとし、様々な信仰行事を催しています。

ようこそおまいり

栃木県宇都宮市の祥雲寺(曹洞宗) | 桜や祭りが名物の寺

新着ブログ

  • 涅槃会のご案内

    2019年2月13日

    涅槃図開眼式を御詠歌講と行いました。

     

    この度新しくなりました涅槃図

     

    2月15日はお釈迦様の命日です。

    今から2600年ほど昔、クシナガラという処で2月15日の満月の夜、二本の沙羅の木(沙羅双樹)の下、たくさんのお弟子に見守られながらお釈迦様は涅槃に入られました。

     

    その事からお寺では、2月1日から14日まで「涅槃図」という絵を掲げてお経を毎晩読み、15日の命日に「涅槃会」という法要を行ってこの日を偲んでいます。

     

    この度、祥雲寺の涅槃図を新調し、15日にお披露目もかねて宇都宮仏教会主催の涅槃会を、祥雲寺本堂にて行います。

     

    どなたでもお参りいただける場です。

    沢山の方にお越しいただければと思います。

     

    場所:宇都宮祥雲寺本堂2階

    時間:午後2時より 住職、及び製作者杉山寒月先生の講話

       午後3時より 涅槃会

  • 31年1月 朝坐禅会「指月の会」案内

    2019年1月26日

    本堂前の門松

    善因善果 悪因悪果

     

    新年おめでとうございます。

    本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

     

    昨年年末に読売新聞の海外社会欄を読んでいて気になる記事がありました。

    「LGBTの楽園 裏に差別」という性的マイノリティ差別の現場を取材した記事です。

    その差別の現場取材で、

    “信仰が深い年配者や都市部以外の伝統的な地域社会で暮らす住民の間では、LGBTは「前世の業を背負って生まれてきた」とする考えが根強く残っている”

    という部分が目にとまったのです。

     

     私が気になった理由は「タイでも間違った業論が根強くあるのか」でした。

    「前世の悪業の因縁で今世の悪い境遇がある」という言い回しは二昔前にはよく、今でも少々聞く言い回しです。

    日本でも長らく使われた論法ですが、これは元来の仏教からすれば誤りです。

    私の大学時代の恩師、駒沢大学名誉教授の田上太秀先生は仏教の平和活動という講演の中で

    「元来の仏教に差別はない。勉強不足の人が間違った業の使い方をする。

     業とは日々の行い行動によって培われる、常日頃の習慣なのだ。

     自らの為他人の為、周囲や未来の為になる事を心がければ、それが習慣となり身についていく。

    その生き方が自らを良き人とし、それが周囲に伝播していったならば世の中を良くしていくこととなる。

    逆に悪いことを行い続けたなら、習慣となり身について、自分にも他人にも悪い環境を作ってしまう。

    業とはするべき事、するべきでないことを身につける事。習慣のめぐみを言うものなのだ。」

    という大意のお話をされていました。

     

     仏教は歴代の祖師が身を以て示してきたように「自らの生き方を問う物」なのです。

    日常生活でいかに己を律し、正しい習慣を身につけて生活するかを教えているに過ぎないのです。

    その結果それが周囲に影響し、世を平らかならしめていくことを願う。

    それが仏教徒の平和活動となるのだと、私は教わりました。

     

     業は、生き方の違う人を非難する材料などではなく、まして差別の理由づけに用いられるものではないのです。

    悪いことをすれば自らが汚れ、良いことをすれば自らが清し。

    その生き方の中には、他人を悪し様にとらえる差別なんてなくなるはずです。

    きちんとした言葉で、正しく仏法を伝えられるよう、今年も精進していきたいと思います。

     

                         祥雲寺副住職 安藤淳之

     

    • 日時:1月28日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)12月のみ第三週開催

      6時30分~7時10分(一回目の坐禅)

      7時20分~8時    (二回目の坐禅)

      場所:祥雲寺本堂一階

      用意:身一つで大丈夫です。

      足の組めない方は椅子での坐禅もできます。

       

      注意:初めての方は最初に指導を行います。

      その為可能ならば一回目の坐禅から参加されてください。

      尚、次回は第三月曜日となる18日に開催します。

  • 平成31年1月 観音朝詣りのお知らせ

    2019年1月26日

    元朝祈祷 除夜の鐘に引き続き徹夜で正月の祈祷を行います。

     

    新年おめでとうございます。

     来月2月15日に、宇都宮仏教会主催の涅槃会の会場を引き受けました。

     曹洞宗のお寺では、毎年2月になると涅槃図を掛けて14日までの2週間、毎夕お釈迦様の最後の説法である遺教経を読誦して15日の涅槃会を迎えます。涅槃会は降誕会(花祭り・4月8日)、成道会(12月8日)と並んで仏教徒の聖日ですので、15日にはどの宗派のお寺もそれぞれに行っているのですが、仏教会主催の涅槃会も修行されるのです。

     祥雲寺はこのほど、本堂内陣の天上絵を描かれた杉山寒月先生にお願いして新たな涅槃図を造立しましたので、それを記念して会場に立候補したのです。

     涅槃図は、お釈迦様が入滅された有様を描いたものです。80才になられたお釈迦様は、霊鷲山を発たれて、北方へと向かわれました。伴う弟子はアーナンダ(阿難尊者)のみ。困難な最後の旅でした。そして、クシナガラという町の郊外の沙羅樹の林の中で身を横たえられたのです。

     急を聞いて集まった弟子たちに最後の説法をされ、2月15日満月の夜に入滅されました。

     涅槃図には、諸行無常の理(ことわり)を重々承知しながら、それでも悲しまざるをえない弟子たちの姿が描かれます。涅槃図の多くには、いろいろな動物たちも集まって悲しむ姿も描かれて、釈尊の入滅が生きとし生けるものの悲しみであることを表しています。ただ、この度新しく成った涅槃図に描かれている動物は獅子のみです。杉山画伯に、日本最古の高野山金剛峯寺所伝の涅槃図を手本としていただきたいとお願いしたからです。どうぞ、2月15日午後2時からですのでお参りされて拝んでください。

      人は必ず死すべきもの。それなら一切のとらわれから解脱して釈尊の入滅のようにありたいもの。そんな願いをこめた歌があります。西行法師の歌です。

     願わくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ

     平成31年1月15日

        宇都宮市東戸祭1-1-16      祥雲寺住職  安藤明之

     寒さきわめて厳しい時ですので

    十八日の朝詣りは午前9時から行います。

  • 30年12月 朝坐禅会「指月の会」案内

    2018年12月16日

    株式会社ダイナム社員研修会。 白装束を用意されての研修です。

    要望により、普段行っていない警策を用いての坐禅会となりました。

    この法は人人の分上にゆたかにそなわれりといへども、いまだ修せざるにはあらわれず、証せざるにはうることなし
                                 正法眼蔵弁道話
     
     「ほとけさま」に手を合わせましょう。
    法事の際など、お寺で良く聞く言葉です。
    ここで言うほとけさま、とは如何なる存在であるのか、何故尊いのか合掌礼拝するのか。
    そんな疑問を持ったことはないでしょうか?
     私には一つの確信があります。
    私は、生きて呼吸をし、血肉を備えた生身の仏様にお会いしたことがあるのです。
    かつて修業時代、福井県の大本山永平寺で摂心という修行に臨んでいる中で、坐禅をしながらの給仕のために坐禅堂を見渡してみれば、そこには数十人を超える生きた「ほとけさま」が座っていられました。
    それは共に修行に励んでいた同輩や先達、同じく迷い悩みながら精進していた俗人であった私たちが、思わず手を合わせ拝みたくなる「ほとけさま」達として無言の内に世の片隅を照らしていたのです。
    故宮崎禅師様は「坐禅をすれば良き人となる」と言われていましたがそれは事実です。間違いのないことです。
    「ほとけさま」とは、私たちの心のはたらきの中に時として立ち現れ出でる尊い「ほとけごころ」の表れなのです。
    お坊さんとは仏教徒とは、「ほとけごころ」に生きることを目指す人たちなのです。
     
     では「ほとけごころ」とは如何様にすれば現れるものなのでしょうか。
    坐禅の境地で日々に臨むことができればこの上ないのでしょうが、
    曹洞宗の高祖道元禅師は著書『正法眼蔵』生死の巻でこう説かれています。
    「思うに、仏となるには、ごくたやすい道がある。
    それは、もろもろの悪事をなさぬこと、生死に執着する心のないこと、そして、ただ、生きとし生けるものに対してあわれみを深くし、上をうやまい、下をあわれみ、なにごとを厭う心もなく、またねがう心もなく、つまり、心に思うこともなく、また憂うることもなくなった時、それを仏と名づけるのである。
    そして、そのほかに仏をもとめてはならない。」(増谷文雄訳)
    生き方を調えることで惑い迷う自己を少しずつ変えていく、その中で心が「ほとけごころ」へと向かっていく、つまり訓練で培っていくものなのです。
     あの日に見た尊い在りよう生き様。
    それを忘れぬようこれからもこの仏道を歩んでいきたいです。
                                    祥雲寺副住職 安藤淳之
    一人で修行を行おうとすると、怠けてしまったり後回しにしてしまい続かない場合もあります。
    ですがみんなで行えば、難しいことでも楽しく行えるはずです。
    この朝坐禅会はそのような場となるよう始めました。
    一日の始まりを迎えるこのひと時、ご一緒に「かろやかに」生きてみませんか?

    日時:12月17日(月)朝6時半~8時(途中参加、途中退出可)12月のみ第三週開催

    6時30分~7時10分(一回目の坐禅)

    7時20分~8時    (二回目の坐禅)

    場所:祥雲寺本堂一階

    用意:身一つで大丈夫です。

    足の組めない方は椅子での坐禅もできます。

     

    注意:初めての方は最初に指導を行います。

    その為可能ならば一回目の坐禅から参加されてください。

    また、祥雲寺では毎週水曜夜6時(第四水曜のみ休み)、雀宮布教所「善応院」にて坐禅会を行っています

  • 平成30年12月 観音朝詣りのお知らせ

    2018年12月16日

    写経会の人たちと成道会

     

    本尊様の台座にお経を書写した石を納める

    コンピュータを造ったのは人間です。ハード、ソフトといわれる、機械と処理技術の開発も人間の意思と創造力によってもたらされたものです。そこには開発者の個性が投影されています。
     アップル社の創業者であるスティーブ・ジョブスは誰もが認める最先端のコンピュータ開発者です。彼はまた、曹洞宗の禅僧を師と仰ぐ仏教徒でもありました。
     11月26日に聴講した駒澤大学の石井清純先生の「禅の教えをいまに活かす」という題の講演で、ジョブズについて触れていた内容の一部を紹介します。
     彼が開発に当たって常にシンプルなものを目指しました。自分が開発し積み上げてきた機械や機能でも惜しみなく捨て去りました。
     その基準は、禅で大切にされる「初心 」でした。
    「もし今日が人生最後の日だとしたら今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか」
    本当に今すべきこと、どうしてもやらなければならないことの役にたつコンピュータを造ることが彼にとっての初心であったのでしょう。一期一会にも通じる言葉です。
     会社宣伝のポスターは、真ん中にリンゴ、上に「シンプルが究極の宣伝」とだけがあるまことにシンプルなものでした。石井先生は禅僧の描く一円相を思わせると評されました。
     また、ジョブズは、古いものをただ捨てたのではありません。先人への感謝を失いませんでした。
    「クリエティブな人というのは、先人たちの残してきたものに感謝しているものだ。それに何かを付け加えたい、そう思って僕は歩いてきた」
     正 しい教えを伝え遺(のこ)す、そして、師の徳を超えなければ徳は半減してしまう。禅宗で嫡嫡相承(てきてきそうじょう)という言葉で表される思想に通じています。
     ジョブズは、青年時代ヒッピーの生活を送ったこともあるそうです。放浪は精神遍歴でもあったのでしょう。才能あるものが遍歴の末に現代文明を花開かせた。その契機の一つに日本の禅との出会いがあったことは、禅のみならず日本文化の人類社会への可能性を示すものでもあります。
     平成30年12月15日
        宇都宮市東戸祭1-1-16      祥雲寺住職  安藤明之
    十八日の朝詣りは午前6時半から行います。

祥雲寺行事案内

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