-
1月の諸行事
2023年1月7日1月の諸行事 ご興味の方はお問い合わせ下さい。
■除夜の鐘 元朝祈祷
除夜の鐘を突いた後元旦一時よりご祈祷をしたお札を檀家に配布しています。
今年はお参りの方のみ配布し、二月旧正月に檀家郵送となります。
■雀宮善應院坐禅会(第四水曜日のみお休み)
宇都宮南町1番36号「善應院」にて毎週水曜日(第四以外)夜6時から行っている坐禅会です。
1月11日、18日
■月例坐禅会「指月の会」
祥雲寺本堂にて毎月第四月曜朝6時半から行っている坐禅会です。
1月23日
■テラヨガ(ヨガ教室)
阿久津先生指導の下第一第三金曜日10時半から。初心者クラスは第二第四金曜日10時半から
1月20日。 初心者クラスは13日、27日
■陶芸教室「祥陶会」
駐車場下の作陶場にて毎週火、木午後1時から行っています。
■石彫会「羅漢の会」
毎週土曜午後、駐車場作事場にて石仏の彫刻を行っています。指導は松原「金野石材店」
■茶道教室
月二回火曜日午後2時から、裏千家鈴木宗陽先生のご指導の下行っています。
1月17日初釜 24日普通のお稽古
■写経会
写経会は5月から11月、第二日曜日午後2時から行っています。
4月まで休止。
■御詠歌
祥雲寺住職、並びに栃木市豊栖院飯塚先生の指導の下月2回行っています。
1月20日 新年初練習(鉦おこし) 10時より
1月23日 長岡公民館初練習 午後1時半~3時半
■フラワーアレンジメント教室
南宇都宮駅前「フラワー花亀」亀井先生指導の下第四水曜日午後1時半より行っています。
1月25日
■折り紙教室
カルチャースクール講師長谷川京子先生指導のもと第3水曜日午前10時よりより行っています。
1月18日
■クラフトペーパー教室
同じくカルチャースクール講師長谷川先生指導のもと第2月曜日午前10時より行っています。
1月9日
■観音朝詣り
境内33観音霊場を18日朝にお参りするミニ巡礼会です。開始時間は季節により前後します。
今月は午前 9 時 から
-
令和4年12月 朝坐禅会指「指月の会」案内(12月の開催は26日となります)
2022年12月25日吾我を離るるには、観無常是れ第一の用心なり」 (正法眼蔵随聞記)
今年も年の瀬となり、来年に向けての大掃除が先日終わりました。
来年の算段も諸々考え動き出しています。
地元の仲間が、来年から大本山永平寺で役寮という運営指導役のご指名を受けました。
栃木と福井を行き来して役に付くのは大変でしょうがどうか頑張っていただきたいです。
その際には修行僧らで挫折する人が出ないようよく見てあげてほしいと切望します。
私自身上山して2,3週間後が一番きつくて折れそうになりました。
あの時仲間に支えてもらっていなかったら全く違う人生を歩んでいたでしょう。
では修行では何が大変なのか、どうして挫折するのかと考えてみると、
上記の「吾我を離れる」という部分に躓くのではないかと思いました。
先日ドイツ人の禅僧ネルケ無方師に宇都宮仏教会の仏教文化講演会でお話を頂戴しました。
内容はご自身の発心修行菩提涅槃、なぜ出家しどう修行して何に気づいたかです。
少し端折って要約するならば
「坐禅を体験して自身の視点が変わり興味を持った。
出家しお寺で修行を始めたが修行らしいことは出来ず雑用ばかりで不満を持った。
不満を訴えたらお前のことなど知らん、と言われて失望した。
しかしそれこそが師の叱咤激励であったのだと気づくことができた。
修行は集団生活で、皆で支えあうのだから裏方も当然せねばならない。
そうしたとき我が強く自身を優先していては場が成り立たない。
むしろ迷い悩みの根源となる我を手放していくことが修行であり精進なのであるのに
いったい何にこだわっているのだ」と。
この自意識の問題、我を離れるというのがなかなか難しいのです。
私も修行の中、我執を離れるとは如何なる事かを感じるきっかけがあって少しは理解できました。
禅の修行は、自身で迷いから離れ気づく、体験をするという所を重視してきました。
他人から教え諭されるのではなく、自身で気づき見つけることでそれが自身の宝となる。
永平寺での修業がやり方を教わるばかりで
これが何なのか何故そうするのかに言及されないのはそういうことです。
現代のお坊さんは家がお寺だからと修行に臨む人が多いです。
動機がそこであっても出家修業とは間違いなく尊い得難い機会です。
この稀なるご縁を損なうことのない様フォローがなされてほしいと願うばかりです。
祥雲寺副住職 安藤淳之
偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。
欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。
我を離れることの出来る閑かな時間、坐禅の時間を御一緒にいかがですか?
当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。初めての方は15分前に来てください。1月は23日となります。また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています -
12月上旬 特別行事の案内(1日無縁供養、7日蝋八摂心坐禅会)
2022年11月25日12月1日は祥雲寺年末の大行事、無縁供養の日です。
詳しくはこちらをご覧ください。
https://www.sho-un.jp/blog/event/576/
2017年の開催記録になります。
9時 羅漢の会(石彫の会)羅漢開眼式
10時 無縁供養法要(庫裡裏の無縁供養塔にて)
11時 音楽会(本堂二階)
当日参加も大丈夫です。どうぞいらしてください。
12月7日は特別坐禅会、蝋八摂心坐禅会を行います。
12月8日はお釈迦様が悟りを開かれた日です。
仏典では、1日から菩提樹の下で1週間坐禅を続け、8日目の朝明けの明星と共に成道
されたと伝えられています。
禅寺ではこれにならい、この時期に摂心という特別な坐禅を行ってきました。
この度、1日のみですが夜に坐禅会を修行します。
興味を持たれた方はどうぞお問い合わせください。
時間:12月7日(水)18時から20時半まで
夜6時 開場(坐禅指導は15分より)
6時30分 ~ 7時10分 坐禅
7時20分 ~ 7時40分 法話
7時50分 ~ 8時30分 坐禅
場所:祥雲寺 本堂二階
申込:電話(028-622-5719)もしくは祥雲寺庫裡にて
費用:参加料一千円(当日受付にてお支払いください)
準備物もあるため出来るだけ事前にお申し込みください。
-
令和4年11月 朝坐禅会「指月の会」案内(11月28日朝6時半より)
2022年11月25日拈華微笑
先日NHKでやっているチコちゃんに叱られる、という番組で国宝の定義とは?の問いかけがありました。
チコちゃんの回答は「明治政府の暴走を止めた制度」でした。
曰く、明治政府は天皇を中心とする国家神道を目指し、
その為には一部混在していた仏教が邪魔になり、分ける目的で神仏分離令を出した。
それが加熱して寺が壊され仏像が捨てられる廃仏毀釈となった。
当時日本に赴任していたフェノロサら外国人達を皮切りに有志が美術品保護運動を起こし、保存法として国宝が誕生した、という流れだそうです。
今日様々な仏教美術が国宝として保護され拝観できるのは、こうした制度による保護あってこそというお話でした。
美術品というのは其れを見ることで感動を呼び起こす、何らかの情動を起こすものだそうです。
では仏教美術とは何を引き起こすものなのでしょうか。
私はそれは、安心(あんじん)や平常心と呼ばれる、心の有り様落ち着き平穏を見て取りまた受け取れるものだと思っています。
お釈迦様は説法の際、花を拈じて微笑みと共に一番弟子に教えを伝えたと言います。
爾来禅宗では以心伝心、心を以て心に伝えようと相対する、面授を尊んできたのです。
少し話が変わりますが、昨今は技術の革新によって、機械測定によって人の感情の機微、好悪の程が測定できるそうです。
その研究によると、顔の筋肉の微細な動きや全身のわずかな挙措で人はお互いに言葉を発さずとも多くの情報をやり取りしているとのことです。
言葉を介さずとも、伝わるものは確かにある、という話です。
それならば、言葉を介さずとも注釈が無かろうとも動きが無かろうとも、物言わぬ仏像から伝わるものは確かにあるのでしょう。
そこに表されるもの、表そうとしてきたもの、其れを旨く伝えられるよう精進していきたいです。
それこそが、心を以て心に伝えようとしてきた、ほとけごころというべきものだと思っています。
祥雲寺副住職 安藤淳之
偏りのない、こだわりのない、囚われのない時間。
欲から離れた、我を起点としない時間。これがそのまま非思量、ほとけ心に生きられる修行です。
我を離れることの出来る閑かな時間、坐禅の時間を御一緒にいかがですか?
当分の間は6時半開始、一炷(坐禅一座)のみとなります。初めての方は15分前に来てください。12月は26日となります。また、雀宮善応院坐禅会は第四水曜日以外毎週行っています -
令和4年11月 観音朝詣りのお知らせ
2022年11月23日ひとの生を うくるはかたく
やがて死すべきものの いま生命あるは ありがたし
法句経182 友松円諦 訳感謝の言葉「ありがとう」の語源になっている経文です。
お釈迦様は、この世界で人間に生まれること、生まれ出でて命を保っていることがどんなに有ること難い縁に依っているものなのかを説かれています。別のお経では、人間に生まれることがありえないような確率であることを示す盲亀浮木というたとえ話もされています。
ところで「感謝」という言葉について、何か私たちにためになること、利益になることをしてくれたことへのお返しの感情を表わすものと思うのが常であると思います。
恩に報いる「報恩」という言葉がそれを表わしています。その考えは人間にとってとても大切なことなのですが、それだけではもらったものへのお返しにすぎないのではないのかという思いもぬぐいきれません。
生きていることを当たり前と思うなかからは権利の意識は生まれても、この経文に説かれる感謝の感情は生まれません。お釈迦様は、人間が幸せに生きる道として慈悲喜捨の四無量心を説かれました。
慈はいつくしみ、悲はおもいやりです。三番目の「喜」は、人の喜びを自分の喜びとできるような生き方をしなさいという意味です。
そして四番目は分け隔てない心です。
私たちはこの世界の天地万物と共に生きています。
生きることには自分も他人も分け隔てはありません。
そこにあるのは生きることそのものの喜びです。自分も他人も分け隔てることのない喜びを言葉で表わすとすればそれこそが「感謝」であると私は思います。
意識できる恩を受けたということがなくても、生きている中で自然にわいてくる喜び、それをありがたい感じることが感謝の本質です。
令和4年11月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時半から行います。