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3月観音朝詣りのお知らせ(3月18日6時半より)
2023年3月17日3月11日、東日本大震災発生の日を迎え、新聞、テレビなど多くのメディアで特集が組まれています。
震災が起こってから満十二年、犠牲の霊位の十三回忌に当たります。十三回忌という忌日が設けられているのは、十二支が一巡りし同じ歳になるからです。
震災の時、津波が町を、海岸を、襲う映像は忘れることができません。
あの中でどれだけ多くの人が死んでいったのか、思い出しても胸が詰まります。
NHKでは、迫り来る南海トラフの大地震についての特集番組が放映されていました。
東日本大震災を越える20メートル、30メートルの津波が来るかも知れないこと、犠牲者も二十万人を超すかも知れないこと、経済的損失は日本没落まで考えられること。
被災者であったかないかに関わらず国民全体が震災の恐ろしさを知っているだけに、どうにかならないのかとも思います。
必ず来ると言われ、できるだけの対策をしていても、いざその時が来たら残念ながら大災害は避けられません。
津波が来るところに住まなければならない人はたくさんいるし、工場でも、道路でも、鉄道でも万全の対策は取りきれません。
震災の時、家族を助けようとしてなくなった人がたくさんいました。
津波では自分の身を守ることを考えて、家族であってもその運命は天に委せなさいとの教訓が昔からあることが紹介されていました。
私たちは、人間の力ではどうすることもできない自然の脅威にさらされている国土に住んでいるのだという覚悟を持たなければならないと思います。
それは、世に言うあきらめではない。
皆が無事でいられるための備えを怠らず、それでもだめならそれは運命とし、いのちあれば復興に身を尽し、犠牲者を悼み、未来あるものに希望を託していく。
それは、お釈迦様がお説きになった、諸行無常の世に生きることそのものです。
令和5年3月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時から行います。
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2月観音朝詣りのお知らせ
2023年2月14日かつて世界一と言われた日本の国際競争力が現在は34位だそうです。
ずいぶん低くなったものですが、その理由について非正規雇用労働者の増加と関係があるという識者の解説が紹介されていました。
バブル経済の崩壊後、たびたび起こった経済危機により企業の資金繰りが悪化しました。
経営者側は人件費をコストと考えており、コスト削減ためリストラが行われ、さらに就職氷河期と言われるほどに社員の新規採用を抑えました。
この結果足りなくなった人員は、主婦のパートや派遣社員、それに外国人労働者に求めました。
非正規雇用労働者に対しては賃金だけでなく厚生費や雇用保障に関する決定についても雇用側の力が大きくなり、安価に抑えられますから。
これに対して、組合を持つ労働者側も、自分たちの雇用が守られることを優先して、非正規雇用労働者の増大を是認しました。このような環境からは、新しい物を創り出したり、労働生産性を高める企画など出てこないというのです。
そもそも、人材をコストと考えるのが間違っているという指摘でした。人材は将来を生み出す資源であり、現場に即し、将来性を見越した育成が行われて会社は発展するのだと。
この解説は納得のいくものでした。確かに企業の置かれた危機的状況は深刻であったでしょうが、経営者も、労働者も、政府の政策も、無難に収まることを優先し、将来を担う若者を犠牲にして安易な方向に走ってしまった。
言ってみれば、困難に直面した時の勇気のなさの結果が国際競争力の低下となって現れたのです。
日本国民が直面する困難はこれからもたくさんあるはずです。
予期せぬものもあるでしょうが、少子高齢化に伴う問題はずっと昔から予想されています。
あるいは、食糧危機は地球規模で必ず起こるはずです。
分かっているのに手を打たなかった、手を打とうとしない、改革への勇気のない精神風土は改めなければなりません。令和5年2月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之
十八日の朝詣りは午前9時から行います。 -
1月観音朝詣りのお知らせ
2023年1月21日明けましておめでとうございます。
祥雲寺の歴史は文明二年(1470年)から始まります。
宇都宮氏の一族戸祭高定公とその夫人の発願により、雪江良訓禅師を開山に拝請して祥雲寺が生まれました。
室町時代は曹洞宗が大発展をした時で、在地領主の武士が曹洞宗の高僧を拝請して寺が建てられ、そこから弟子たちが近在の農民に教えを広めました。
戦国時代を舞台にした時代劇に出てくる寺院の多くが曹洞宗です。
雪江禅師は日本洞上聯燈録という代表的な高僧伝にその行跡が記される大徳です。
また、たいへん長生きした方と伝えられ、遷化した(亡くなられた)のは大永五年(1525年)一月五日のことです。
墓石は祥雲寺境内にありますが、埋葬された所と伝えられるのは、現在の戸祭小学校西側の和尚塚です。
昭和八年に発掘され、そこから第二代から第八代までの歴代住職が御開山の年忌の折に建立した供養石が出土しました。
江戸時代は、宇都宮城下町の北側に位置する戸祭村、大曽村の菩提寺とされました。
明暦年間には当時約七十戸の檀家によって旧本堂が建てられました。幕末には大きな庫院が建てられ、戊辰戦争で城が焼かれてしまった宇都宮城主の一時的な住居となりました。
明治時代になり、廃仏毀釈によって菩提寺を失った長岡村、山本村が檀家に加わり、また市街地の檀家も増えて檀家数の多い寺になっていきました。
昭和二十三年、市営住宅の一角で火災が起こり、山を越えた火の粉が茅葺き屋根の本堂の軒付けに入り、全伽藍が焼け落ちてしまいました。現在の諸堂伽藍は現在のお檀家の協力の下に建てられたものです。
以上、祥雲寺の550余年の歴史の概観ですが、来年一月五日が御開山禅師の五百回忌になります。本年秋に遠忌法要を勤めて報恩の誠を献げます。それは祥雲寺の護持に関わった多くの人々への感謝でもあるのです。
令和5年1月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之
十八日の朝詣りは午前9時から行います。
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12月観音朝詣りのお知らせ
2022年12月20日令和4年も暮れようとしています。私は今年の11月で、父である先代住職の年齢を超えました。
人並みの苦労や逆境、転機もありましたが、総じて、私は平穏に生きてくることができました。二十代から三十代半ばまでの歳月の半分以上の10年を、兵営、戦地、シベリヤ抑留で過ごした父親とは比ぶべくもありません。私だけでなく団塊世代は、親たちの平和への祈りを受けて育ったとも思います。
そんな私にとって、今年ほど戦争の足音を身近に感じたことはありません。第二次世界大戦後も世界には戦争が絶えず、朝鮮戦争、ベトナム戦争は、日本の近くで起きました。中学時代のキューバ危機では核戦争の恐怖を感じました。親世代から戦争のむごさ、理不尽さを繰り返し聞かされた戦後世代にとって、反戦は共通の社会意識であったと思います。
しかしそれでも戦争は他人事であり、反戦も観念的なものであったと思います。それは今年2月に起こったウクライナ戦争によって感じさせられたことです。
国力、特に軍事的なバランスを欠いた時に大国は小国を支配しようとし侵略も起きる。歴史を学べば当たり前のことを現実として見せつけられた。日本は、外交はもとより、国全体として善隣友好に努めなければならないが、それでも東アジアの情勢からは日本が戦争に巻き込まれる可能性がないわけではない。
高校生の時、非武装中立の理想を滔々とのべる私に対し、父から「おまえはお母さんや妹が殺されるかもしれない時、戦わないでいられるのか」と言われたことがあります。不殺生を禁戒の第一とし「武器を取れば僧ではない」とされる者が兵士であった。その苦衷をいまさらですが忖度(そんたく)します。
戦争にかかわらない人生を送り、既に兵士にはなれない年齢に達した私には、国防を論ずる資格はないかも知れません。それでも、備えは戦争を避けるために必要です。
その上で、平和のために尽くし祈ることに、僧としての覚悟を持って行きたいと思っています。
令和4年12月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時半から行います。
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令和4年11月 観音朝詣りのお知らせ
2022年11月23日ひとの生を うくるはかたく
やがて死すべきものの いま生命あるは ありがたし
法句経182 友松円諦 訳感謝の言葉「ありがとう」の語源になっている経文です。
お釈迦様は、この世界で人間に生まれること、生まれ出でて命を保っていることがどんなに有ること難い縁に依っているものなのかを説かれています。別のお経では、人間に生まれることがありえないような確率であることを示す盲亀浮木というたとえ話もされています。
ところで「感謝」という言葉について、何か私たちにためになること、利益になることをしてくれたことへのお返しの感情を表わすものと思うのが常であると思います。
恩に報いる「報恩」という言葉がそれを表わしています。その考えは人間にとってとても大切なことなのですが、それだけではもらったものへのお返しにすぎないのではないのかという思いもぬぐいきれません。
生きていることを当たり前と思うなかからは権利の意識は生まれても、この経文に説かれる感謝の感情は生まれません。お釈迦様は、人間が幸せに生きる道として慈悲喜捨の四無量心を説かれました。
慈はいつくしみ、悲はおもいやりです。三番目の「喜」は、人の喜びを自分の喜びとできるような生き方をしなさいという意味です。
そして四番目は分け隔てない心です。
私たちはこの世界の天地万物と共に生きています。
生きることには自分も他人も分け隔てはありません。
そこにあるのは生きることそのものの喜びです。自分も他人も分け隔てることのない喜びを言葉で表わすとすればそれこそが「感謝」であると私は思います。
意識できる恩を受けたということがなくても、生きている中で自然にわいてくる喜び、それをありがたい感じることが感謝の本質です。
令和4年11月15日
宇都宮市東戸祭1-1 祥雲寺住職 安藤明之
十八日の朝詣りは午前6時半から行います。